浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2012-08-08 18:55:43 | 日記
 一泊二日で、川根に行った。川根は、大井川沿いにある。悪名高き「平成の大合併」前は、川根町、中川根町、本川根町という町があった。今は川根町は島田市に併合され、中川根と本川根は合併して川根本町になっている。それぞれの町は、大井川と森林に囲まれた穏やかな地域である。

 これらの町を、大井川鉄道が通り、そこではSLを走らせているから、SLが走ることでよく知られている。また川根本町の奥には寸又峡温泉がある。ここの「美人の湯」といわれる泉質はすばらしく、ゆったりと落ちついて入湯するには最適の温泉地である。6月には、私は友人と寸又峡温泉に宿泊したが、肌をなめらかにする泉質を絶賛していた。

 ところで、昨日は茶銘館を訪れた。川根は大井川の自然のなかに生まれた茶の産地である.私もお茶は「川根茶」しか飲まない。「川根茶」は、プライドをもってその品質を維持しようとした努力が歴史的に証明されている。「川根茶」のそのシンボルが茶銘館である。

http://smile.town.kawanehon.shizuoka.jp/chameikan/chameikan.htm

 お茶、というのは不思議な飲み物で、湯の温度や湯を入れた回数で味が変わる。それを体験させてくれるのが茶銘館である。

 またお茶は健康によいことが証明されている。夏になると私も急須に入れてお茶を飲むことが少なくなるが、できるだけ飲むようにしたいと思っている。

 静岡茶のなかの茶、そういうブランドとなっている「川根茶」。川根路を訪ねるときは、茶銘館を訪れてもらいたい。
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「黒い雨」

2012-08-07 11:01:47 | 日記
 昨日、NHKスペシャル『黒い雨』をみた。日米両政府は、戦後一貫して放射能被ばくをできるかぎり過小評価しようとしてきた。とくに残留放射能や低線量被ばくについては無視ないし軽視し、ヒバクシャ援護についても、爆発時の強烈な初期被ばくのみをその対象としてきた。

 アメリカの核戦略に従属してきた日本政府は、ヒバクシャの救済援護という視点ではなく、アメリカの核戦略に貢献するためにABCCに協力し、その後継組織である放影研もその立場を維持してきた。

 この『黒い雨』は、ABCC(放影研も)が残留放射能や低線量被ばくについて調査し、その記録があるにもかかわらずそれを追跡せず、また公開もせずに放っておいたことを静かに告発する。

 福島の事故による放射性物質の拡散と被ばくについては、被爆した人々の健康と精神的なケアをするために、どうしたらよいかという観点から資料を集め、分析していかなければならないのに、放影研はそうしたことをやるつもりはないようだ。ABCCがヒバクシャをモルモットにしたように、福島のヒバクシャについてもそうした姿勢で臨むようだ。

 日本政府や、その意志をていして動く医学者たちは、再び反人道的な対応をしている。こうした動きを、世論が包囲していかなければならないとおもう。

 http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/f34b1e6a374ff5dc0134df765e8d8c92
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蝉の目覚まし

2012-08-05 12:19:00 | 日記
 朝、蝉がうるさいほどだ。その音で目が覚める。しかし時間が経過すると、蝉の音は聞こえなくなる。いつも朝がすごい。

 雨が降らない。私の家のまわりには、百日草やチトニアなどが咲き乱れている。花壇だけでなく、鉢植えも多く、毎朝水遣りに時間をつかう。風が強いと、夕方にも水遣りをしないと、花々はぐったりとする。

 昼間、我が家ではエアコンを使用せず、扇風機で暑さをしのぐ。夜も、寝室にはエアコンがないので扇風機で頑張っている。

 夕方から寝るまで、エアコンのなかにいる。そこで本を読むのだ。

 最近『g2』(講談社)という雑誌が発売されているのを知り、その第10巻を購入した。ノンフィクションを集めたものだ。講談社は、もう廃刊されたが『現代』などの月刊誌などでノンフィクションものを載せていたが、それらがなくなったので、こういう雑誌を出したのだろう。

