窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること

2010年11月11日 | レビュー(本・映画等)
  この世界のあらゆるものはエネルギーの波動によって干渉しあっており、波形の似たもの同士ほど干渉の度合いは強くなると考えられます。その干渉を感受する能力を進化させることによって、環境変化に適応してきた生物がいます。フランス・ドゥ・ヴァール『共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること 』によれば、それは哺乳類だということです。

  行動主義が唱える「刺激-反応モデル」と異なり、哺乳類は他者への感受性を発達させることによって社会性を獲得しました。これは子供により手をかけなければならない哺乳類が、進化の中で獲得した能力であり、また大脳辺縁系の発達とも関係しているかもしれません。さらに、霊長類はこの能力を「他者への共感」というレベルにまで発達させ、より高度な社会性を身につけました。つまり、共感は決して人類に特有のものでも、成長過程で獲得するものでもなく、霊長類に本来備わった能力なのです。

  それにもかかわらず、近代思想は人間を独立した個人として、また生存や欲求充足のみを目指す利己的な存在と見なしてきました。ホッブスが『リヴァイアサン』で描いたように、近代思想は人間の自然状態を「万人の万人に対する闘争」状態であると考えます。その人間が自身の欲望をある程度抑制してまで社会の形成に合意するのは、自然状態におけるコストがあまりにも大きく、社会を形成した方が「合理的」だからに他ならないというのです。このような社会とは合理的個人の自由意志に基づく契約(これを社会契約といいます)によって成立したものであるという考えは、今日でも私たちをかなりの程度に桎梏しています。

  古典物理学と並び、近代思想に大きな影響を与えたものにダーウィンの進化論があります。進化論における適者生存のメタファー(注)は、「完全競争によってパレート最適が達成される」という古典経済学の正当性を裏づける役割を果たしてきました(ところが、ダーウィンに対する誤解と同様、近代経済学の父とされるアダム・スミスも、「神の見えざる手」と同時に市場を制御する「道徳」が必要であると述べており、今日の古典派とは異なった見解を示しています)。最適な種だけが生き残り、そうでない種は排除されるのが自然の摂理であるという誤った認識が、市場競争に勝ち残ったもののみが善であるという、これまた誤った認識に基づく市場原理主義を擁護することになったことは否定できません。これらのような思想的背景の中で、共感の果たす役割は長い間軽視、あるいは無視されてきたのです。

  もちろん人間に利己的な面があることは否定できません。しかし、利己的であるのと同時に利他的であるのも事実なのです。人類は独立した合理的個人が闘争の果てにやむなく社会を形成することに合意したのではなく、霊長類が発達させた共感する能力をさらに発達させることによって、社会を形成したのです。

  最近、心理学の分野において同調の法則や心理的貸借の関係が研究され、巷にはその手の恋愛マニュアルや消費行動心理の本があふれかえっています。すでに述べましたように、これらの性質は人間特有のものではありません。同書によればチンパンジーにも同様に、同調の法則や心理的貸借の関係が観察されるそうです。そればかりか、チンパンジーは貨幣価値の概念を理解し、「しっぺ返しゲーム」による将来予測までするといいます。こうした性質が、他者と共感することで協調的に行動し、環境に適応してきた霊長類の本能であるというのは興味深い点です。なぜなら、そうした感受性は、決して一部の人間にのみ与えられた特殊能力ではなく、誰もが元々持っている能力であるということ示しているからです。

(注)ダーウィンは「固体の変化が自然選択によって継承された結果、種の多様性が生じた」と述べただけで、現在我々が「進化論」として想起する適者生存や進化=進歩のイメージは19世紀の社会学者、ハーバード・スペンサーによって作られたものだそうです。したがって、実際に古典派経済学に根強い自由放任の思想はむしろスペンサーの影響といえます。有名な「生き残るのは、最も強い種でも最も賢い種でもなく、変化に適応できた種である」という言葉もダーウィンが言ったという証拠もないそうです。

共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること
フランス・ドゥ・ヴァール
紀伊國屋書店


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考えるヒントで考える

2010年04月30日 | レビュー(本・映画等)
  本書を手にしたとき、ちょうど大塩中斎(平八郎)の『洗心洞箚記』を読み終えたばかりでした。そして本書で述べられていることが、大塩のそれと非常に類似した点が多いという偶然の一致にまず驚いた次第です。

  本書はその題名の通り、日本を代表する文芸評論家、小林秀雄の『考えるヒント』から、著者がその根底に流れる小林の思想を学問、知性、時代、政治、職業という5つの切り口で述べたエッセイ集です。前半部では学問や知性に対する「自立」の態度について、後半部では迷走を極める現代の大衆社会の病原が、この自立心の消失にあることを描き出しています。

  『考えるヒント』の「考える」とは、小林にとって「物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わること、(中略)そういう経験」なのであり、自分を取り巻く周辺環境や時代を忌避して思索の中に閉じこもるのではなく、あくまでそれら受容し、積極的なかかわりの中で「生きる」ということです。この「考える」態度は著者の前作『自由貿易の罠、覚醒する保護主義』で特に強調されたプラグマティズムと共通すると思います。

 さて、冒頭に本書と『洗心洞箚記』との共通点が多いことに驚いたと述べました。『洗心洞箚記』は江戸末期の陽明学者(38歳で隠居するまで大阪町奉行所の与力でもありました)大塩中斎の読書雑記です。

