浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「維新」議員の放言

2019-05-13 19:47:06 | 政治
 「維新」の議員は、バカが多いようだ。「北方領土」を取り戻すための手段として「戦争」することを口に出したという。

 「戦争」することを口に出すこと自体問題であるが、だいたいにして、ロシアと日本が戦争すれば「北方領土」はかえってくるのか。そのためには勝つしかないのだが、それはあり得ない。

 丸山穂高という議員の低劣ぶりが明らかになった。前々からそういう人物だと思っていたが。


維新・丸山議員、国後島で「戦争しないと、どうしようも・・・」

 話しぶりも軽薄そのもの。
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学会での盗作、捏造

2019-05-13 09:41:00 | その他
 学問研究というのは、あるテーマで研究されてきた蓄積の上に、新たに多少の知見を加えるというものが多い。テーマに関する研究をひたすらみずからのものにして、その研究史の上に自らの知見を加えるだけである。それゆえ、他人の研究が前提として存在し、その上にみずからの研究があるわけだから、どうしても他人の研究に依拠する部分が多くなる。その場合、誰がどういう研究したのか、依拠する文献や資料を丁寧に紹介していかなければならない。引用する場合は、それが誰の何という著書・論文なのかなど、論文を書く場合の作法というものがある。その作法を守っていれば、盗作問題は起こらない。

 しかしなかには、他人が書いたものを、あたかも自分が研究したかのようにしてしまう研究者がいる。そういうひとは、実はあんがい多い。マイナーな内容だったら、それに気付くひとが多くないからだ。

 論文の作法で守られていないものの一つに、事実を確定した場合の典拠資料をその都度提示せずに、文末に一括してこういう資料や本を参考にしたと掲示してあるものがある。しかしこれはよくない。それぞれの事実を何によって確定したのかが明らかでないと検証できないからだ。学問研究は、他人によって検証されなければならない。その検証作業をしやすいようにしなければならない。

 私は最近は先端的な研究をしてはいないが、以前、あるテーマでいろいろな先行研究を読みこんでいた時、それぞれの事実確定について資料的根拠をまったく記していない論文があった。私はそれを先行研究からはずした。その論文に依拠して何ごとかを主張した場合、その根拠が不明となってしまうからだ。検証ができないのだ。

 さて東洋英和学院の前院長が、みずからの著書で捏造をくり返していたことが判明した。信じられない所業である。

 依拠した資料を捏造していた、というのだ。政界、官界で行われている捏造が、学界にも飛び火したのである。

 しかしこの所業、私にはまったく理解できない。盗作ではなく、みずからの主張を裏付ける資料をかってに捏造する、というあり得ないことをやっていたのだ。そんなことまでなぜしたのか。深井智朗(ともあき)という人物に尋ねてみたい気がする。

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「大阪都構想」

2019-05-12 10:43:36 | 政治
 大阪の方々は、新自由主義の経済政策の中で大阪など関西地方が経済的に地盤沈下していることに対する憤懣から「維新」という口先だけの政治勢力に票を投入しているようだ。しかし冷静に維新の政策をみれば、大阪市民のクビを絞めるようなものばかり。殴りかかってくるひとを支持するという、驚きの構図である。

 その「維新」を支持する府民、市民が多いことから、自民党大阪も公明党も、「長い物には巻かれよ」の如く、「維新」の政治になびいていく。

 大阪の自民党、公明党、いずれも府民、市民のことなんか放り出し、自党議員の当選や勢力拡大のみに走る。「維新」支持者が多ければそちらへ、そうでなければ逆方向へ。
 創価学会・公明党は「王仏冥合」方針の下、政治権力とつながっていないと利権にありつけないから、強い勢力にいつも寄り添う。寄生勢力である。

