浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「空気」を破壊するパワー

2019-05-21 07:46:24 | 社会
 『朝日新聞』に「退職願2度認めず→突然の解雇通告 その日に命絶った夫」という記事があった。リードは、「男性(当時46)が自殺したのは職場でのパワハラが原因だったとして、男性の妻らが勤務先の給食センターを運営する「エイエスワイ」(青森市)に損害賠償を求めた訴訟が15日、仙台高裁で和解した。同社は解雇により男性に精神的苦痛を与えたことを認め、妻らに和解金2400万円を支払う。給食を作ることが大好きだった夫はなぜ自殺したのか。悲しみを抱え続けた妻が、胸中を明かした。」である。

 「原告らによると、自殺したのは平内町の花田司さん。勤務先のエイエスワイは当時、平内町から委託を受けて町内の学校給食の調理や輸送をしており、町の職員がセンター長を務めていた。花田さんは1999年から勤務し、2012年からは主任を務めていた。

 14年、従業員同士で無視し合ったり従業員が花田さんに反抗的な態度をとったりするようになり、花田さんは会社に改善を求めた。しかし、従業員と面談した社員は花田さんが女性従業員と交際しているなどのうわさを聞いたとして、事実関係を確認しないままに花田さんに注意したという。その後、数人の従業員が退社した。

 従業員の態度はその後も改善されず、花田さんは食欲が減ったりめまいを訴えたりするようになった。花田さんは2度にわたり退職したいと会社に申し出たが、認められなかったという。ところが15年6月12日、花田さんは会社から「多数の人員異動の原因を作った」として、即時解雇を言い渡された。

 その日の夕方、花田さんは自宅で命を絶った。」

 ここに悪しき日本社会の特質が見える。
 一定の集団に、ある「空気」が醸成されると、集団の構成員はその「空気」に支配される。どんよりとした「空気」が集団を覆う。他に数人の従業員が退社していったというから、花田さんだけがその「空気」を感じていたわけではなさそうだ。花田さんと彼らとの違いは、彼らが退社していったことだ。花田さんは「退社できなかった」。
 しかし「退社できなかった」ということは、現代日本社会では法的にはあり得ないはずなのだ。「退職の自由」は権利として存在している。退社を通告するだけで、それは成立する。それができなかった、ということは、そのエイエスワンという会社がいわゆる“ブラック企業”であるということであり、トップが町の職員なら、その町役場も“ブラック”であったということである。
 花田さんは仕事が好きであり、また「主任」という立場であった。その点で責任感を強く持っていたのだろう。「退社」できなくとも、行かないようにすればよかったのだが、花田さんはそれができなかった。

 職場に醸成された「空気」を誰も破壊しようとしなかった。破壊するべきまず第一の当事者は経営者でなければならない。しかし、経営者はそういうことに無頓着である。日本的風潮、「波風を立てたくない」があるからだ。この場合の経営者は町の職員。役場のひとつのポジションとしてその職はあり、「波風」が立てばその後の彼のポストに傷が付く。だから見て見ぬ振り、改善に手をつけない。

 そういう「空気」をまったく顧慮しない従業員が二人くらいいれば、と思う。私は「出る杭は打たれる」に対して、「出過ぎた杭は打たれない」という考え方で生きてきた。もちろんそういう生き方は「出世」とは無縁である。しかしこれほど自由な生き方はない。

 以前、東日本大震災で津波に遭って多くの子どもの犠牲が出た石巻市の大川小学校に行ったことがあり、その経緯を調べた時、私がいれば救えたと思った。校長が不在という中で、教員等が校庭でどうしようかと思い悩んでいた、すぐそばに山があるのに、津波が到来する直前に川の方に向かっていくという謝った判断をしたのだ。誰も判断をしないという「空気」。責任をとりたくないからだ。山に逃げようという意見があったがそれは採用されなかった。山に逃げた人だけが助かった。どんどん子どもを山に逃がせばよかったのだ、子どもがケガをしたらごめんなさいすればよい、死ぬよりかずっとマシだ。

 ある種の悪しき「空気」を破壊するパワーを持つべきだ。あるいはそこから脱出する「勇気(?)」を。悪しき「空気」の下で、善人ぶることはない。

 良き人であった花田さん。責任感が強い善良な性格であったために死に追い込まれた。闘うことができなかった。闘う組合(仲間)があれば違っていたなあ。いまは、闘う組合はほとんどなく、残っているのは「御用組合」だ。こういう時代、個人が強くならなければならない。「出過ぎた杭は打たれない」のである。それもまた日本社会の「空気」である。