  陽明学は明代半ばに古典の解釈論に堕していた朱子学を批判する形で興った儒教の一派(王陽明は学派を立てることを拒否していたので不適切だとは思いますが、便宜上)です。そもそも儒教とはわが身を修め、民を治める「修己治人」の学問として知られていますが、朱子学と陽明学の最も際立つ相違の一つは、朱子学が修己において知を行に先んずるもの、すなわち時間の中で捉えているのに対して、陽明学は知と行とは不可分なもの(「知行合一」)としている点にあります。つまり陽明学は、朱子学が真性の追求を忘れ空論博識に堕した原因を知と行を分けて考えたことに求め、それを避けるために、実践生活の場において自覚的に真性(良知)を発揮することを求めたわけです(「事上磨錬」)。この陽明学の考え方は、まさに前段における小林の「考える」に一致します。
 
 しかし、陽明学も時代を経るにつれて形骸化や浅学の弊を免れませんでした。大塩は『洗心洞箚記』の中で、ただ党派心に依って朱子学を批判する態度を戒め、また聖人である孔子の教えでさえも太虚(大塩が考える、良知を発揮した結果として帰する宇宙の本体)に至るための手掛かりとして独自の見解を導き出しています。それらは、わずか11歳で父親から大坂町奉行所の与力を継いで以来、本来善とは程遠い現実に正面から向き合ってきた経験を踏まえて書かれたものです。

 ところで、『考えるヒントで考える』に「ソクラテスの闘争」についての話が出てきます。本書によれば、ソクラテスの闘争とは自分の力で考えることをやめた大衆たちが依拠するイデオロギーや世論を徹底的に疑い、批判することで「自己を取り戻そう」という営みのことです。しかし容易に分かることですが、自己を放棄した者に「自立の精神」を説くことはほど虚しい戦いはありません。それでもなお、ソクラテスは勝ち目のないことを承知の上で論争を挑みました。ソクラテスは「それによって自分が社会に影響を与えて、社会を変えることができるなどとは夢にも思っていなかったし、勝ち負けにも関心がなかった」(本書141頁)、しかしながら、自立の精神をもった「真の人間」でありつづけるためには、そうせざるを得なかったのだと思われます。

 このソクラテスの闘争は、『洗心洞箚記』から2年後、そのために大塩の名が歴史に残ることとなってしまった「大塩平八郎の乱」を思い起こさせます。大塩も恐らく、書生の集まりが反乱を起こしたからといって、それによって幕府に勝てるとも、また社会を変えられるとも思ってはいなかったはずです。しかし、飢饉や物価高騰に苦しむ民衆の姿は、大塩の考え方からすれば、そのままわが身の苦しみだったのであり、それを見過ごして己のみが洗心洞にこもり学問に耽ることなど、太虚に照らして到底できなかったのだろうと思います。時代は下りますが、大塩の乱から40年後に西南戦争を起こした西郷隆盛もきっと同じような心境であったことでしょう。

  本書は小林秀雄の『考えるヒント』を基にした、著者による考えるヒントであると僕は思いますが、本書自体もまた「ソクラテスの闘争」であるかもしれません。つまり本書は、自らの経験を引き受け、真理に到達せんとする「自立心」のない者、少なくとも自立心を確立しようとする気概のない者にとって、恐らく受容し難い内容であることでしょう。しかも、そうした自立心を持つ者は確かに少数派かもしれません。しかし、小林秀雄は「そういう人は隠れているが至るところにいるに違いない。私はそれを信じます」(本書197頁)と述べています。大塩も西郷も問われれば恐らく同じように答えたでしょうし、著者の思いもそこにあるのではないかと思います。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

考えるヒントで考える
中野 剛志
幻戯書房

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インビクタス(INVICTUS)

2010年02月10日 | レビュー(本・映画等)
  かつて映研に籍を置いていた人間とはとても思えないようなことですが、実に10年ぶりに映画館へ行ってきました。午前中に話題のアバターを観て、その後1時間半ほどの間をおいて表題のインビクタスを鑑賞するという少々ハードなスケジュール。



  27年に及ぶ投獄生活から釈放され、1994年に南アフリカ大統領に就任したネルソン・マンデラは民族協調と和解を呼びかけ、アパルトヘイト撤廃後の黒人と白人が団結した新しい国家建設を目指します。そして国の団結と将来への希望を象徴するものとして、1995年に南アフリカで開催されたラグビーW杯における南アフリカ代表、スプリングボックスの優勝に期待を寄せます。

  ラグビーは南アフリカで最も盛んなスポーツの一つですが、白人によるスポーツと見なされ、当時の南アフリカの黒人にとってスプリングボックスは「アパルトヘイトの象徴」でした。そのスプリングボックスは、アパルトヘイトに対する国際的非難の高まりにより国際試合から締め出され、弱体化していました。黒人政権の誕生で被支配層に転落することを恐れていた白人にとって、スプリングボックスの弱体化はやはり自分たちを象徴する存在であったかもしれません。

注)先日Jスポーツで1995年のW杯決勝を再放送していましたが、実際のスプリングボックスは92年の対外試合復帰後、かなりチーム状態を回復し、優勝候補の一つとなっていたようです。ただし、当時のオールブラックスが圧倒的に強かったことは事実です。