 とかく政治の世界は醜い。さらに醜さを増すのが、お金の問題。府財政や市財政の金をどのように分捕るかのせめぎ合いが激しくなるだろう。

 『朝日新聞』コラムに「政治家が操る「夢と嘘」」があった。編集委員・福島申二さんの文である。

 文中、加藤周一氏の『夕陽妄語』から、「天下国家の安泰は、みだりに嘘をつかぬ政府によるところが大きいだろう。その次には、むやみに嘘をつくが、自らはそれを信じない政府。最大の危険は、その現実判断が自らの嘘から強く影響される政府である」を引用している。アベ政権は、言うまでもなく「最大の危険」である。「噓」をつくりだして、それに基づく政治を行う。

 福島さんのこのコラムの末尾は、「うそつきは逃げていっても、うそが生んだ現実が人を苦しめることになる。」である。アベ政権下では全国がそうなっているが、大阪はさらに激化することが予想される。好きな言葉ではないが、「自業自得」、だまされた者が悪い?

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テレビを捨てること

2019-05-12 08:14:16 | メディア
 メディアの政治権力へのすり寄りが問題となっているが、そのテレビに出演するタレントのすり寄りが目立っているという。所詮タレントはタレントである。「長い物には巻かれよ」という姿勢でないと喰っていけない。とりわけ、アベ政権はみずからにすり寄ってくる者どもにエサをまく。そのエサが欲しくてさらに多くのタレントたちがすり寄っていく。

 タレントとはそういうものなのだ。だからタレントが出演するテレビなんか見なければよい。精神的に安定するだけでなく、その時間書籍に親しめば知性の向上も図られるというものだ。

“TOKIOが安倍首相と会食”で露呈したジャニーズ情報番組進出の危険性! ジャニーズタブーに守られ政権と癒着し放題
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元号のこと

2019-05-11 23:59:07 | 社会
 作家の金井美恵子さんが、『朝日新聞』に「蔓延した「平成最後の…」元号そんなに身近?」を寄稿している。これがまた秀逸。

 明治・大正・昭和と続いた個人の死による元号の変化が、近現代史を語る時に使用されはするものの、今日ほとんどの者は、日常的にも歴史を考える時にも元号を使うことはないはずである。

 この原稿が掲載されている紙面の上方を見れば、太ゴチック体の西暦の年数の後のカッコ内に、とりあえず、一応といった目だたなさで元号が記されていることからも、使用頻度がわかるというものだろう。元号を使用した時間的感覚のわかりづらいニュースを伝えるのは、NHKと産経新聞のニュースだけではないだろうか。


 で始まるのだが、NHKと産経新聞を、元号使用で同じ穴のむじなであることを記しているのが小気味よい。

 しかし驚くのは、『文藝春秋』5月号で、現代詩人が前時代的な文で、前皇后を讃える文章(それが引用されている)には、唖然とした。

 「私たち日本国民はなんという優雅で深切(しんせつ)な国母を持ち、皇室を持っていることか、と幸福な思いに満たされ」(高橋睦郎)、もう一人の詩人は、女たちが蚕のそばで暮らしてきた何千年もの歴史をふまえて「蚕の命にまで耳を澄ませ」「万物の立てる響きにお心をお寄せになる皇后陛下の詩心はとても深い」(吉増剛造)と讃美(さんび)する。

 詩人は、こういう語彙を使って「讃美」するのか。私には、「酸鼻」にしかみえないのだが。もちろん金井さんは、私と同意見のようだ。
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スズキの減益

2019-05-11 23:19:59 | メディア
 スズキが三月期決算を発表し、謝罪もしたそうだ。当たり前だ、ブレーキ検査で不合格にすべき車を合格として販売してしまったのだから。

 スズキの不正の背景には「少人」という方針がある。できるだけコストを下げるには、働くひとを減らすことだ。それが徹底される中で今回の不正が行われた。それも30年以上のあいだ。

 「少人」という経営方針による減益であるから、その責任は役員たちが負うべきである。報酬を全て返上するくらいのことをすべきである。まさか働く人びとにしわ寄せするようなことはないだろう。

 これを報じる『中日新聞』記事は、スズキに対して、「国内の品質確保とインドでの成長の両立へ。誤りのないかじ取りを求められる一年になりそうだ。」で終わる。

 これに対して『静岡新聞』記事は、「都内で記者会見した鈴木修会長は検査不正について「お客さまや取引先、全ての皆さんにご迷惑を掛けたことを心からおわび申し上げる。責任を重く受け止めている」と謝罪した。」で終わる。