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「無知の力」

2019-05-20 19:59:26 | 政治
 
「エタ・ヒニンは十何人で暴行する犯罪のプロ」維新の長谷川豊参院選候補の発言が再び話題に

 「無知」であることを力にしている政治家候補。
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【本】後藤正治『天人 深代惇郎と新聞の時代』(講談社文庫)

2019-05-19 22:43:10 | 
 電車に乗る時には、必ず新書か文庫を持参する。しかし、電車の揺れはなぜか眠りを誘う。本を開いても、いつのまにか目が閉じてしまう。しかしこの本の場合、私の眼は、眠気を吹き飛ばしながら活字を追い続けた。後藤の筆録と、深代惇郎という「天声人語」を書いていた人間の魅力、この二つが私を眠らせなかった。
それほどの内容をもつ。

 内容は多彩だ。もちろん深代が中心ではあるのだが、その周辺に配された人物も魅力溢れる者たちである。「新聞記者が好きです好きでたまらない」という共通意識がありながら、その現れ方はまったく個性的で、その個性と個性との接触が、この本の面白さでもある。本書に紹介されている記者たちに、今どきの記者に見られるヨコ並びの思考はない。
 したがって本書は、新聞記者論でもあり、同時にジャーナリズム論でもある。

 そして深代が朝日新聞を代表する文の書き手であるが故に、文章論にもなっている。深代のような文を書くために必要なことは、「人に会うこと、本を読むこと、深く考察すること」であり、またひとり旅も付け加えられる。

 この本を読んでいて、いま私が描こうとしている竹久夢二と深代とがつながるような気がしている。それは寂しい人であったということだ。本を読んでいる時、頭の中では、その人のイメージを思い浮かべる。深代の場合は、夜の街をコートを着てひとり歩いている、その背後から冷たい風がついて回る、というものだ。夢二も、同じように、絵かきの道具を持ってひとり静かに歩む姿だ。いろいろな交友関係はあったとしても、心はいつもひとり。そしてふたりとも余分なことをしゃべらない、どちらかというと寡黙な人だったようだ。

 昨日昼頃届けられた本であるが、一気に読んだ。約500頁の本である。読まなければならない竹久夢二関連の本は、この本に押しのけられてしまった。
 
 
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2019-05-19 10:57:01 | その他
 研究会終了後、台湾料理店で懇親会をもつ。なぜ台湾料理店かというと、そこは酒が安いからだ。安い酒、このことばを酒飲みはことのほか好むようだ。はじめて懇親会に参加した方に、酒豪のひとりがなぜこの店かを説明する時、必ずこのことばが発せられる。▲私は酒が飲めない。父方の系統が皆飲めない。むろん、飲もうと思えば飲めるが、しかしものすごく弱い。以前組合の仲間と宴席を持ったことがある。始まって1時間も経たないうちにトイレに行きたくなった。宴席を離れてトイレに向かったことまでは覚えているが、その後の記憶はない。気がついた時には、自宅の蒲団のなかにいた。その間、同僚が救急車かタクシーで夜間救急に運び、タクシーで自宅まで送ってくれたという。後日、夜間救急に支払いに行ったが、まったく覚えていない。私は頭を打ち、10針くらい縫われていた。▲酒を飲むということを知った学生時代から、私は、飲めば強くなるということばを信じてよく飲んだ。しかし少し飲むだけで顔は真っ赤となり、心臓の鼓動は激しく打つ。そして眠気に襲われる。そういうことをくり返していた。しかし、この事件を契機にして、酒に強くなろうという気持ちはなくなり、いつのまにか全く飲まなくなった。私の体質にはまったくあわないのだ。▲いま「天声人語」を書いていた深代惇郎の評伝を読んでいるが、深代はいろいろな人びとと酒席を共にしている。みずからの脳を活性化させるためには、外からの刺戟が必要だ。本を読むこともその一つであるが、他人の話を聞くことも刺戟となる。他人の話しを聞く際にその潤滑油となるのが酒である。▲酒を飲まないと、他人の話しを聞く機会が少なくなる。好きでない酒を無理して飲むのであるから、特定の人としか会わなくなる。かくて交遊関係は広がらない。▲酒は「百薬の長」と言われるが、酒自体ではなく、酒を介して他人との交友関係をつくりあげるに価値があるように思われる。昨日、私は酒を飲まずに、人びとの話に耳を傾けていた。酒を飲まずとも、酒席にいればよいのである。

