窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策

2011年07月23日 | レビュー(本・映画等)
  本書は、2008年に出版された『経済はナショナリズムで動く』(PHP研究所、絶版)を加筆・改訂したものです。

  『経済は~』の時もそうでしたが、本書をお読みになられ、「当たり前のことを当たり前に述べているだけではないか」という感想をお持ちになられた方も多いのではないかと思います。実際、その通りだと思います。

  その「当たり前」を何故改めて問い直さなければならないのか。それはわが国の支配的な言論にその「当たり前」がほとんど見られない、あるいは誤解されているために、「当たり前が当たり前ではない世の中」になってしまっているからであろうと思います。

  詳細は本書をお読みいただくとして、ここでは本書の最も重要な概念である「経済ナショナリズム」について簡単に整理してみたいと思います。

  まず、経済ナショナリズムを理解するには、一言で「クニ」と言ったときのステイト(国家)とネイション(国民)を明確に区別なければなりません。経済ナショナリズムに対する誤解の多くは、そもそもこのステイトとネイションの区別が曖昧であるところにあります。

  本書によれば、ステイト(国家)とは、「政治的・法的な制度あるいは組織」(p.78)のことであり、我々が一般的にイメージする政府や省庁がこれにあたります。これに対し、ネイション(国民)とは、社会学者のアンソニー・スミスの定義によれば、「歴史的領土、共通の神話や歴史的記憶、大衆、公的文化、共通する経済、構成員に対する共通する法的権利義務を共有する特定の人々」(p.78)のことを指します。すなわち、ネイション(国民)とは、「構成員の社会的想念によって統合される共同体」と言い換えることができます。

  したがって、ナショナリズムとは、「ネイション(国民)に対する忠誠のイデオロギーあるいは感情」(p.78)を言うのであり、政府などステイト(国家)に対する忠誠のイデオロギーはステイティズムとしてナショナリズムとは明確に区別されます。

  以上のことを理解すると、経済ナショナリズムは「ネイション(国民)に対する忠誠のイデオロギーを持った経済政策」となり、その目的は「ネイション(国民)の経済的利益の増大」ということになります。経済ナショナリストにとって、ステイト(国家)は「ネイション(国民)の経済発展のために必要な手段」(p.81)なのです。

  経済ナショナリズムは、経済自由主義と対立する概念であるかのように誤解されていますが、経済ナショナリストの目的はネイション(国民)の経済的利益の増大ですから、採用する経済政策はその目的に適うと想定される限りにおいて、プラグマティックに変化します。つまり、目的に応じて保護主義的政策を採用することもあれば、経済自由主義的政策を採用することもあるのです。したがって、経済ナショナリズム=保護主義というのは誤っています。この点については、より具体的な以下の著作についてのレビューも掲載しておりますので、そちらもご覧いただければと思います。

自由貿易の罠 覚醒する保護主義
「TPP開国論のウソ」①
「TPP開国論のウソ」②
「TPP開国論のウソ」③
「TPP開国論のウソ」④
「TPP開国論のウソ」⑤

  ゆえに、経済ナショナリストは、ステイト(国家)の利益には合致するが、ネイション(国民)の不利益に繋がるような政策には反対します。例えば、国民にとって不利益であるにも関わらず、省益拡大を企図したような政策などです。個人的には昨今のデフレ下における増税論などまさにその様なものではないかと考えていますが、そうした政策には反対の立場を採ります。

 以上が、経済ナショナリズムについての極基本的な理解です。この経済ナショナリズムが何故今重要であるのでしょうか。それは、70年代末に興り、90年代以降文字通りグローバルな規模で急拡大した経済自由主義の極端な形態である「新自由主義」の破綻が、2008年以降、誰の目にも明らかになっているにもかかわらず、わが国の支配的な言論がそうしたイデオロギーから未だに一歩も抜け出せていないからです。