 『中日新聞』の立ち位置は、スズキに親和的である。

 スズキの労働者、きちんと連休は休めただろうか。
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ニトリという会社

2019-05-11 23:14:08 | 政治
 ニトリという会社って、そういう会社だったのか。

「切り売りされる北海道」鈴木直道・北海道知事に届かなかった夕張市職員の警告
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『世界』

2019-05-11 22:55:02 | 
 昨日『世界』六月号が届いた。いつもまず「メディア批評」を読む。最初の項目が「元号決定狂騒曲」である。元号、元号と「4月1日は、テレビというメディアが思考停止した日だ」とある。もちろんそのテレビでどういうことが報じられたかが記されているのだが、見なくてよかった、と思うような代物だ。

 テレビがないということは、精神を安定的に保つ秘訣となっている。

 NHKの狂騒曲についても記されているが、アベの広報官・岩田明子はもちろん事前に新しい元号を知っていただろう。もちろんNHKもである。

 アベはべったりとくっついてくる者どもに、「褒美」を与える。その「褒美」が欲しくて、様々な輩が動き回る。

 日本人の品性は下劣になった、というしかない。

 批評子がほめていた『信濃毎日新聞』の5月2日の社説。


皇位継承の儀式 憲法に沿っているのか

 天皇陛下がきのう、即位後、初の儀式となる「剣璽(けんじ)等承継の儀」に臨まれた。
 皇室のしるしとされる三種の神器のうち、剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))を引き継ぐ儀式である。

 三種の神器は神話上、皇室の祖とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)から授かったと伝えられる。皇室の正統性を示す重要な儀式という位置付けだ。

 この儀式を政府が国事行為としていることには批判が根強い。

 政府は三種の神器を「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」とする。宗教的意義を有せず、憲法が定める政教分離の原則に違反しないという見解だ。
 これには無理がある。三種の神器が神話上の世界観である以上、宗教性は否定できない。
 儀式の位置付けからも、国事行為とするのは疑問だ。憲法では、天皇の地位は「主権の存する国民の総意に基づく」と規定されている。皇室の正統性や継承の根拠に三種の神器を持ち出すのは、憲法の規定や精神と合わない。

 出席できる皇族は成年男性に限定された。秋篠宮さまと常陸宮さまの2人だけだ。

 男女平等は憲法で保障される。国事行為とするのなら憲法の趣旨に合わせるのが当然だ。男性皇族しか出席できない儀式では、国際的な理解も得られまい。
 政府の検討段階では、有識者から異論もあった。それなのに政府は前例踏襲として押し切った。
 皇位継承権のない女性皇族の参列を認めると、女性・女系天皇や女性宮家創設などの議論が再燃すると懸念したとみられる。安倍晋三首相はこれらに否定的だ。支持基盤である保守層が反対している影響もあろう。
 皇族減少の対策は喫緊の課題で、男女同権の観点からも検証が必要だ。承継の儀は議論のきっかけになったはずだ。
 皇位継承に関係した国事行為の儀式は今後も続く。10月には即位の礼の中心的儀式となる「即位礼正殿の儀」が行われる。高さ1メートル以上の玉座から陛下が首相らを見下ろす。国民主権の観点から疑問が出ている。

 11月の大嘗祭(だいじょうさい)も懸念がある。国事行為には位置付けないものの、費用を国費で支出するのは政教分離に違反する可能性がある。

 政府はいずれも前回踏襲を決めている。十分に検証せず、国民に意見も聞いていない。これでは問題の先送りにすぎない。

 政府は、皇室が時代に合わなくなれば国民の支持が離れていくことを忘れてはならない。

(5月2日)
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記者たちの姿勢

2019-05-11 07:53:46 | メディア
 最近の記者たちは、権力にはおもねり、そうでない人には居丈高に振る舞う、およそ正義の味方、弱者の立場に立つという姿勢ではない。

