今日、雑誌が2つ届いた。1つは『世界』である。高校生の時から購読し続けている雑誌だ。バックナンバーがあまりにも膨大になったので、十年以上前に処分したが、そろそろ二度目の処分の時期がくる。
いつも『世界』には、含蓄のある文が並ぶ。今号でまず最初に読んだのは、シンスゴさんの「「ニュース女子」事件とは何だったのか」である。重い重い内容である。日本社会の劣化を象徴する事件だ。とりわけ日本人に知性がなくなってきているように、私は思っている。だから今号の特集は「学知と政治」である。政治の世界だけでなく、あらゆるところから学知(知性)が消えている。そしてそのなかからレイシズムが台頭してきている。レイシズムという概念は、ルース・ベネディクトが最初に提示したという。
「ある民族集団が先天的に劣っており、別の集団が先天的に優等であるように運命づけられていると語るドグマ」
日本ではそれを「人種差別」とするが故に肌の色の違いだけに着目するが、実際はそういう意味ではない。たとえば韓国朝鮮人に対する差別も「レイシズム」なのだ。日本に「人種差別はない」という言説は間違いなのだ。
シンスゴさんは、自分のために裁判を闘っているのではない。「人は、自分のことでは妥協してしまうことがあっても、大切な誰かのためならとことん頑張れる」という末尾の文が印象的だ。あの番組は、沖縄の人々への差別と偏見をまき散らす内容だったからだ。
次に読んだのが平田オリザさんの「但馬日記」。そのなかに、平田さんが6年前に津田大介さんがやっている「ポリタス」に3つの寂しさを寄稿したという。その3つとは、
「日本は、もはや工業立国ではないということ」
「もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ」
「日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ」
である。これらのことは、今その通りだと認識されるようになった。ただし三つ目はそろそろ訂正されなければならない、「日本はもはや先進国ではない」と。
『世界』を読むと、自分自身の精神世界が拡がっていき、また社会認識も豊かになっていく。明日もいろいろ知的触発を受けるはずだ。
最近、高橋さんという『世界』を長年購読されていた方が亡くなられた。
今日届いたもう一冊、それは無教会派のクリスチャンらによる『みぎわ』61である。浜松聖書集会を主宰されていて、今は亡き溝口正先生のことばが巻頭と巻末にあった。居ずまいを正して読んだ。
『みぎわ』61についてはいずれ紹介しよう。