私は、立憲民主党から国民民主党へと流れていく、つまり立憲民主党は分裂するのではないかと思う。連合に従う議員は国民へ。
まだ三分の二だ。厚い本である。ソ連時代とペレストロイカ以降のロシアに生きた庶民の語りが無数に掲載されている。
いろいろな希望や思いを持って、庶民は生きる。しかし、自分の力ではどうしようもない力で、庶民の生活や生は断ちきられ、どん底に追いやられる。ひとり一人の証言は重くやるせない。そうした証言をたくさんたくさん積みあげる。どんよりとした重さに堪えながら、活字を追っていく。
若い頃、ロシア文学が好きで、ドストエフスキーやチェーホフ・・・・いろいろ読んだ。充分思索的で、重く、人間とは何かを問うようなものが多かったように記憶している。
なぜロシア文学がそうなのか分からなかったが、本書を読んでそれが少し分かった気がする。
自分の力ではどうしようもない力、それは権力だったり、戦争だったり、いろいろだが、しかし庶民に対してはすべて抑圧的であった。何の理由かわからないままに逮捕され、銃殺され、収容所に送られる。なぜ?と問うても、解答は与えられない。ペレストロイカのあと、「自由」が到来した?しかし庶民の日々の生活は悪化する一方だ。そして過去の歴史は大胆に否定される。
このような厳しい抑圧のもとで生きていくとき、そしてそれが続いているとき、庶民は考える。生きる意味や、人間について。帝政ロシア、社会主義革命、スターリン体制、ペレストロイカ、プーチン体制・・・庶民にとって抑圧的ではない時代はなかった。
ひとり一人の語りには、抑圧下に生きる庶民の「苦」がある。そしてその背後に「なぜ?」と問う息づかいが聞こえる。
ロシア文学の凄さ。その背後にこれがあった。庶民のなかに襲いかかる理不尽な仕打ち、問うても答えのない「なぜ?」という息づかいが充満していたのだ。
作家たちはそれを吸い上げていたのだ。