 2008年以降、僕は複数の経済学者から「人々を幸せにすると信じて打ち込んできた経済学が本当に人を幸せにするのか疑わしくなってきた」という告白を聞かされたことがあります。それは、経済学の主流である新古典派の想定する「経済厚生の最大化」が、元より完全情報や金銭的利益のみに動機付けられる合理的個人というおよそ現実ではあり得ない仮定の下に導き出された結論であるからというだけではなく、経済学のいう経済厚生は必ずしもネイション(国民)の経済的利益とは一致しないということが明らかになったからではないでしょうか。

 経済ナショナリズムを理解すること、それは経済政策の目的が「国民の経済的利益を増大させること」という「当たり前」に立ち返るということなのです。

国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社


  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「TPP開国論のウソ」⑤-戦うごとに必ず殆うし(後)

2011年05月23日 | レビュー(本・映画等)
2.算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るを況や算なきに於いてをや(始計篇)

  「勝利する条件が整っていれば勝ち、整っていなければ敗れる。まして勝利する条件が全くなかったら問題にならない」。本書で詳細に述べられているとおり、TPPに参加することによるメリットは実現性に乏しく、デメリットの大きさは甚大です。「天を知り地を知れば、勝乃ち窮まらず」(地形篇)とありますが、TPPという自由化政策はデフレ期にデフレをさらに促進するという点で天の利に反し、アメリカを除くTPP参加国には日本が輸出を拡大できるような内需がなく、アメリカも雇用を確保するために輸出拡大の意思を明確にしているという点で地の利もありません。まして、前回みたように交渉の当事者がTPP参加による影響について「よく分かっていない」と発言する始末ですから、まさしく「況や算なきに於いてをや」というべきでしょう。

  「謀攻篇」に「若からざれば、則ちよくこれを避く。故に小敵の堅は、大敵の擒なり」とあります。勝算がなければ、戦いを避けなければならないのです。味方の兵力を無視して強大な敵に戦いを挑めば、敵の餌食になるばかりです。実際、韓国はTPPに参加しても勝算がないことを理解しているので個別FTAを選択することを既に表明しています。よくTPPを安全保障の問題と絡め「TPPに参加しないとアメリカに守ってもらえなくなる」という人がいますが、では、北朝鮮と国境を接し、輸出依存度がGDPの40%を占め、よりTPPに積極参加しなければならないはずの韓国が何故早々にTPPには参加しないと表明しているのでしょうか。韓国は98年のアジア通貨危機でIMFの管理下に置かれ、極端な自由化と緊縮財政を強制されました。その結果、韓国四大銀行の外国人持株比率は何と平均71.25%、三星電子54%、現代自動車49%、LG37%とほとんど外国資本に経済を牛耳られてしまいました。よく「日本の大手電機メーカー9社が束になってもサムスン1社の営業利益に及ばない」と羨む声が聞かれますが、その利益が誰の懐に入るのか明らかでしょう。

  韓国はこの苦い経験があるからこそより極端なTPPではなくFTAを選択しているのです。こうした事例がすぐ近くにありながら、日本は勝算もないのに「平成の開国」などと称して、自らそのような死地に飛び込もうとしているのです。また、メキシコは日本よりはるかに対米依存の高い国ですが、2003年のイラク戦争の際には国連安保理で認められていないという理由で派兵を拒否しました。

  その結果、メキシコや韓国が国際的に孤立、あるいはアメリカとの同盟関係が解消したというようなことがあったでしょうか。アメリカはそれが自国の利益だから同盟しているのであって、自国の利益にならなければTPPに参加して国を差し出したとしても守ってくれる保証などありません。「その来たらざるを恃むなく、吾の以って待つあるを恃むなり」(九変篇)、つまり、敵の来襲がないことに期待をかけるのではなく、敵に来襲を断念させるような、わが備えを頼みとするのであるということですが、国防の問題が心配なら、自主防衛を前提として、さらにそれを強化するための日米同盟を考えるのが筋ですし、その方が両国のためでもあります。

