札幌で『逍遥通信』を発行している澤田さんが、『アジアのヴィーナス』(中西出版)を上梓された。そこには、四つの小説が掲載されているが、「アジアのヴィーナス」が最初に載せられている。
寄贈を受け、すぐに「アジアのヴィーナス」だけを読み終えた。わたしは、加齢のせいか、小説などは読んでもすぐに内容を忘れるという情けない状況にある。ところが、「アジアのヴィーナス」は、今もよみがえる。その一つの理由は、映画化をすすめられたと言われるほどに、絵になる内容であったからだ。北海道の自然、登場人物の動き、いずれも読みながら、まざまざと情景が浮かび上がるのである。
もうひとつの理由は、登場する人物がいずれも個性的で、彼らの動きの描写がクリアだからだ。
主人公はミサキ、父・伊三夫は日本人、飲食店を経営していたが、今は東京に行ったままで何をしているかわからない。右翼的な活動もしている。暴力的で、ウラの世界とも通じている。母・シンシアはフィリピン人であるが、そんな父から家を追い出されている。そして彼女は、定時制高校に通っている。
高校では、沖縄への修学旅行が計画されている。ミサキは、行きたいけれども、父が東京へ行っていることから金がなく、行けるかどうか分からない。さらに父は、ミサキを東京に連れて行き、カネを稼ごうと画策している。担任の行橋が、カネを貸すと言うが、父はそれを認めず、自分でカネを工面せよという。止むなく、クラスメートから距離を置いている「おっさん」と呼ばれていた28歳の級友・野口に借金を申し出る。
そして沖縄への修学旅行。彼らはガマに入る。そこで金城さんから、戦時中の体験を聞く。その語りに、澤田さんの沖縄に抱く思いがこめられ、ていねいに語られる。ここも読みどころである。
野口は、ガマで奇怪な行動をとる。その背景には、彼が育ってきた環境があった。父は炭鉱事故で亡くなった。その後野口は祖父とともに生活する。山の中だ。猟をする。そこで野口がアイヌであることが示される。しかし祖父は亡くなってしまう。野口はひとり、働く。そして定時制に通うことになる。
修学旅行から帰って、ミサキは父に連れられて東京へ。そして父に命じられるままに、多額のカネをだす男どもに身を任せる。陰惨としかいいようがない情景が綴られる。借金をつくった父がカネを稼ぐために娘を犠牲にするのだ。
しかしミサキは、ラーメン屋の出前であった正平と逃げる。そして札幌で彼と同棲する。子どもも生まれた。ある日、そこへ瀕死の重傷を負った父がやってくる。ミサキは正平の協力を得て母を探し出す。母がやってきて父を看る。そして父と母は、雪の中に出ていき、父は亡くなる。母は消える。
のち、ミサキは正平と別れて、新しい生活を始める。そして廃品回収業の男と再婚する。幸せな日々が続く。
ミサキは、そういう生活のなか、野口に会いに行く。借りた金を返そうとして。そしてそこで野口に抱かれる。
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ミサキという現代娘を中心として、そこに個性を持った脇役を配し、ドラマティックに展開する。別にそこから何かを感じさせようとするわけでもなく、読む者は、小説の世界に入り込んで、サスペンスのように話を追っていく。なかなかのストーリーである。
澤田さんは、その話の中に、アイヌや沖縄を塗り込め、社会的な思いも描き込む。一度読んだら、忘れられないストーリーである。
あと三作、どんなストーリーなのだろうか。