  マンデラ大統領は自国で開催されるW杯を機に、そんなスプリングボックスを国を挙げて応援することで、新政権が目指すものが白人に対する復讐でも黒人による独裁でもなく「人種間、民族間の協調と団結による一つの祖国」であることを示そうとします。そして主将のフランソワ・ピナールとスプリングボックスも「チームと祖国の団結」によってW杯の優勝を目指します。そして、雨中の準決勝ではフランスを19vs15、決勝では圧倒的な攻撃力を誇るニュージーランドを15vs12で破り、奇跡的とも言える優勝を成し遂げるのです。

1995年、南アフリカW杯ダイジェスト


ジョナ・ロムー


映画中でもスプリングボックス最大の脅威として登場するニュージーランド、オールブラックスジョナ・ロムー選手(当時20歳)。当時の映像に見る、その圧倒的なスピードとパワーは映画以上の迫力です。

  映画では政府職員に柔らかい口調で"Sir"と呼びかける謙虚な物腰。黒人主体の国家スポーツ評議会がスプリングボックスのチーム名とエンブレムを廃止しようと決定した時、自ら説得に赴いて彼らを不承不承ながらも納得させてしまう信頼感。静的だが己の信じる道に対する確固たる意思を感じさせるマンデラ大統領のカリスマ性を名優モーガン・フリーマンが見事に表現しています(フランソワ・ピナールを演じたマット・デイモンも良かったです)。

  27年もの間投獄生活を強いられていた人間が権力の座について、復讐ではなく「赦しと和解」を訴えるなど並の人間にできることではないと思います。しかもそれは薄っぺらな博愛主義などではなく、そうすることが唯一、南アフリカを発展させる手段であるというプラグマティクな認識にもとづいていたがゆえに長年虐げられてきた大多数の黒人から(心から納得はしていなかったでしょうが)支持を得られたのでしょう。

  実際、マンデラが投獄された1960年代初め、アフリカでは多くの国が植民地からの独立を果たしましたが、それらの国々で次に起こったことは軍事独裁政権による大虐殺であったり、あるいは黒人同士による泥沼の内戦といった状態でした。マンデラは恐らくそういったアフリカの実情をつぶさに観察し、一方獄中という極限生活の中で自らを鍛え、復讐心を律して、祖国が発展するためには黒人と白人が和解し、団結するしか方法はないとの結論に至ったのではないかと思われます。

 それはマンデラが獄中で心の支えにしていたという詩、”INVICTUS(インビクタス)”の中に表れています。

 激しい怒りと涙の彼方には
 恐ろしい死だけが迫る

 しかし、言うは易けれども行うは難しです。映画でも描かれているように、マンデラの主張は実の娘でさえ受け入れることができていませんでした。それでも揺るぎない確固たる信念は、同じく”INVICTUS(インビクタス)”の中でこう表現されています。

 私は我が運命の支配者
 我が魂の指揮官なのだ

 マンデラ大統領が直面したのとは比べようもないほど小さな課題であってさえ、このような揺るぎない精神を保つことは難しい。それが僕の現実であるからこそ、なおさら映画に感動しました。もう一度観に行きたいですね。

自由への長い道―ネルソン・マンデラ自伝〈上〉
ネルソン マンデラ
日本放送出版協会

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ROME [ローマ]

2010年01月17日 | レビュー(本・映画等)
ROME [ローマ] 〈前編〉 [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ

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  先週と今週の週末を使い、ドラマ「ROME」のDVD全22話を観終えました。「ROME」はアメリカHBOとイギリスBBCの共同制作によるドラマで、企画から8年、総製作費200億円、エミー賞5部門に輝く大作です。ローマ第13軍団の百人隊長、ルキウス・ヴォレヌスとその部下ティトゥス・プッロの活躍を通し、カエサルのルビコン渡河から養子オクタヴィアヌスが覇権を握るまでを描いています。

  単なる歴史ドラマではなく、登場する男女それぞれの感情や欲望を生々しく描き出しており、それがドラマ全体に現実味と迫力を与えています。製作費200億円以上を投じたということもあって、古代ローマの風俗も建物、衣装から食事、商売など庶民生活に至るまで細かく描写されている点も見物です。因みにこのドラマはR-15指定となっています、小さいお子さんがいらっしゃる時は避けたほうが無難かと思います。

  以前から好きだったのですが、カエサル暗殺後、政敵アントニウスとクレオパトラを降し、後に初代ローマ皇帝アウグストゥスとなる養子オクタヴィアヌスの頭の良さ、状況を見極める冷静さがこのドラマでも「ちょっと出来すぎではないか」という位描かれています。思わず久し振りに塩野七生さんの『ローマ人の物語 パクス・ロマーナ』を読み返し、改めて感嘆した次第。加えて暗殺時にわずか17歳であったオクタヴィアヌス(当時はオクタヴィウス)を後継者として指名していたカエサルの慧眼は、恐らく自身とは全く異なる性格であるにも拘らず、自分が打ち立てた新秩序を固め発展させるのはどのような人物かを的確に捉えており、やはり天才であったと感心させられます。

ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)
塩野 七生
新潮社

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  最後に。突然マニアックな話になりますが、ドラマ中でオクタヴィアヌスの母アティアを演じていた女優ポリー・ウォーカーさん。デビュー作の映画はショー・コスギの『KABUTO-兜』でしたね。