  「TPP開国論のウソ」①の冒頭で「TPP先送り」の記事をリンクしました。それによると、TPP交渉参加の結論を出す時期を「総合的に検討する」としていますが、一方で与謝野馨経済財政担当相が「11月までには日本の態度を決めないといけない」と述べています。11月とは即ち、オバマ大統領の故郷であるハワイで開催されるAPECを指しています。ここで議長国アメリカがTPPを政治成果にしようとしていることは明白なのに、それまで結論を先延ばしした挙句、参加しないなどということが言えるとは思えません。まして、昨年11月のAPEC(横浜)で管首相が「平成の開国」などと事実に反する宣言をしています。日本は既に先進国で最も関税の低い国の一つですから、それ以上の「開国」をするといえば、事実上TPP参加の宣言とみなされるのが常識です。しかも、東日本大震災の4日後にアメリカのフローマン次席大統領補佐官が「最終的な期限は設けないが、APECまでに進展だけさせろ」と言ったそうですが(2011年3月15日付日経電子版に掲載されていたそうですが、削除されているようです)、上の与謝野馨経済財政担当相の発言はこれを受けてのことと思います。

  もし、「11月までにTPP交渉への参加を決めるだけであり、ルール作りは交渉の過程で決めるのだからそんなに騒ぐことではない」というのであれば、楽観に過ぎるというものです。何しろ、横浜でのAPECでTPP参加表明を行った後に「その影響については分からない」と発言するほどの不明さです。その上、2011年1月に前原前外相は「TPP参加は日米同盟強化の一環」と発言しています。仮にそれが本当なら、TPP交渉に参加してその不利に気づいたとしても「安全保障の一環」と位置づけてしまった以上、不都合だからという理由で離脱などできるはずがありません。完全に矛盾しているのです。「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」(軍形篇)とあるように、勝利を収めるのはあらかじめ勝利する態勢を整えてから戦う者であり、戦いを始めてからあわてて勝利をつかもうとする者は必ず敗北するのです。

  唇亡びて歯寒し(「春秋左氏伝」)、農協など特定の誰かをスケープゴートにしていても、彼らを叩いた後、その災難は諸手を挙げて賛成している人たちのところにも降りかかるのだということを知らなければなりません。結論を先送りしている余裕などなく、今すぐにも不参加を表明しなければならないと思います。

  最後に、『孫子』からこの一文を挙げさせていただきたいと思います。

「亡国は以って復た存すべからず、死者は以って復た生くべからず」(火攻篇)

(国は亡んでしまえばそれでおしまいであり、人は死んでしまえば二度と生き返らない)

「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった
クリエーター情報なし
飛鳥新社


  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「TPP開国論のウソ」④-戦うごとに必ず殆うし(中)

2011年05月22日 | レビュー(本・映画等)
  「TPP開国論のウソ」①で『孫子』を少し引用しました。2500年も前に編まれた『孫子』が長い歴史の試練に耐え、今日でも広く読み継がれているのは、それが単に軍事に関わる戦略戦術論ではなく、極めて政治的で柔軟性に富み、また戦争の根底に流れる人間の本質にまで踏み込んでいるため、応用範囲の広い内容であるからだと思います。ナポレオンが『孫子』を愛読し、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が第一次世界大戦に敗れた後で『孫子』に接し、「これをあと20年早く知っていたら…」と嘆いたという話は有名です。

  5回に分けた感想の最後2回は、本書に登場したTPP参加を巡る議論の問題点を『孫子』十三篇から整理してみたいと思います。

1.兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず(始計篇)

  「戦争は国家の重大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。ゆえに細心の検討を加えてかからなければならない」。『孫子』の著者である孫武は、2500年も前に戦争とは政治手段の一つであり、国の存亡に関わる極めて重大事であることを認識していました。ゆえに最初に「始計篇」として、戦争の方法を説く以前に、戦争が及ぼす重大性を認識することを説いたのです。外交交渉も国益を巡る国家間の争いですから、その影響について慎重に検討しなければならないという点では同じです。

