日本共産党では除名問題で揺れているようだ。しかし、共産党は今までも組織の問題では、きわめて強引であった。現在除名された、除名されると騒いでいる松竹氏も、鈴木氏も、それを知っていたのではないだろうか。何をいまさら騒いでいるのだろう。
私は学生のころ、敬愛する吉野源三郎氏のほか、古在由重さんの著書と出会っている。吉野氏のことは以前にも何度か書いているのでここでは書かないが、古在氏の『思想とは何か』(岩波新書、1960年)、『人間賛歌』(岩波書店、1974年)などは感動をもって読んだものである。しかし、私はその当時、古在氏が日本共産党員だとは知らなかった。
さて私は1977年の広島での原水禁世界大会に組合から派遣されて参加した。原水禁運動についてはあまり知識はなかった。分科会に参加して感じたことは、原水爆をなくそうという素朴な気持ちが尊重されるのではなく、日本共産党=原水協の強い主張が行われていたということである。このころ、共産党は「原子力の平和利用」を主張していたのではなかったか。原水禁関係者は、原発反対であった。分科会でも、共産党系の方々は、原子力の平和利用を訴えていたような気がする。ただし確実な記憶ではない。
後年、この世界大会が原水協、原水禁の長年の対立をこえた統一大会であったことを知った。しかし、統一を目指しながらも、両者の統一に関する意見の対立が、組織の統一へと至らなかった。その後の世界大会が統一して行われたのか、分裂して行われたのかはわからない。
このころ、吉野氏や古在氏は、革新系の統一に心血を注いでいた。私が学生時代、東京都知事は美濃部亮吉氏であった。しかしそのあとは保守系が都知事となっていた。古在さんたちは革新統一候補を支援するが、美濃部さんを支えていた「明るい革新都政をつくる会」から日本社会党が離脱し、革新統一候補を当選させる力は確実に弱まっていた。
私は、スペインやフランスの反ファシズム統一戦線の教訓から、社会党や共産党など革新勢力が統一戦線を組んで、自民党など保守系の暴政をやめさせなければならないと考えていた。吉野氏や古在氏、それに英文学者の中野好夫氏らが統一戦線の構築に奔走していて、その動きに心から賛同していた。その頃も、私は『世界』の読者であった(現在もである)。
しかし、日本社会党や共産党は、そうした善意の願いを何度も踏みにじってきた。日本をかくまでに政治的に劣化させてきたのは、もちろん統一教会党の自民党や創価学会党である公明党がその元凶であるが、社会党や共産党も決して無実ではない。
さて、1984年、原水禁運動に大きな亀裂が走った。その亀裂をつくりだしたのは共産党であった。前年の平和行進の団体旗の問題をめぐって両者の対立が生まれていたが、しかしこれは分裂を決定的にするものではなかったはずである。原水協のなかにも、何とか統一を維持しようという人たちはいた。しかし、共産党はそういう人たちを原水協から排除した。その事態に、共産党系の日本平和委員会の会長・小笠原英三郎氏、理事長の長谷川正安氏らがそれぞれ辞任するなど、共産党系の組織からも異論がでた。しかし、共産党は、強引にそれらの異論を抑え込んだ。原水協幹部に対しても、共産党は露骨に介入し、原水協理事長の吉田嘉清氏らを排除した。
今私は、『ある哲学者の軌跡 古在由重と仲間たち』(花伝社、2012年)をみながら書いているが、このころのことが詳しく書かれている。この渦中、長年の共産党員であった古在氏が「除籍」とされた。古在氏が「除籍」されたあと、『赤旗』が古在氏についての厳しい調子の記事を投げつけたということも聞いている。
さて、現在「除名」とされた松竹氏や鈴木氏は、このころ、共産党員であったのかなかったのか。もし党員であったのなら、原水禁運動に対する日本共産党の強引な介入を知っていたはずである。私が知っているのだから当然知っているだろう。こういう事態に、彼らはどう対応したのだろうか。
共産党は、上意下達の組織であり、上意は貫徹されるのである。なにをいまさら・・・という気がする。そういう組織ではないか。
批判勢力としての共産党の存在価値を、私は認め、評価する。だから共産党の立候補者に投票することもある。しかし、共産党は政治権力を掌握してはならない。