  18歳のとき日ノ出町のオデオン座にこの映画観に行ったのですが、それ以来、久し振りにお名前を聞きました。

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自由貿易の罠 覚醒する保護主義

2009年11月09日 | レビュー(本・映画等)
  戸惑い。本書を読み始めた最初の感覚は正直いって「戸惑い」でした。経済学について全く知らない方、あるいは経済学に十分疑問を感じている方でも、ひょっとしたら僕と同様に戸惑われた方がいらっしゃるかもしれません。

  なぜ戸惑ったのか。それは、なぜ保護貿易が状況によって経済厚生の増大に資するのか直感的に理解し難かったからです。

  一般に通説とは分かりやすく、直感的に受入れやすくできています(だからこそ通説となりうるのですが)。本書で取り上げられている貿易の例で言えば、仮に経済学を学んだことがない人でも高等学校の世界史では世界恐慌の後に列強が保護主義傾向を強め、ブロック経済を形成したことが世界大戦の引き金の一つとなったというように習いますし、自由貿易は「自由」という言葉から「望ましいもの」と想起されるために、「自由貿易に則った方が最適な資源配分を実現でき、経済厚生を最大化する」と言われれば直感的に納得してしまいがちです。

  分かりやすく、すんなり頭に入ってくることを人は「正しい」と認識してしまう傾向にあります。しかし、現実を仔細に検討すると「分かりやすい」ことが必ずしも「正しい」とは限らないということに気づきます。これは当ブログの「崩壊する世界、繁栄する日本」でも述べたことですが、例えば「赤字国債の増大は、将来世代に借金のツケを回すことになる」というステレオタイプは「赤字=マイナス」、「国債=借金」といったイメージと結びつきやすいためか、赤字国債の増大=マイナスの増大であり、「今は良くてもそのツケは将来世代が負担することになりますよ」と言われれば何となく「そうかな」と納得してしまいがちです。しかし、現実を冷静に見てみると、過去に起こった「借金のツケ」が現世代の過剰な負担となっている様子はありませんし(税や社会保障費などの国民負担率は今もって先進国の中で最も低いレベルにあります)、リーマンショック以降、実際に国家が破綻したアイスランドのようなケースが次々と登場しているような未曾有の状況でも、「先進国屈指の借金大国」であるはずの日本が破綻する気配はありません。国債の金利も低い水準のままです。

  一方で保護貿易は「保護=閉鎖的=自己中心的」というイメージと結びつきやすく、また保護主義が先の大戦の遠因となったという認識が一般に浸透しているためか、疑うことなくマイナスイメージとして受け取られています。言葉が認識に与える影響は意外と大きいのです。

  さて感覚的な話が長くなってしまいましたが、そろそろ本題に入りたいと思います。

  本書は『自由貿易の罠、覚醒する保護主義』のタイトルの通り、近代社会で一貫して支配的だった自由貿易主義の限界と、現在のような混乱した経済状況下においては保護主義も積極的に評価しうることを述べています。しかし、より重要なことは、ここ20年の経済政策において支配的だった合理主義的アプローチからプラグマティック(実際的)なアプローチへと意思決定の態度を変換しなければ、現在起きている危機に対応することは難しいということを指摘している点にあると思います。

  主流派経済学に見られる合理主義とは、簡単に言えば経済主体が完全情報の下で合理的選択をするものと仮定した場合、市場の価格調整メカニズムによって市場均衡(最適な資源配分=経済厚生の最大化)を達成しうるという、理論的に導き出された理想形があり、その理想形に実際社会そのものを当てはめていこうというものです。勿論、現実には市場メカニズムが機能しない「市場の失敗」が起こりうることも認識されてはいますが、それらは理想形に到達する過程における逸脱、あるいは理想形を実現するために許容されるべき一時的犠牲として扱われており、「市場メカニズムこそが最適な資源配分(経済厚生)を実現する」という原則はあくまで変わりません。

  しかし、そもそも「市場が最適資源配分を実現する」という結論は、経済主体の「完全情報に基づく合理的選択」という、およそ現実社会ではあり得ない仮定の下で導き出されたものです。あり得ない仮定に基づくのであれば、導き出された結論も「ある一定条件における傾向」を示すものにはなるにせよ、そのまま現実社会に当てはめられるものでないことは、かえって経済学について全く知らないという人の方が理解できると思うのですが、実際にこの20年わが国を支配してきた論調は「日本経営異質論」、「50年体制」、「規制緩和」、「痛みを伴う構造改革」と色々名前を変えてはいるものの、基本的には市場原理こそ普遍の真理とみなすものだったのです。

  さらに、そもそも経済学が理想とする市場均衡はあくまで経済厚生を最大化(資源配分の最適効率)すると言っているのに過ぎないのであって、必ずしもそれは社会厚生を高めることと同義ではありません。この点はしばしば混同されていますが、現実には市場は社会厚生の観点から望ましくない結果を生み出すことが度々あります。例えば環境破壊などがそうですが、これを「市場の失敗」と呼んでいます。

  20年もの長きに渡り、市場原理を普遍と見なし現実社会に適用しつづけた結果、「雇用問題」、「格差問題」、「治安問題」など文字通り「市場の失敗」が表面化したことは最早誰の目にも明らかであるように思えます。それにもかかわらず、未だに市場原理の普遍性を疑うどころか、「失敗したのは市場化への改革が不徹底だったからだ」と主張する風潮が見られます。まるで市場原理主義のほか思考の縁を失ってしまったかのようです。ここまでドグマチック(教条的)になりますと経済学は科学というより一種の宗教であると言えるでしょう。