 これがなかなか面白い。もちろん、なんだこれはと思うような、冴えないものもあるが、概して面白い。

 まず佐野眞一の「「木島佳恵裁判」全傍聴記」。ワイドショウではおそらく長時間割かれたのだろうが、見ていないので、詳細は知らなかったが、これを読んでほぼ全体像をつかむことができた。しかしそれでも、なぜ男たちがあのような女にだまされたのか、と思ってしまう。

 それに続き、マレーシアで覚醒剤密輸で死刑判決を受けた「死刑囚・マリコ」、鳥取でおきた連続6人不審死事件についての「ドン底」、これも女が犯人とされている。男たちが次々にこの女の引力にまけてくっつき、そして死んでいった。

 ふーんと思いつつ、読んだが、木島にしても、この女にしても、よくわからない引力が備わっているのだろう。

 そのほか、「貴方の知らない「子どもの食卓」」、「子どもたちの被ばくをとめて!」、「ネチズムは拡散する」が面白かったし、勉強になった。

 現代社会は、ぼーっとしていると見えないものを、こういう雑誌から情報を引き出すことも重要であると思う。フツーに生きていれば見えないものが多すぎる。見なければならないものを、金をつかって可視化しないと、だまされ続けてしまう。

 生きやすいようでいて、かえって生きにくい時代。だからこそ、生きやすい世の中をつくらないと。

 蝉の音で始まる一日。読書が進む。

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【本】野見山暁冶・窪島誠一郎『無言館はなぜつくられたのか』(かもがわ出版)

2012-08-04 16:54:47 | 日記
 信州上田に「無言館」という美術館がある。私はまだ行ったことがない。

 そこは、戦没画学生の絵が展示されているところだ。美術を志し、しかし戦争によりそれが中断させられ、戦地で命を落としていった画学生。

 戦地に行く前に、彼らは必死で絵を描いた。その絵は、まだまだ完成していないかもしれないが、絵を描きたいから必死に描いた。戦場から、かれらは帰ってこなかった。

 遺族たちは、その絵を遺品として遺していた。画家の野見山と信濃デッサン館館長の窪島が、それらを収集し、無言館に集めた。

 その経緯を、野見山と窪島が語り合った。対談だから、読みやすいし、そのなかにいろいろ含蓄のある話がちりばめられている。

 その一つ。最近、画家を目指す若者から「何を描いたら売れますか」などと問われるそうだが、画学生が描いた絵には、そういうアホな気はまったくなく、描きたいという「絵を描く原初の魂」があるという。「絵が描けて嬉しい、描きたい」という「原初の魂」があるというのだ。これは野見山の絵と通ずるところがある。

 そしてもう一つ、絵を描く時、対象としての人物や自然でも、とにかく絵を描いている時には、描く対象を愛しているのだ、という指摘。

 そして野見山の後書き。

「生物はすべて戦って生きている。人間は他の生き物とは違う崇高な理想を掲げながら、もっと醜い殺戮を繰り返す。その道具ばかりが、協力に開発されていく。永劫に動かない無言館の死者の眼差しが、他愛なく時代に押し流されていく僕たちを、じっと見つめている」

 近日中に、訪問するつもりだ。
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4000人?

2012-08-04 08:48:08 | 日記
 昨日東京で、国会や首相官邸前で行われている原発政策に抗議する金曜日行動に参加した。坂本龍一さんなども参加した抗議行動は、多くの人が入れ替わり立ち替わり参加していた。

 私たちは5時半頃7時過ぎまで参加したが、子ども連れの家族なども多く参加し、私は国会議事堂前の歩道の植え込みのところにいたが、参加する人々でいっぱいだった。

 おそらく首相官邸前にはもっと多くの人がいたはずだ。

 しかし、警視庁の発表は、参加者が4000人だと。ありえない数字だ。主催者発表は8万人。警視庁は明らかに過小評価しようとしている。

http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1415

ボクは、ここが近かったなら、毎週参加したいと思った。反原発は、人間としての本源的な願いである。それが、ここに集った人たちの共通の思いである。
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【映画】オレンジと太陽