  「軍争篇」に「故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず」(諸外国の動向を察知していなければ、外交交渉を成功させることはできない)とあります。当たり前のことなのですが、交渉に当たっては、相手の戦略意図を察知しなければなりません。しかし、TPP賛成論からは、TPPによってアメリカが何を狙っているのかについての考察がまず出てきません。いくら自国の損得を計算したとしても、相手の意図が読めなければ交渉のしようがありません。本書がかなりの紙幅を割き、何故TPPという話が持ち上がったのかの背景について説明しているのはこのためなのです。

  また、その損得勘定がどうも腑に落ちません。経済産業省がTPPに参加しなかった場合の自動車・電機電子・機械産業におけるマイナスの影響を試算しているのですが、『TPP亡国論』で指摘されている通り、その算出根拠が不明瞭かつ恣意的です。逆に参加した場合のマイナス影響については農林水産省の農産物における試算があるのですが、既に述べましたようにTPPが関係するのは輸出製造業と農産物だけではありません。それよりはるかに影響が大きいと思われる金融・投資・政府調達・労働にどんな利益がもたらされるのか、説得力のある説明がありません。

  あまつさえ、国を代表する総理大臣が2011年1月の施政方針演説において、川田龍平議員の質問に対し、「(前略)仮にわが国がTPPに協定に参加した場合に予想される影響については、(中略)どの分野にどのような影響があるのか具体的にお示しすることは困難である」と答えています。また、川内博史議員によれば、TPP担当である平野副大臣が党の部会において「自分たちでさえTPPのことが、よく分からない」と発言したといわれています。有名な、「彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし」(謀攻篇)を引くまでもない有様です。

  一方、アメリカの方はといいますと、本書の中で東谷氏が実に興味深い指摘をしています。1987年に対日貿易戦略基礎理論編集委員会が日本の外交交渉における行動を分析ました。一部本書における引用と異なりますが、そこではこう述べられています。

「日本人は外形、外装を重んじるから、最初に理想的な目標事項を示せば、たとえ実行不可能が十分予想される場合でも、頑張ってやるというであろう。彼等は、喜んで自主規制とか目標協力をするであろう。(中略)われわれは、外圧を日本にも利益をもたらすと信じておこなうべきで、日本人にも外圧が予想どおりのものであったと信じさせることが賢明である。」

  情けなくなるくらい図星で、実際90年代以降の日本の外交交渉はほとんどこの通りとなりました。しかもこの論文は『公式日本人論』として邦訳までされているというおまけつきです。

公式日本人論―『菊と刀』貿易戦争篇
クリエーター情報なし
弘文堂


<つづく>

「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった
クリエーター情報なし
飛鳥新社


  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「TPP開国論のウソ」③-戦うごとに必ず殆うし(前)

2011年05月21日 | レビュー(本・映画等)
  しかも、現在の日本にはこのデフレから脱却するための明確な対策があるのです。本書においてそれを三橋氏が述べているので挙げてみますと、

財務当局と金融当局が一時的に協力して、
①日銀は国債を買取り
②財政当局は財政出動して
③さらに減税を行う

というものです。もう少し具体的に言いますと、日本は世界最大の対外債権国であり、国債は100%円建てで95%国内の金融機関などが持っています。しかも長期金利が世界最低水準なので資金調達がしやすく、長年のデフレで貯蓄過剰状態にあります。そこでこの余っている資金を活用するために国債を発行し資金調達するわけですが、この際に金利が上昇するリスクを抑えるため政府と日銀が協調し日銀による国債の買取り(つまり買いオペ)を同時に行います。政府はその資金で公共事業を行い、需要と雇用を拡大します。そして民間企業に対しては国内投資を促すため、例えば投資減税を行うなどして内需拡大を促進するというものです。

  本書で述べられているように日本のGDPは6割が個人消費ですから、経済を成長させるには内需拡大が最も効果的なのです。内需が拡大してくれば、製造業も国内への依存度を高め雇用が生まれます。国内であれば円高に苦しむこともありませんし、相対的に貨幣価値が下がるので中期的には円安になる可能性すらあります。しかも日本には震災復興は言うまでもなく、高度成長期に作られ耐用年数の過ぎたインフラの再整備、成長分野へのインフラ整備など公共事業を行うべき材料がいくらでもあるといいます。