  しかしながら本書は、市場の果たす役割そのものを否定されるべきものとして扱い、保護主義こそが善であると述べているのではありません。そのような態度こそ本書で否定されているドグマティズムです。そうではなく、ある条件下で導き出された理論は、現実社会の一側面における傾向を示すのに過ぎないのであって普遍的真理などではないこと、またそうしたドグマに陥らないためにはプラグマティックな思考態度が必要であると述べているに過ぎないのです。

  プラグマティックな思考態度とは、人は誤りを犯すものであるという限界を踏まえたうえで、現実社会の問題を認識し、それを解決するためにはどうしたらよいかという仮説を立て、そしてそれを実行し、結果が良いものであろうとなかろうと、結果から得られた経験を次の仮説のためにフィードバックするというものです。これは何も目新しいものではなく、民間企業で広く受け入れられているマネジメントシステム、「PDCAサイクル」そのものです。

 そしてそのサイクルを回すためには、産業政策について述べている本書の例では政府と民間、企業組織内で言えば経営者と社員、企業と利害関係者といった複数人によるコミュニケーションが欠かせないと言います。そしてコミュニケーションの結果、ある一定の合意を得るには彼らの間に近似的な価値観や利害がなければなりません。それを構成するのが企業であれば企業理念や企業文化ということになるでしょうし、民主主義社会においては家族、地域社会、国家などになるでしょう。

 そういった意味で、本書の主題である「産業政策のプラグマティズム」の根底も著者のこれまでの著作、「恐慌の黙示録」、「経済はナショナリズムで動く」、「国力論-経済ナショナリズムの系譜」で一貫して述べられた「経済はその本質からしてナショナリスティックな性格を帯びる」という主張へと帰結していくのです。

自由貿易の罠 覚醒する保護主義
中野剛志
青土社

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地中海の女王、カルタゴの滅亡

2009年10月19日 | レビュー(本・映画等)
  友人に教えてもらい、東京大丸ミュージアムで10月25日まで開催されている「古代カルタゴとローマ展」を観に行ってきました。かつてその巧みな航海術と交易で地中海に君臨したフェニキア人の通商国家「カルタゴ」。戦史上に燦然と輝く名将ハンニバルを生み、「地中海の女王」と称えられたカルタゴが歴史の彼方に消えていった経緯には多くの教訓があると以前から感じていました。

  今日は『興亡の世界史03 通商国家カルタゴ』(栗田伸子、佐藤育子:講談社)より、カルタゴ滅亡までの経緯を追ってみたいと思います。

  第二次ポエニ戦争(前219年~前201年)の緒戦、戦史上名高いカンナエの戦い(前216年)でローマ軍を完膚なきまでに殲滅し、南イタリアを完全に制圧したかに見えたハンニバルでしたが、そこから何故か戦局は長い膠着状態に陥ります。「戦争は他の手段をもってする政策の延長に過ぎない」と喝破したのは19世紀、プロイセンの軍学者クラウゼビッツでしたが、そもそもローマとの軍事的勝利によって達成する政治目的が何であるのか、ハンニバルにとってもカルタゴ政府にとっても不明確であったようです。つまり「政策の延長としての戦争」になっていなかった事が、現在でも会戦の金字塔として、軍事学の教書に必ず取上げられるほどの大勝利であったカンナエの戦いを活かしきることができず、そればかりかカルタゴの滅亡を招いた最大の要因であったように思います。

  ハンニバルはイタリア本土を攻撃することによって、ローマの支配体制そのものを崩壊させることができると期待したようですが、実際にはそうはならず、カルタゴは自国が有利な局面での戦争の早期終結の機会を逸してしまいました。

  「政治目的の欠如」はその後もカルタゴのちぐはぐな対応となって、至るところに表れます。まず、南部イタリアにおけるハンニバルの決定的大勝利、またハンニバルの再三にわたる要請にもかかわらず、カルタゴ政府は南イタリアに援軍を送りませんでした。ローマという大敵を目前にしながら、本国内部の政争にあけくれた結果でした。ハンニバル自身が「ハンニバルを打ち負かしたのはローマ人ではなくカルタゴ元老院の悪意と中傷だ」と言ったように、自国の内部にいる者が進んで国を滅亡に追いやった例は、歴史上枚挙に暇がないのです。

  一方、西方のイベリア半島戦線においても、前211年にローマのスピキオ兄弟を破り壊滅状態に追い込んだにもかかわらず、今度はカルタゴ軍内部の内紛によって決定的な勝機を逸してしまいます。その後、カルタゴはイタリア、スペイン、アフリカ全ての方面において敗走の一途を辿ることになります。

  前202年、北アフリカのザマにおいてハンニバルは大スキピオに敗れ(ザマの戦い)、第二次ポエニ戦争は終わりを告げます。ローマの講和条件を受諾した結果、カルタゴは10隻を除く全軍船の引渡し、戦象の引渡し、アフリカの外のいかなる民族に対しても戦争をしないこと、アフリカ内部でもローマの承認なしには戦争をしないこと、賠償金として50年賦で銀10,000タラントを支払うこと、などの過酷な条件が課せられました。