2012-08-01 21:03:28 | 日記
 午後一時からの「オレンジと太陽」を見に、シネマイーラに行った。今日はなぜか人が多かったので、係員に「今日は多いですね」と尋ねたら、「今日は映画の日で、料金が安いのです」といわれた。そうだったのか。

 さて、この映画は、イギリスの有名なケン・ローチ監督の息子、ジム・ローチが監督したもの。ケン・ローチの作品はすべて社会性と批判的精神に富むものだが、息子のも批判精神にあふれたものであった。

 約13万人の子どもたちを、イギリスからオーストラリアに秘密裡に移民させた事実を、ひとりの女性ソーシャルワーカーが、それを隠したままにしておこうという権力者たちの妨害をはねのけて明らかにしていく、というものだ。

 その原動力は、幼いときに親と引き離され、親も知らないままにオーストラリアへ連行され、迫害を受け虐待された子どもたちの、「私は誰なんだ?」という問いに誠実に応えようという女性とその家族のヒューマニズムだ。

 これは「強制連行」でもある。国家というものは、あるいはそれを支える教会などの権力組織は、こういう無法を平気でやるのだ。どの国家も変わらない。

 106分の間、少しも飽きさせずにぐいぐいと引っ張っていくジム・ローチ監督の手腕はなかなかのもの。今後も、こういうような作品をどしどし提供して欲しい。

 8月10日まで上映中。

http://www.oranges-movie.com/column.html
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苦難は知と行動によって・・

2012-08-01 10:45:58 | 日記
 友人が今、三日間ベッドの上で少しも動いてはいけないという手術に挑んでいる。寝返りも打ってはいけないという苦難に、友人は耐えなければならない。しかし、その受苦は、その効果を知ったが故にある。

 釈迦が言うように、生きていくことは、苦難である。しかしその苦難を乗り越えさせるのは、知と行動である。

 昨日から湿度がさがり、気温は高くてもそんなに不快感は感じられない。こういう日々は、読書が進む。昨日は『「東京電力」研究 排除の系譜』(斉藤貴男、講談社)を読み終えた。なかなか焦点が定まらない内容ではあったが、記述の中には参考になるものもあった。

 今日は、大江健三郎の『定義集』(岩波書店)を読んでいる。図書館から借りたものだ。世界的な作家である大江の書く短い文章には、古今東西の知が詰まっている。作品を生み出す背景には、古今東西の知がある。

 私もなんらかの論文を書く場合は、膨大な文献を渉猟し読み込み、みずからの脳の中で熟成させ、そして文としてアウトプットしていく。それなしに創造的なものは生産できない。

 この『定義集』の各所で、立ち止まってしまった。

 金井利博氏のことばを引用してではあるが、「世界は原爆を威力として記憶しているか、人間のこうむった悲惨として記憶しているか?」に深く感じ入った。

 残念ながら、日本の為政者の脳裏には、前者しかなく、それが原発維持政策につながっている。

 また「あいまいな言葉によって権力が(外交関係で言えば強い国が)積み上げる既成事実に対しては、明文化しうる言葉によって民主主義的に抵抗する声をひたすら持続するしかほかにありません」(207頁)に、大江の現実問題に切り込む姿をみた。

 この本を読みながら、私はみずからの思惟の背後にある知の欠如に気づき、また行動においてもその少なさに恥じた。

 今静岡文芸大の2年生になっているIさんが友人たちとフクシマに行き、その現実をまざまざと認識したその姿を、テレビでみた。Iさんは私の補習を一番前で聴いていたひとり。3日にその報告会が行われるという。参加したいと思ったが、私は東京に行く。首相官邸周辺の抗議活動に参加するつもりだ。

 知と行動こそが、現実を変革する力となる。Iさんに負けてはいられない。


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