浜松出身の画家・中村宏が、最近みずからの戦争体験を描きだしている。中村が体験した戦争体験とは、浜松市への空襲であり、また艦砲射撃である。
中村宏は、現在の浜松学芸高校へと連なる学園の創設者家族のひとりである。中村は日本大学芸術学部在学中から社会運動に参加し、美術運動の先駆者ともなった。
1955年、米軍基地拡張反対の砂川闘争にも参加し、それにもとづいて「砂川五番」という有名な絵を描いている。その後も、美術に対する自分自身の見解を次々と明らかにしながら多くの絵画を世に出した。
その見解については、『応答せよ!絵画者 中村宏インタビュー』(白順社)に、嶋田美子の問いに答えるかたちで明らかにされている。それを昨日読み終えたばかりである。
1950年代には、「ルポルタージュ絵画」を提唱し、山下菊二らと行動を共にしている。「一生懸命リアルに描こうとすることがないと、ルポルタージュは本当は成り立たない」と中村は語っている。その後、中村の絵は、「リアル」ではないようなものになっていくけれども、リアリズムは絵画の基調となっているように思う。
中村の絵画は、外側にリアルがあって、そのリアルが中村を通過するなかで、中村の描く絵画へと結晶していくようだ。表現された絵画は、理解を拒絶するようなものでもあるが、観る者が観る、考える、解釈する・・・・というように、リアルと中村、そして鑑賞者が三位一体となって成立するものだ。
そのような画家である中村が、何故にみずからが体験した戦争を描くようになったのか、おそらく「現代」がそうさせたのだろう。
だからこそ今、戦争と画家との関係を見つめる必要があるのだと思う。