  ところが第二次ポエニ戦争の後、わずか50年の間にカルタゴは再び奇跡的な復興を遂げます。商品作物の生産や商工業が再び発展し、特に仇敵ローマとの盛んな貿易によって巨富を築きました。戦後課せられた50年賦10,000タラントもの賠償金を敗戦後わずか10年で一括払いしようと申し出たという逸話はカルタゴの戦後復興と繁栄振りを窺わせます。

  第三次ポエニ戦争(前149年~前146年)が何故起こったのか、大カトーの有名な言葉を借りれば、何故「カルタゴは滅ぼされなければならなかった」のかについては諸説がありますが、カルタゴの繁栄がローマに危機感を与えたことと、第二次ポエニ戦争を契機としてローマが明確に地中海世界の覇権国家としての道を歩み始めたことが関係していることは確かなようです。

  とはいえ、昔も今も大義名分がなければ戦争はなかなか起こせません。ローマにつけいる隙を与えさせたのは、カルタゴの隣国ヌミディアとの交戦でした。第二次ポエニ戦争の後、カルタゴの隣国ヌミディアはカルタゴのアフリカ領を自国に併呑する野心を抱き、カルタゴの属領に侵攻しました。カルタゴはローマに調停を求めますが、ローマは態度を明らかにせず、結果としてこの属領はヌミディアに併呑されることとなってしまいました。この時、カルタゴ政界には「ヌミディアに領土問題で譲歩してもローマとの開戦を回避しよう」という親ヌミディア派が存在していました。しかし、ヌミディアが次にカルタゴのアフリカ領中枢部の領有を主張し始めると、カルタゴ内の対ヌミディア強硬派は親ヌミディア派を追放してしまいます。追放された親ヌミディア派はヌミディアに開戦を勧め、ヌミディア軍はカルタゴの都市を包囲しました。またしてもカルタゴは内部の造反者によって国難を迎えることになったのでした。

  ローマとの講和条件を堅持してきたカルタゴでしたが、国の中枢部が侵されるにあたってついに前150年、ヌミディアとの戦争状態に入りました。そしてこれが、ローマに開戦の口実を与えることになったのです。ローマの開戦準備を知ったカルタゴは狼狽し、戦争を回避するためローマとの交渉に入りますが、ローマは応じません。その後も交渉の過程で人質としてカルタゴ貴族の子弟300人を差し出す、あらゆる武器を引き渡すなど、無理難題を耐えローマの寛容に期待しましたが、ローマは武器引渡しが済むやカルタゴへの侵攻を開始したのです。ここでも政治目的の欠如したカルタゴと、明確な政治目的をもって臨むローマとの差は歴然でした。目的のない国家は歴史の必然として消え行く運命にあるのかもしれません。カルタゴはその後3年に及ぶ包囲戦を持ちこたえましたが、ついに前146年力尽き滅亡しました。市街は二度と復興できないよう、7日間に渡り完膚なきまでに破壊しつくされたといいます。

  カルタゴはその後、滅亡より102年後にローマの初代皇帝アウグストゥスによって再建され、やがて首都ローマ、アレクサンドリアと並ぶ帝国内で最も繁栄した都市の一つとなりました。「古代カルタゴとローマ展」ではその時の繁栄振りを物語るモザイクなどが展示されています。しかしそれらはあくまで「ローマのカルタゴ」であって、恐らくその当時のカルタゴ市民は、自分たちがポエニのカルタゴ人の子孫であるという自覚すらなかったことでしょう。やはり「地中海の女王」カルタゴは前146年で地上から消滅し、わずかに博物館や遺跡でその痕跡をとどめるのみとなったのです。

通商国家カルタゴ (興亡の世界史)
佐藤 育子,栗田 伸子
講談社

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恐慌の黙示録

2009年04月15日 | レビュー(本・映画等)
  本書は世界恐慌が勃発した1920年代前後の知の巨人たち(ミンスキー、ヴェブレン、ヒルファーディング、ケインズ、シュンペーター)が資本主義の本質をどう捉え、その将来をどう予測していたかを辿り、「世紀に一度の不況」と形容される現在の経済状況下において、資本主義の前提となるヴィジョンの再構築を提起しています。 

  彼らの分析に概ね共通しているのは、企業における「所有と経営の分離」が進んだ結果、従来想定されていた「産業資本主義」とは別に「金融資本主義」が発展、拡大し、産業と金融の二つの価格決定メカニズムがそれぞれ別個に働くようになった。その結果、資本主義は制度的な不安定性を常に内在するようになり、従来の自由主義の考え方では必然的に自己破壊の方向に向かう。その自己破壊は一面で資本主義を発展させる原動力となるものの、やがては資本主義そのものを破壊してしまうため、それを抑制する何らかの手段、多くの場合政府の役割が必要になる、というものです。

  しかし、自己破壊の作用を抑制するための政府の役割について論じると同時に、それが有効に作用するために彼らが重視しているのは、合理的とされる経済学や科学が成立する前提として、活動主体である人間が共有すべきビジョン(非合理的な先入観)についてです。何故なら、政府がある経済政策を打つにしても、どういうビジョンを描いているかによって打たれる政策は変わり、ビジョンを誤ると経済政策は資本主義の自己破壊作用を抑止するどころか、ますます発展させてしまう可能性さえあるからです。

