スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの本は、解答のない本だ。彼女が語ったこと、彼女が聞き取ったことは、思考を喚起する。だが、その思考の行き着く先に結論はない。ずっと考え続けるしかない。
『セカンドハンドの時代』の巻頭におかれた二つの文。
犠牲者と迫害者は同じように不快である。それは、堕落においての兄弟関係であるということを、収容所の経験から学んだ。(ダヴィッド・セル『われらが死の日々』)
いずれにせよ、わたしたちは覚えておかなければならない。世界において悪の勝利に責任があるのは、第一に、盲従的に悪を実行する人びとではなく、善に仕える精神的に明晰な人びとであるということを。(フョードル・スチェプン『起きたことと実現しなかったこと』)
考えさせられる文である。善悪ははっきりと線引きされるのではなく、善悪が一対の対応することばであるように、それらは混じり合っている。善があるから悪がある、つまり善がなければ悪はないのだ。
人間はその狭間で生きていくしかない。まさにドストエフスキーの世界である。
彼女は、その世界を今の時代に「どうですか、どう考えますか」と提示しているようだ。