志賀直哉の『暗夜行路』を読んでいる。秋に、小林多喜二を講じなければならないので、多喜二が文学者の先達としていた直哉の文学をきちんと読んでおかなければならないと思ったからだ。
もちろんかつて『暗夜行路』は読んでいる。書庫から持ち出してきた新潮文庫の末尾のページには、読了の年月日が記されている。
ところがまったく記憶がない。読んだことすら忘れていた。もちろん内容もである。
読み進めているうちに、こんな内容も忘れてしまっていたのかと思った。主人公の時任謙作は、なかなか難しい出生の事情があった。母は実母であるが、父は父ではなく、祖父が父親であったことが、長じて知らされるのであった。実母が早くに亡くなった後、謙作は祖父のもとに預けられていた。その理由が、長じて分かるのであった。
なかなか衝撃的な内容であった。なぜこういう衝撃的な話を忘れてしまっていたのか、と思った。昔読んだときには、そんなに衝撃的だと受けとらなかったのかもしれない。
文学作品というのは、読む都度に感想が変わる。以前、三島由紀夫の『午後の曳航』を読んだとき、それは青春期の頃であったが、強く惹きつけられいろいろ考えた。それが日記にも記されている。しかし長じて読んでみると、まったく面白くはなかった。
年齢を重ねたら、買ってあった全集を繙くことが理想であった。しかし、仕事を頼まれたり、時代が私をそっとしておいてくれないために、なかなかそれができない。
日本の政治社会の現状には、絶望を抱いている。日本の未来は、破滅以外にないという気がしている。開高健の小説『パニック』のように、日本人は滅亡に向かって集団で走りさろうとしているかのようだ。
無関心と沈黙が支える全体主義国家が眼前にあるかのようだ。
もちろんかつて『暗夜行路』は読んでいる。書庫から持ち出してきた新潮文庫の末尾のページには、読了の年月日が記されている。
ところがまったく記憶がない。読んだことすら忘れていた。もちろん内容もである。
読み進めているうちに、こんな内容も忘れてしまっていたのかと思った。主人公の時任謙作は、なかなか難しい出生の事情があった。母は実母であるが、父は父ではなく、祖父が父親であったことが、長じて知らされるのであった。実母が早くに亡くなった後、謙作は祖父のもとに預けられていた。その理由が、長じて分かるのであった。
なかなか衝撃的な内容であった。なぜこういう衝撃的な話を忘れてしまっていたのか、と思った。昔読んだときには、そんなに衝撃的だと受けとらなかったのかもしれない。
文学作品というのは、読む都度に感想が変わる。以前、三島由紀夫の『午後の曳航』を読んだとき、それは青春期の頃であったが、強く惹きつけられいろいろ考えた。それが日記にも記されている。しかし長じて読んでみると、まったく面白くはなかった。
年齢を重ねたら、買ってあった全集を繙くことが理想であった。しかし、仕事を頼まれたり、時代が私をそっとしておいてくれないために、なかなかそれができない。
日本の政治社会の現状には、絶望を抱いている。日本の未来は、破滅以外にないという気がしている。開高健の小説『パニック』のように、日本人は滅亡に向かって集団で走りさろうとしているかのようだ。
無関心と沈黙が支える全体主義国家が眼前にあるかのようだ。