 菅官房長官その他政治権力者の記者会見では見ていられないほどへりくだり、大津で交通事故に関する保育園の記者会見では、精神的にきわめて動揺している園長にことさらに質問する。

 私はその記者会見をネットでみたが、園長さんに質問するのではなく、理事長らに質問すべきだと思った。園長さんへの思いやりが、記者にはまったく感じられなかった。

 こういう記者が増えているから、最近のメディアはつまらないのである。社会の公器ではなく、広報宣伝機関という機能しかもてなくなっているのだ。

大津・園児死亡事故でのマスコミ批判。佐々木俊尚さんは「報道側も世間に晒される時代になったと認識を」
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テレビの視聴を拒否しよう

2019-05-10 08:44:29 | メディア
 いよいよテレビ業界がその本性を露わにしてきた。その本性とは、金もうけのためならなんでもやる、ということだ。社会的正義とか、公平とか、そういうことは無視。

 放送法にはこうある。

第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。


 民放連は、この放送法の「目的」を足蹴にするようだ。

 もうテレビは放逐しよう。

テレビ局が憲法国民投票のCM規制を拒否した裏! 金欲しさに公平性無視、安倍自民党の「改憲CM」大量放送に全面協力
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経産省の闇

2019-05-09 16:23:19 | 政治
 経産省は、メディアに秘密事項がとられないように部屋に鍵をかけているという。となると、部屋の中では何でもできてしまう。覚醒剤の注射も。

経産省キャリア、省内で覚醒剤使用か 注射器を押収

 日本の政治中枢は、腐っている。
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「維新」という政党、こういう人の集団ではなかったですか?

2019-05-09 09:00:23 | 政治
「女が完全にとち狂って本能に支配され切って完全にクルクルパーにならないと子供産もうなんて思わない」維新の長谷川豊参院選候補の発言が話題に

 思慮もなく軽薄な思いつき発言を行う人びとの集団が「維新」という政党だと私は思っている。大阪の人びとも、そういう人が多いのかな?
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障害者のこと

2019-05-08 22:56:18 | 社会
 こんなビデオをみつけた。

相模原連続殺傷、被告との対話 なぜ障害者ばかりを?

 「役に立つ」か「役に立たない」か、その基準をつくって植松被告は、障害者を殺害した。そんなことに関係なく、人間は生きる權利がある。人間の尊厳とは、生きているだけで価値がある、というものだ。その考えを否定するところからファシズムは生まれる。

 この問題は、考え続けなければならない。
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交通事故

2019-05-08 22:28:51 | その他
 痛ましい交通事故が続く。87歳のもと高級官僚がおこした事故は、容疑者とも呼ばれずにいつのまにかニュースの渦の中に消えていった。

 そして昨日は飲酒運転とパトカーの追跡をかわすために猛スピードで軽自動車と正面衝突し、働き者の父親を奪った。

 亡くなられた方へ哀悼の意を表するとともに、加害者への怒りをもった。

 そして今日、大津市で保育園児の集団に軽自動車が突っこみ、二人の子どもが亡くなり、多数のけが人が出るという事故が起きた。この場合は、なくなった子ども、その家族の悲しみはいかばかりかと心から同情するが、加害者の二人の女性に対しては怒りは出ない。事故の原因の詳細はいまだ明らかではないが、普通に運転していてそういうことはあり得るとおもうからだ。

 車は凶器であるという認識をもって運転しなければならないとつくづくと思う。スピードを出さない、車間距離を十分にとる、無理をしない・・・・等々、いろいろ考えさせられた。

 ついでに記しておく。ネットで、保育園の理事長や園長の記者会見を見たが、記者の園長さんに対する心ない質問には不信感をもった。



コメント (1)
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テレビ朝日も、国営放送へ

2019-05-05 23:27:41 | メディア
AbemaTVが菅官房長官と杉田水脈のヨイショ番組タレ流し! 取材はテレ朝政治部、放送法逃れの政権PR

 テレビの社会的意義は、どんどん消えていく。
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