  これほどまでに明快な日本再生のシナリオですが、三橋氏によるとこの政策提案は何と2003年に当時のFRB理事、バーナンキから出てきたものなのだそうです。2003年といえば、日本国民が「痛みを伴う構造改革」、「郵政民営化こそ改革の本丸」といったキャッチフレーズに熱狂し、デフレ政策に邁進していた頃のことです。アメリカはその頃、不動産バブルでしたからまだ余裕のある提言だったのかもしれませんが、同じアメリカからでも今度のTPPより180度マシだと思います。

  しかし、このシナリオはまだ実現していません。むしろ現実は真逆の方向に進もうとしているようです。TPPが本当に危ういと思うのは、現在明らかになっているだけで農産物や工業製品のみならず、政府調達、電気通信、金融、投資、労働といった幅広い分野において参加国間の貿易自由化を目指しているという点です。デフレにより資産価値が下がっている時にこのような枠組みに参加すれば、企業買収等を通じて食糧、情報インフラ、金融、労働といった国の存亡に関わる重要な分野において外国資本の支配が進む可能性が大いにあります。本書では実際にそのようになった海外の事例を東谷氏が紹介しています。そうすると、仮に政府が上のような政策を行おうとしても、金融機関を支配する海外投資家がNOといえば、できないということになります。投資家は投資収益の最大化が目的ですから、日本国民の生活を守るために得られるはずの利益を放棄するということは考えられません。その時になって道徳論を持ち出して騒いでも遅いのです。

  さらに東谷氏が指摘しているように、過度に自由化を進めた経済協定は、仮に政府が国民生活を守るために何らかの規制や施策を行おうとした場合、それが貿易相手国にとって不利益であれば相手国は国際協定を盾に圧力をかけてくる可能性があります。これをConstitutionalization(経済協議の憲法化)というそうですが、経済自由主義を教条的に信奉している国にそれを内政干渉という理由で拒否する政治力があるとは到底思えません。すなわち、この問題は国家主権が制限されかねないという危険すら孕んでいるのです。たとえ国民が塗炭の苦しみを味わっていたとしても国家になす術がなくなったとき、一体誰が守るというのでしょうか。

<つづく>

「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった
クリエーター情報なし
飛鳥新社


  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「TPP開国論のウソ」②-泣いて馬謖を切る(後)

2011年05月20日 | レビュー(本・映画等)
  さて、「街亭の戦い」における馬謖の判断は、経済自由主義に対する「絶対的価値観の持ち主」たちの主張とよく似ています。その具体的な例は本書の中に多数掲載されていますのでそちらをお読みいただきたいのですが、概ねその絶対的価値とは次のように要約されると思います。

・グローバルな競争で鍛えられることにより、企業の生産性は上がり競争力が強化される
・市場メカニズムにより効率的な資源配分がなされ、経済厚生は増大する
・ゆえに市場の機能を阻害する要因は撤廃しなければならない

  とにかく、市場に委ねさえすれば「見えざる手」により自然と望ましい方向に調整される、と考えている節があります。確かに経済の自由化により企業の生産性が上がり効率よく財を供給できるようになるかもしれません。しかし、本書で再三指摘されているように、それが望ましいのは需要に対して供給が不足している、いわゆるインフレ経済である場合なのです。逆に供給に対して需要が不足している状態が続くことをデフレ経済といいますが、このような状況下で供給を増やせばますます需給ギャップは大きくなり、デフレは深刻化します。いうまでもなく、日本はもう20年近くデフレに苦しんでいます。このようなときに供給を増やすような政策を採ってはならないのです。にもかかわらず、自分たちの置かれている環境がどうであれ経済自由化が絶対的に正しいと考えるのは、まさに「街亭の戦い」における馬謖と同じです。