  例えば日本の経済史で、ビジョンを誤ったために思惑とは反対の結果を生んでしまった例として、1920年代終わりの井上財政、1950年代空半ばのドッジライン、1980年代のいわゆるバブルなどが挙げられます。井上財政は明らかなデフレであったにもかかわらず緊縮財政を実施しデフレをさらに悪化させてしまった例。ドッジラインはインフレが収束しつつあり十分金融が引き締まっていたにもかかわらずさらに金融引き締めを行い景気を悪化させてしまった例。80年代後半はインフレ傾向にあるにもかかわらず金融緩和を行い(これはアメリカからの要望があった事も否めませんが)、結果としてバブルを生み出してしまった例です。最近では明らかにデフレ傾向にあった90年代半ばに緊縮財政を推し進め、いわゆる「失われた10年」(「失った10年」というべきでしょう)という停滞を生んでしまった例があります。

  彼ら巨人たちがビジョンの重要性を説いた当時と同様に、なぜ今、短期的には景気回復に結びつくとも思えないビジョンの構築をわざわざ問い直さなければならないのでしょうか。それは欧米はじめ各国がこの10年こぞって推し進めた金融偏重の経済モデルの破綻が誰の目にも明らかになっているにもかかわらず、未だにそういうモデルを目指した市場万能主義の先入観(ビジョン)は消え去っていないように思えるからです。景気回復は焦眉の急ではありますが、短期的に効果を挙げそうな経済政策にばかり血道をあげていても、ではなぜそうした政策を行い今後どういう経済モデルを目指すのかが共有されなければ、結局「市場か政府か」というような単純かつ硬直的な二元論を脱することができず、「これからの10年」をも失う可能性があるからです。国家百年とは言いませんが、せめて国家二十年くらいの計は立てられるのではないかと思います。

  「失う前の10年」、つまり90年代半ば頃ですが、当時、バブル崩壊後の経済低迷は日本経済の構造的欠陥が原因であるとして(この頃は「構造改革」ではなく「規制緩和」と呼ばれていました)、「日本異質論」や「1940年体制論」が盛んに叫ばれていました。僕が卒業後就職した経営コンサルタント会社においても社内報であるパートナー(共同経営者)が当時ITバブルに沸き返るアメリカ経済の繁栄は80年代のサプライサイドの成果である」と賞賛し、「グローバルスタンダード」である「アングロ・サクソンモデル」に日本企業を変革しなければならないと強調していたように記憶しています。

  しかし、資本主義の普遍的モデルであるはずの「アングロ・サクソンモデル」でさえも、今やその盟主たるアメリカが大手金融機関を次々と国有化し、巨額の公的資金を注入するなど普遍などではないことは明白となりました。90年代初めに認知されつつあった資本主義モデルの多元性、つまり資本主義を機能させる制度は唯一普遍のものなどなく、その国の歴史、文化、慣習などを背景として様々なモデルが存在しうるという、冷静になれば当たり前の議論が再び脚光を浴びるようになるでしょう。経済システムが歴史、文化、慣習などを反映したものである以上、形成されるビジョンは必然的にナショナルな性格を帯びます。これからの時代はネイションを基盤としたビジョンを描くことができるかどうかが繁栄の鍵となることでしょう、なぜならスーパーパワーとしてのアメリカの存在が急速に低下した今日、各国はそれぞれ国益の拡大を図って鎬を削ることになるわけですが、その中で短期的な経済利益だけを国益と捉えて右往左往する国と、自らの国柄を反映して長期的戦略で意思決定を行う国とでは、その勝敗は明らかだからです。

  経済モデルの前提としてのビジョン、ビジョンの前提としてのネイション。よってネイションは経済モデルの前提であるという関係で、本書は著者の前作である「経済はナショナリズムで動く」や前々作「国力論」と繋がっていきます。

恐慌の黙示録―資本主義は生き残ることができるのか
中野 剛志
東洋経済新報社

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崩壊する世界 繁栄する日本

2009年03月23日 | レビュー(本・映画等)
  以前ご紹介した三橋貴明さん(http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/21b34ca33dfce82a324a4b838dcfa532)の新著、『崩壊する世界 繁栄する日本-「国家モデル論」から解き明かす』を読みました。

  本書は公に入手できるマクロ経済指標を駆使し、ここ数年話題になった9カ国について、各々の国家モデルを同一のフォーマットで分析したものです。同一の分析手法を用いることで都合の良い部分だけを過大または過小評価するような歪みを避け、しかも分かりやすく説明することが可能になっています。

  分析の結果、今や誰の目にも崩壊が明らかになった金融バブルがいかに脆弱なモデルであり、しかもそのモデルにかくも多くの国々が国家経済を丸ごと依存し仮初の繁栄を謳歌してきたか。三橋さんの前著『ドル崩壊』では今回崩壊した金融バブルの構造が詳しく説明されていましたが、本書ではマクロ経済分析によって前著よりもより平易に説明されています。本書に登場する経済指標の意味が分からなくてもとりあえず読み進め、再度読み返してみればより分かりやすいと思います。

  また、本書ではマスメディアで盛んに喧伝されてきたステレオタイプ、例えば「輸出依存国家の日本は円高になったら崩壊する」、「赤字国債を国民一人当たりの借金に換算するといくら云々」など。ここで詳しく述べることはしませんが、例えば赤字国債の場合、日本では円建てでしかもほとんど日本国民が買っているものなので、当然のことながら日本国民は債権者であるはずです。それを国債発行額を国民の借金として置き換えること自体、普通に考えればおかしいと分かることです。しかし、それにもかかわらずこのような根拠のないステレオタイプがメディアを通じて日本社会に蔓延しているということが、本書を読むと実に良く分かります。