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本を読めること

2019-05-19 07:49:00 | 
 私の知人、すでに80代に突入した歴史学者であるが、近年は本を読めないと言っている。本を読めなくなると、創造活動が停滞する。何ごとにつけてもだろうが、インプットにより知的な刺戟が入らないと、脳の活力が減退する。▲一昨日、YouTubeのデモクラTVで、佐高信ともと朝日記者の早野透の対談を見た。そのテーマは『天人 深代惇郎新聞の時代』(講談社文庫)をもとに、深代について語り合うというものだった。深代は朝日新聞の「天声人語」を書いていた。40代の頃だ。その文が光っていた。視野が広く、明晰であり、しかも柔軟な思考、そしてユーモアがあった。もちろんその時代のあり方にビシッと批判もしていた。言葉というものが力を持った時代であった。いや単なる言葉ではなく、そういう文が力を持っていた時代である。しかし深代は46歳で亡くなった。白血病がいのちを奪ったのだ。▲「天声人語」は、朝日新聞のなかでも、名文家といわれる者が書いているのだろう。しかし、とはいっても、書く人によって優劣は出て来る。朝日新聞を購読しているときは、「天声人語」を真っ先に読んでいたが、ある時期、筆力が落ちたなあと思うことがあり、それ以降は熱心な読者を卒業した。今は朝日を購読していない。毎月980円を払ってネットで記事を読むことが出来るようにしているが、「天声人語」は読んだり読まなかったりである。▲しかし深代の「天声人語」は、読まさずにはおかないという迫力があった。その迫力は自ずからにじみ出てくるものであって、努力して出て来るものではないだろうが、そうはいってもインプットがないとフレッシュな文は書けない。深代は若い時から、すごい読書家であったという。「天声人語」を書いている時も、おそらく厖大な書物に接していただろう。この『天人』にもそうした場面がでてくる。記者クラブで他の者が麻雀や花札をしている時も、ソファに横になって文庫本を読んでいたという。▲その深代を描いた『天人』、昨日届けられた。昨日は静岡市で研究会があり、電車の往復にこの本を読んだ。著者は後藤正治であるが、私は乗っている間、ひたすら読みふけった。それほど深代は魅力的な人物であり、またその周囲にいた者たちも個性豊かで秀逸であった。そのなかには本田靖春もいた。▲近年、私の身近には、そういう個性豊かで秀逸な人びととがいなくなっている。その分、私は本を読むことに傾注しているが、しかしいつ頃まで本を読むことが出来るだろうか。▲昨日研究会の帰途、途中まで一緒だった某氏が、「もう本を読めなくなった」と言っていた。佐々木実『資本主義と戦った男』(講談社)を数頁読んでその後読めなくなったという。私もその本を読みかけているが、佐々木の筆力はなかなかのもので、最初の章だけは読み終えている。▲私は出来るだけ長い間アウトプットをしていきたいと考えている。本が読めなくなったらどうしよう。最初に紹介した歴史学者は、今は文を書いていない。書けなくなるのだ。
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忖度

2019-05-18 08:55:22 | メディア
 テレビを見ない私は、ネットで民放のニュースを時々見るのだが、「テレビ朝日」が報じる事件、「当て逃げで弟を身代わり出頭 兵庫県議を書類送検」を見た。

 この県議、所属政党は自民党。今まで議員が関わる事件の報じ方を見ると、自民党でない場合は所属政党を報じている。自民党の場合は、ただ〇〇議員。

 「テレビ朝日」の報道部門は、アベ政権の軍門に降っている。
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生と死の境界

2019-05-17 17:30:46 | その他
 今日、劇団俳優座の「北へんろ」をみた。上演中に携帯電話のベルが三箇所で鳴り、近くの老女と老男が携帯電話の画面を時々見ていた。携帯の画面は暗いところではかなり明るく、迷惑この上ない。

 岩手県の山田町のどこかに古びた旅館があった。「清和(せいわ)館」という。そこはすでに他界している老夫婦が旅館をしている。旅館の老女は、旅館を経営しながら、ニューギニアで戦死したという息子「清和(きよかず)」の帰還を待っている。その亭主は老女よりも若い。老女よりも早く亡くなっているから若いのだ。

 その旅館に、いろいろな人がやってくる。すでに亡くなっている人、心に大きなキズを持っている人。すでに亡くなっている人は、死んでも死にきれない人びと、いわゆる浮かばれない人びとだ。心に大きなキズを持っている人は、生きているのだが、死に近いところにいる。

 老女が死にきれない理由は、息子清和である。清和は戦死。非業の死である。戦争がなければ死ぬことはなかった。息子のことが忘れられない。だから死にきれないのだ。

 旅館に長逗留しているもと牛飼いの場合は、東日本大震災による福島原発事故で牛を殺し、牛飼いができなくなって自殺した人である。普通に生きていた牛飼いが、原発事故によって人生を狂わされ、生きる意味を奪われたのだ。だからこそ、おめおめと「死にきる」ことができないのだ。
 しかし、仙台で農業高校の女子高校生が牛を大事に育てているのを知り、そこに行くことを決意して旅館を去る。