  デフレとは継続的な供給過剰のことですので、物価が下がります。物価が継続的に下落する局面では、資産価値が目減りしていくので、投資を控えようとします。投資を控えると需要が縮小するので、さらに物価が下落するという悪循環が続きます。日本はバブル崩壊からまだ立ち直りきれていない1997年に橋本政権が緊縮財政(政府支出の削減)と消費税増税(個人消費落ち込み)を同時に行って需要を縮小させ、先進国では戦後初となるデフレに突入しました。なお追い討ちをかけるように2001年からはいわゆる小泉構造改革と呼ばれる緊縮財政と自由化政策が採られ、デフレが深刻化、当然、賃金は下がり、失業率も増加しました。



  実際にIMF、総務省、警察庁などの統計を元に1980年を100とした場合の各指数の推移を見て見ますと、まさに1997年から98年を境にデフレに転じ始め、失業率が急増しています。失業率は2003年から2007年にかけて低下していますが、これは先のバブルによってアメリカの消費需要が旺盛で、それに伴い輸出が増加したことと対応しています。ところがその間、平均賃金の方は低下しているのです。本書で述べられているように、グローバル化によって「底辺への競争」が起こったためです。

  さらに、1997年を境に自殺者が急増し、以降今日に至るまで年間自殺者数が3万人を超えています。イラク戦争後の2006年に暴力やテロによるイラク人の死者は1万6千人、イラク戦争開始後、2006年までに死亡した米兵の数は3千人です。ところが日本では戦争もしていないのに、国民が毎年3万人以上も自殺しているのです。



  平成22年の場合、自殺者のうち原因・動機が特定されたのは74.4%。その内訳として、経済・生活問題と勤務問題を動機にしたものが30%を占めています。しかし、動機不明が25.6%、家庭問題やこの10年で職場のメンタルヘルスなどが問題となったことを考えれば、健康問題もこの長期の不況と全く無関係ではないと思います。

  先に見たように、20年近くに渡るデフレは政策ミスによって起こったものです。繰り返しになりますが、経済政策の舵取りを誤ったことによる人災は大震災に勝るとも劣らないのです。それにもかかわらず、まして東日本大震災によって大きな打撃を受けたばかりというこの時に、デフレをさらに促進するばかりか、国家主権を脅かしかねない金融、投資、政府調達、労働等の自由化までもが盛り込まれているTPPに「乗り遅れるな!」と進んで飛び込もうとしているのです。

  パレート最適な社会がどんなユートピアなのか知りませんが、少なくとも理論的に望ましいが、実態として失業者や自殺者を増やす社会より、理論的に多少非効率かもしれないけれども、賃金が上がり、失業率が下がり、自殺者の少ない社会の方を僕は選択したいと思います。

<つづく>

「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった
クリエーター情報なし
飛鳥新社


  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「TPP開国論のウソ」①-泣いて馬謖を切る(前)

2011年05月19日 | レビュー(本・映画等)
「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった
クリエーター情報なし
飛鳥新社


  本書を読み終えた2011年5月17日、「TPP先送り、成長戦略は見直し=政府が政策推進指針」という記事が掲載されました。これを読んで、「政府はTPP参加を断念した」と思われた方、あるいは「TPP参加の是非は確かに議論すべき課題であるかもしれないが、東日本大震災という未曾有の国難に直面している時に、関わっている場合ではない」とお考えの方には、ぜひ本書をご一読されることをお勧めします。

  なぜなら、本書はTPPという貿易協定の枠組みがいかに日本の国民生活にとって危険なものであるかを論拠を明らかにしながら丁寧に指摘しているのみならず、TPP参加を巡る論議の中に現れている、政府の意思決定過程や言論界の粗末さ、危うさを徹底的に洗い出しているからです。これを読まれれば、大震災に勝るとも劣らぬ人災がすぐそこまで迫ってきていることがお分かりになることでしょう。その点においては、前回ご紹介した『TPP亡国論』と同じなのですが、今回は共同執筆者に三橋貴明氏と東谷暁氏が加わり、さらに内容の濃いものとなっています。

