浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

雨の日の読書

2019-07-15 10:07:52 | 読書
 志賀直哉の『暗夜行路』を読んでいる。秋に、小林多喜二を講じなければならないので、多喜二が文学者の先達としていた直哉の文学をきちんと読んでおかなければならないと思ったからだ。

 もちろんかつて『暗夜行路』は読んでいる。書庫から持ち出してきた新潮文庫の末尾のページには、読了の年月日が記されている。
 ところがまったく記憶がない。読んだことすら忘れていた。もちろん内容もである。
 
 読み進めているうちに、こんな内容も忘れてしまっていたのかと思った。主人公の時任謙作は、なかなか難しい出生の事情があった。母は実母であるが、父は父ではなく、祖父が父親であったことが、長じて知らされるのであった。実母が早くに亡くなった後、謙作は祖父のもとに預けられていた。その理由が、長じて分かるのであった。
 なかなか衝撃的な内容であった。なぜこういう衝撃的な話を忘れてしまっていたのか、と思った。昔読んだときには、そんなに衝撃的だと受けとらなかったのかもしれない。

 文学作品というのは、読む都度に感想が変わる。以前、三島由紀夫の『午後の曳航』を読んだとき、それは青春期の頃であったが、強く惹きつけられいろいろ考えた。それが日記にも記されている。しかし長じて読んでみると、まったく面白くはなかった。

 年齢を重ねたら、買ってあった全集を繙くことが理想であった。しかし、仕事を頼まれたり、時代が私をそっとしておいてくれないために、なかなかそれができない。

 日本の政治社会の現状には、絶望を抱いている。日本の未来は、破滅以外にないという気がしている。開高健の小説『パニック』のように、日本人は滅亡に向かって集団で走りさろうとしているかのようだ。

 無関心と沈黙が支える全体主義国家が眼前にあるかのようだ。

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梅雨のなかで

2019-07-15 08:16:06 | その他
 今日も雨が降っている。参議院選挙中、かくも降り続くのは、自然が日本を破滅させようとしているのではないかと思ってしまう。

 アベ政権の与党に勝利を与えて、日本を破滅させる。そういう方向へと、自然は動いているように思える。

 アベ政権の政策は、日本のあるべき姿を消し去るようなものばかりである。貧しい日本人が、安い給料で働く中で納める税金が、アメリカや大企業、富裕層に集められていく。うまい具合に、日本人は、自分自身がどうなろうと「自己責任」という思考でものごとを片づける。

 コンビニよりも、100円ショップの店舗が増えているという記事を読んだ。さもありなんである。庶民は、100円ショップでものを買う。地方都市のデパートが次々と閉店する。東京一極集中のなか、富も人も東京方面に集まる中、地方は疲弊し、高価格帯の商品を揃えるデパートで買う人は減っている。地方の富裕層、私はそのなかの一人を知っているのだが、東京のデパートに買いに行くと語っていた。
 最近、この地方では軽自動車が増えてきたような気がする。車のナンバーは3ナンバー。5ナンバーが減っている。3ナンバーと軽自動車。この地で不正を行った軽自動車のメーカーは、貧困を貪っているように思う。そこで働く人びとの賃金も、低い。庶民の生活悪化を食い物にしているようだ。

 貧しい日本人のための店は、増えている。給料が安くても、それなりにショッピングを楽しめるのだ。

 格差は眼に見えるようになっている。しかしうまい具合に「自己責任」。ショッピングもそれなりに楽しめる。

 自公政権が、そういう社会をうまい具合に利用している。そういう社会的風潮に隠れて、支配層やアベの私的グループが富を蓄積している。規制緩和、民営化、基地建設・・・・いつもそこには利権が絡んでいる。利権とつながる者たちが、蓄財に励む。

 日本はそういう人たちにもっともよい環境のようだ。日本人はものわかりがよい、というか、権利意識に欠ける。長い間の学校教育、教員に対する統制や教育内容の「精選」により、権利より義務を教えられてきているのだ。

 オーウェルの『1984年』の世界は、日本に現出している。New York Timesは、日本を「独裁国家」とする。その通りだと思う。

 雨が降り続く。日本の上空には、暗雲が立ちこめている。

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