 裕子と市夫は夫婦。しかし裕子には隆一という愛人がいてデート中に津波に呑まれた。もう亡くなっている。しかし離ればなれになってしまい、おいそれとは死にきれない。夫の市夫が、次ぎに隆一が、旅館に逗留している裕子を訪ねてくる。隆一と会うことができた裕子は一緒に「死にきる」こととなり旅館から去っていく。市夫もあきらめて去っていく。
 彼らの死も、「非業の死」である。突然、死に呑み込まれてしまった人たちである。

 ジュンは生きている。民謡教室を開いていた両親が津波に呑まれ亡くなった。旅館に面倒を見てもらいながら、ずっと海を見つめ民謡をうたう。

 宮城県名取市の小学校の先生は、多くの教え子が津波に呑まれて亡くなった。果たして自分は生きていてよいのかと煩悶する。煩悶の果てに自死を選ぶが、旅館の人たちに助けられる。

 津波に呑み込まれた閖上(ゆりあげ)地区を、私も訪ねたが、ほとんど住宅は失われ、中学校なども津波の被害をはっきりと示していた。ことばがでなかった。
 2011年3月11日、津波の映像を見、その後の被害を知るにつけ、私自身でさえ生きていてよいのか、私は楽しい生をおくってはならない、などと考えた。

 当事者ならなおさらそうだろう。

 もうひとりの男性は神戸出身だ。阪神大震災で妻を亡くし、娘を育てた。その娘が仙台の男性と結婚、名取市に住んでいた。そして娘とその子どもは、津波に呑まれた。彼は仕事を辞め、遍路にでる。そして東日本大震災の被災地をまわる。そしてこの旅館にたどり着くのだ。彼は娘の結婚を許さなかった。だから娘とは音信不通だった。しかし娘は亡くなった。
 彼は、すでにガンが全身を蝕み、この旅館で息絶える。

 旅館の老女は、戦死した息子が還ってきて、母が自分を待っているから自分も死にきれないままでいることを話す。息子のその気持ちを父親も察していた。

 結局、死者はみずからの死を受容する。そして最終的には、ジュンと先生だけが生きる道を歩み始める。

 この劇の登場人物は、生ける者も死ぬる者も、生と死の境界をさまよっている。「清和館」は、その境界に立つが故に、死者も生者も訪ねてくるのだ。そして何故に「死にきれないか」、何故に死に向かいたいかを明らかにしていく。
 戦争や津波などの災いが個人個人に襲いかかり、無数のいのちを奪い取っていく姿が示される。死者にとっては、なぜ私はここで死ななければならないのか、それがわからない、だから魂は漂流する。

 この劇は、漂流する魂の姿を示すことにより、戦争や津波、原発事故を私たちに想起させ、もう一度考えてくれと言っている。それを受けとめることが、観劇した私たちには必要なのだろう。「清和館」は、私たちの心に棲息するようになるのだ。

 この台本を書いた堀江安夫の意図は十二分に演じられていた。そしてその意図も正当である。だが、一部、作為的だと思うところがあった。作者の意図を前面に出すが故に、過度に劇的であった箇所がある。だがその劇的なところで、主演の老旅館主を演じた川口敦子の熱演ぶりが目を引いた。またその夫である武正忠明の演劇的に完成した声には感動した。また加藤佳男の落ち着いた語りもよかった。さすが俳優座である。
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「こちら特報部」

2019-05-17 07:40:40 | 政治
 昨日の『東京新聞』の「こちら特報部」の記事は、丸山穂高という軽薄議員の話である。彼の「北方領土」に関わる発言がいかにアホであるのかを示したものだ。丸山は東京大学出身。東京大学は日本の最高学府と言われるが、こういう軽薄な人物を育成しているということにもなる。学歴で人間を評してはならない証拠である。

 また丸山は東大卒後、経産省のキャリア官僚になった。日本の高級官僚は有能であると信じられてきたが、この間の森友問題など様々な問題を引き起こすことにより、それは否定された。

 わが日本が、愚劣な政治家と、無能な官僚とにより運営されている悲しい国家になっているというわけだ。

 しかしもちろん、政界や官界の外には、優秀な人がいる。優秀な人は、だから政界や官界に入ることをしない。自らが汚れると思うからだ。

 『東京新聞』の「こちら特報部」の左上に「本音のコラム」がある。昨日は青山学院の三木義一氏。三木氏の文は、600字未満に鋭い批判的精神とウイットを込める。毎回私はその素晴らしさに唸っている。こういう文章を書きたい、と思う。

