アレクシェーヴィチが聞き取ったもの、同時に彼女が語ったことは、とても含蓄があり、私に考えるということを促す。
『アレクシェーヴィチとの対話』は、NHKがテレビで放映した内容を基礎としている。内容がたいへん濃いものだ。
本筋とは離れるが、NHKはほんとうに潤沢にカネをつかっているということを実感する。私も民放でドキュメンタリーを撮りに外国へいったことがあるが、自分の旅費は自分で出していたし、ケチケチ撮影旅行であった。しかしNHKはすごい。アレクシェーヴィチの語りは、もちろん取材し放送する価値はある。潤沢なカネがなかったら、それはできなかっただろう。
さてこういう記述がある。
私たち民主派が人々に語りかけた民主主義の理想は、彼らにとって大体において縁遠いものでした。そして私は理解したのです。民衆が悪いのではない、私たちが民衆像を手前勝手に作り上げていたのだと。本当の民衆がどんなものであるか、私たちは知らずにいたのです。・・・・「あんな酷い仕打ちを受けて、なぜ民衆は黙っているのか」と。そこへ突如としてプーチンがやってきて、手垢にまみれたロシアの決まり文句「我々は偉大なロシアだ。我々は侮辱されている。さあ立ちあがろう」と言うのです。そして突然、民衆が語り始めました。86%のプーチン支持。民衆が語り始めると私たちは恐ろしくなりました。再び私たちは理解したのです。自分たちが、民衆とは何者であるかを知らずにいたことを。(275~6頁)
先の総選挙結果を見ると、このアレクシェーヴィチの語りが重なってくる。私たちは、日本人の意識を知っていない。ただ推測しているだけだったのだ。
私は、私と同じような意識を持った人々と交流し政治について語り合う。しかし、そうでない人々とも語ることはあるが、政治についてはほとんど話さない。どういう政治意識をもっているか、私は知らない。そして私と同じような意識を持っている人は少数派なのである。
少しずつ、日本は「壊憲」の方向に動いていくのだろう。その先はかつての「大日本帝国」に似てくるはずだ。
私やあなたの抱えている困難とは、人間の意識というものがそう簡単には変わらないということです。(236頁)