昨日届いた『週刊金曜日』(12月13日号)には、裁判所に関する記事が多かった。東京高裁の白石哲、東京地裁の村主隆行、東京高裁の相澤真木、これらの裁判長が、白石哲がすべきことをせずに(違法である)結審させたことを、村主、相澤の両裁判長もその不始末(違法)を追認したことが記されている。裁判長が違法なことを次々と追認するという、裁判所の無能ぶりを記していた。手続き法を踏みにじった行為が平然と行われたことに、わたしも呆れかえった。
全国の医師、歯科医師による「マイナンバーカードを使った健康保険のオンライン資格確認を義務づけられるのは違法」だとして、東京地裁に訴えたのだが、裁判長・岡田幸人が請求棄却した。この訴訟は、当然原告が勝訴すると思っていたのだが。
裁判所の位置が、行政の追認組織となっていることは、もうふつうのことになっているように思う。1970年代、極右の石田和外が最高裁の長官になってから、裁判機構をひどく右傾化させ、強権的に司法の独立を奪った。それ以降、裁判所の右傾化が続き、裁判所の本来の役割が失われていった。
そしてそのなかでも、数少ない良心的な裁判官、上昇志向をもたない裁判官がいた。それが、西川伸一の「政治時評」で紹介した、もと裁判官・木谷明であった。
残念ながら、どこの組織でも同じだが、良心的なそういう人間は少ない。しかし、そういうマイノリティがわたしたちの道行きを照らすのだ。