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日本のメディアはこの恥ずかしい首相のことを報じない

2019-05-15 21:45:31 | 政治
 忖度、忖度・・・・・日本のメディアは忖度病にかかっている。

「已む」読めなかった? 安倍首相が歴史的儀式で驚きの大失言
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維新のメンバー

2019-05-15 21:39:18 | 政治
 「日本維新の会」という政党のメンバーにはろくな奴がいない。

 こいつもそう。

長谷川豊「丸山議員の戦争発言はテレ朝がこっそり録音して切り取って晒した」→デマ確定も謝罪せず
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日本の司法

2019-05-15 21:31:25 | 政治
 日本の司法は、独立性を失っている。裁判官の殆どが、政治権力者の意向を気にしている。政府の方針に反する判決はださないと、決まっているようだ。

 カーナビを車に取り付けているだけで、NHKに受信料支払い義務があるなんて、ちゃんちゃらおかしい。

 私は、カーナビでテレビ受信ができないようにしている。カーナビや携帯を持っているだけでNHKに受信料を払うことは絶対にしたくない。

 カーナビでワンセグ受信、NHKと契約義務 初の判決
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研究者の問題

2019-05-15 13:17:06 | その他
 40代、貧困ポスドクの悲哀 時給バイト以下、突然クビという記事が、『朝日新聞』に載っていた。

 この前は、有能な近世仏教史の研究者の自殺が報じられた。

 大学院にすすみ、博士号を取得していても、大学の教員などになれなくて、非常勤講師などで生活をやっと支えている、というのが共通した内容だ。

 学生時代、私も研究者になろうと思ったことがある。しかしその頃、大学の数は少なくて、大学院を出て高校教員になっている者が多かった。高校教員として勤務しながら研究活動を行っていたのだ。

 彼らの多くは、その後つぎつぎと新設された大学に教員として就職していった。

 私は思うのだが、大学の教員にならないと研究はできないのか。

 私の知り合いには、中学校の教員をしながら研究活動を行い、博士号をとった人もいる。もちろん研究活動を続けている。

 私が学生の頃は、大学の数も少なく、大学の教員になっている人びとは、立派な研究をされ、学識も十二分にもった方々であった。私はそういう教員の講義を受けた。私よりもずっと力のある人びとであるという認識を持っていた(但し語学担当には、ほとんど研究をしていない人もいた)。

 しかしその後、大学がたくさんできてきたからか、これでも大学の教員かと思うような人を見ることが多くなった。大学が少なかった頃には存在すらしなかった方々である。

 大学教員のある人とは、自治体史の編纂をいっしょに担ったが、文章のひどさ、分析力のなさにあきれかえったことがある。よくもこういう人が大学の教員になれたもんだ、と思った。彼はいまも大学教員である。

 大学の教員になることに固執する意味はあるのかと思う。

 みずからの自立した生活をつくりあげながら研究活動を継続する道がまったくないわけではないのである。自分自身の経済生活を含めた生き方の選択を間違ったのではないかと、私には思われる。

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欠格人間

2019-05-15 12:58:29 | 政治
 大阪の人たちは、こういう人を国会議員にしている。本人だけでなく、選挙民の資質も問われている。

元島民ら丸山議員に反発「国会議員の態度じゃない」 コップで机をバンバン

丸山議員、無施錠の部屋入り議論吹きかけた 参加者証言
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分裂する人格

2019-05-14 11:46:33 | その他
 慶応大学の大学院生が、「風俗店で少女働かせた疑い」ということで逮捕された記事があった。

 逮捕された大学院生を検索してみたら、なかなかのことをしている

 こうした学問研究や地域おこしの事業と、風俗店経営が、ひとりの人間の中で共存している。どうしてそうしたことができるのだろうか。

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創価学会=公明党の本質

2019-05-14 07:27:14 | 政治
 公明、都構想賛成の意向を維新に伝達 反対から方針転換

 という記事が『朝日新聞』にあった。

 創価学会=公明党は「王仏冥合」、つまり政治権力と癒着することが最大の目的となっている。政策なんかはどうでもよい、悪政によって創価学会員を含め住民が殴られる可能性があるのに、権力と結びつくために平然と政策を転換する。

 創価学会=公明党、政策なんかどうでもよい、とにかく政治権力にくっつく、その相手はファシスト政権であっても、独裁政権でもなんでもよいのだ。
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