浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

こりゃ、ダメだ

2014-09-16 07:53:24 | 
 『現代思想』昨年の9月号、特集は「婚活のリアル」である。ボクはこの『現代思想』を購読している。昨日、栗原康氏の論文が掲載されているというので、引っ張り出してきた。栗原氏の論文は「豚小屋に火を放て 伊藤野枝の矛盾恋愛論」である。全文約11頁。しかしその半分以上が、自分自身が結婚を前提につきあった女性との出会いから別れまでの顛末である。

 そのなかに、栗原氏が収入が極端に少ないこと(つまり働かないこと)、奨学金の借金が700万円近くあることを記した箇所があった。そのことは、昨日の講演でも話されていたし、夜行社発売の大杉栄の「評伝」のあとがきにも記されていた。

 彼はいつも「負債」のことを考えているようだ。そしてその「負債」からの解放を願っているが、そこからの解放は絶望的である。その状況が、大杉理解にも反映する。

 栗原氏の論の進め方、そして大杉や野枝に対する評価もワンパターンである。この論文でも、ほとんど自分のことを書いているのだが、野枝の思想について言及したところは、野枝の文を引用し、自分自身の生き方を正当化できるようにみずからの「解釈」を記していく。大杉の評伝でも同様である。

 そしてこの論文の終わりのところで、大杉の「相互扶助論」について言及する。彼は2011年の東日本大震災で放射能を避けて愛知県に逃げるのだが、そこで友人たちの世話になる。自分に焼酎をくれたり、ゆで卵をくれたりしたことを「生の無償性」として、それが「相互扶助」だと「ようやくわかった」ようなのだ。だが、読んでいると彼はいつも一方的に「扶助」され、みずからが「扶助」することはない。「相互扶助」ではないのだ。

大杉や野枝についての「評伝」は、みずからの生と切り離したうえで書かれるべきなのである。


  

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