  海外資本を呼び込まなければ日本の経済成長はないと唱え、つい最近まで圧倒的に支持されていた、いわゆる「構造改革」は今や崩壊してしまったイギリスやアイルランドの国家モデルを模範としていたこと、自由主義の盟主を自認し各国に市場開放を迫ったアメリカがいまや主要な金融機関を次々と国有化するという社会主義と見紛うほどなりふり構わぬ国益保護に邁進している姿を見て、わが国は自ら「失ってきた20年」を省みる絶好の機会なのではないでしょうか。本書でも述べられていた通り、重要なのは「他がどうしているかではなく、自国がどういう国家モデルを目指すのか」なのです。本書では日本が「構造的に」持っている強み(つい最近まで改革しようとしていたものです)を最終章で列挙し、日本がこの世界的不況からいち早く立ち直るシナリオを提示しています。しかし、「繁栄する」か否かは偏に日本国民が「繁栄する」と思うか否かに懸かっているのだと思います。


崩壊する世界 繁栄する日本
三橋 貴明
扶桑社

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リーダーシップからフォロワーシップへ

2009年03月08日 | レビュー(本・映画等)
  『監督に期待するな 早稲田ラグビー「フォロワーシップ」の勝利』からおよそ1年http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/4f8982aa04925b4c3131cb6275c3cf27、中竹竜二監督の『リーダーシップからフォロワーシップへ カリスマリーダー不要の組織づくりとは』が発売されました。

  これまでの著作はは主題がラグビーであったので、ラグビーチームを率いた監督としての言葉の中から「フォロワーシップとは何か」を抽出しなければならなかったのですが、本書はフォロワーシップの定義から運用まで組織論を主題として構成されているためラグビーに特に関心のないビジネスマンにとってもより読みやすく、またこれまでの著作よりさらに踏み込んだ形で「フォロワーシップ」を知ることができます。中竹竜二監督は元々大手シンクタンクのコンサルタントでしたから、いずれビジネス書としてフォロワーシップ論を出してもらえないだろうかと僕自身密かに期待していたのです。

  中竹監督批判の多くのものは監督のリーダー像が見えてこないだけに無責任、指導力の欠如といった誤解で現れがちですが、そもそもフォロワーシップとは「フォロワーシップがあればリーダーシップは要らない」というような「リーダーシップ」との対立概念で捉えるべきものではなく、監督の「リーダー像が見えてこない」リーダーシップのあり方こそがフォロワーシップを育成するために採っている監督のスタイルであるということが言えます。フォロワーシップを作るためにリーダーシップは当然必要で、本書においても「リーダーのためのフォロワーシップ論」は中心テーマとして最も多くの頁を割いています。

  本書の優れていると思う点は全体の構成を①「リーダーのためのリーダーシップ論」、②「リーダーのためのフォロワーシップ論」、③「フォロワーのためのフォロワーシップ論」、④「フォロワーが考えるリーダーシップ論」の4つに分け、それぞれについて論じられているところです。なぜなら本書の対象としているのが組織のリーダーばかりでなくフォロワー自身、つまり組織を構成する全員であるからです。さらに、組織に常に優れたリーダーがいるとは限らないのと同様、フォロワーについても将来リーダーとなるフォロワーもいれば将来もフォロワーに徹するフォロワーもいます。そのどれが良いとか悪いとかを論じるのではなく、いかなる立場にある人でも組織の構成員である限りその組織を変革しうる、そのために欠かすことのできない視点が上記の①~④なのだと思います。この点は本書が従来のリーダーシップ本と異なるユニークな点です。

  「フォロワーシップ」は馴染みの薄い概念ではありますが、帝王学の古典として有名な『貞観政要』もよく読むとフォロワーシップの重要性とフォロワーシップを発揮させるためのリーダーシップについて繰り返されているということが分かります。ただ近代において「リーダーシップ」と「フォロワーシップ」の間に生じた知見の偏りがあまりにも大きく、それらが様々な形で歪や限界を露呈し修正を迫られている今日、本書は誠に時節を得たものであると思います。

リーダーシップからフォロワーシップへ カリスマリーダー不要の組織づくりとは
中竹竜二
阪急コミュニケーションズ

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日本人になった祖先たち

2009年01月30日 | レビュー(本・映画等)
  本書はミトコンドリアDNAの女系遺伝からアフリカに始まる人類の拡散経路を辿り、後半ではY染色体DNAの男系遺伝にも触れ、最終的には日本人のルーツを探ろうという刺激的な内容になっています。

  しかしながら、DNA分析自体まだサンプルが少なすぎるのが実態で、詳細な部分の検証には至っていないこと、本書の副題にもあるとおり現代日本人のDNA構造は「多元的」であり、単線的あるいは少数の集団からなる分かりやすい起源を期待した読者には残念な結果となっているかもしれません。

  結局のところ、日本人の起源を巡る多元的で連続的な構造は『ささがねの蜘蛛』や『日本語の源流を求めて』のような日本語の起源についても同様であり、依然として納得のいく結論はでていないというのが現状のようです。

日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)
篠田 謙一
日本放送出版協会

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