  さて、『自由貿易の罠 覚醒する保護主義』でも述べたことですが、あらゆる分野において関税をはじめとする貿易障壁を撤廃するという過激なTPPという枠組みを是とする人たちの根底には、やはり「経済自由主義」(市場原理主義)に対する無批判な信仰があります。そもそもTPPの根拠が経済自由主義ですから当然なのです。問題はこう主張する人たちの多くが、いかに現実の経済が理論とはかけ離れた結果を生んでいようと、理論が正しく、現実の経済の方が理論を忠実に守らないから失敗するのだと考えているという点です。そこで、「改革をしなければならない」となるわけです。

  こうした人たちを三橋氏は「絶対的価値観の持ち主」と呼んでいますが、このような考えに接すると、僕はいつも小説『三国演義』の「街亭の戦い」を思い出します。「泣いて馬謖を切る」の故事で有名な、蜀の参謀馬謖の話です。

  蜀軍の拠点として極めて重要な街亭の守備を命ぜられた馬謖は、出陣に際し、蜀の丞相である諸葛亮から再三「街亭の死守」と「高地に陣取ってはならない」という注意を受けていたにもかかわらず、高地に陣取ってしまいます。しかし、攻め寄せてきた魏軍に山を包囲され、水源を絶たれた上、火攻めに会い壊滅的な敗北を喫してしまうのです。これにより蜀軍は遠征を断念し、撤退せざるを得ないほどの打撃を蒙りました。馬謖はその責任を問われ処刑、これが有名な「泣いて馬謖を切る」の故事です。

  確かに、最も優れた兵法書といわれる『孫子』には、「およそ軍は高きを好みて下きを悪む」(行軍篇)と書かれているのです。しかし、『孫子』は同時に「地に争わざる所あり」(「水や食糧の確保できないような」占領してはいけない土地というものがある)とも述べています。馬謖は「勢とは利に因りて権を制するなり」(始計篇)、すなわち原則はあくまで原則であり、用兵は状況を総合的に判断して臨機応変になされなければならないという、兵法の基本を見落としていたのです。

  さらに馬謖は、副将である王平から「高地に陣取り、もし敵に水源を絶たれたらどうするのか」と問われています。これに対して馬謖は、「そうなれば兵は生き残るために必死になって戦うにちがいない」と答えました。これはこの時代より遡ること400年、漢の名将韓信による「背水の陣」を念頭においての発言であろうと思われます。しかし、オリジナルである韓信の「背水の陣」は、決して窮地を脱するための起死回生の策としてこのような行動に出たのではなく、実は不利な状況と見せかけて敵を城からおびき出し、その隙に別働隊が城を占領する陽動作戦を成功させるために準備された、周到な作戦だったのです。これについても『孫子』には「これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く」(九地篇)とあるのですが、馬謖が韓信と決定的に異なっていたのは、韓信が周到な準備の上で兵を奮起させるため窮地に追い込んだのに対し、馬謖は窮地に追い込めば兵は必死になって戦うだろうと因果を倒錯していたという点にあります。

<つづく>

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TPP亡国論

2011年03月22日 | レビュー(本・映画等)
  昨年のAPECで突如として現れたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加の問題。そもそもTPPが何なのかも含め、確たる議論もなされないまま何となく世論は賛成一色の様相を呈しています。著者はこのTPPというものが突如登場した直後からいち早くそのデメリットを指摘し、日本の将来を左右するかくも重大な政策がロクな検討もされないままに採用されようとしている現在の風潮の危うさに警鐘を鳴らし続けてきました。それらについては既に様々な情報媒体を通じて知ることができますので、ここで改めて述べることはしません。ご関心がおありの方は、例えば以下の記事などをお読みいただくと、本書で述べられていることの大よそのところが掴めるのではないかと思います。

http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/01/tpp_5.html

  しかしこれまでに公表されてきた著者の論説と比べても、本書はTPP参加の是非にとどまらず、TPP問題に凝縮されたわが国の抱える根本的な問題を理解するのに不可欠な内容を新書版という限られた紙幅の中に網羅しており、読者の理解を深めるのに好適な内容となっています。しかも、これまでの著者の著作の中では格段に分かりやすく平易に書かれているのも特徴といえます。

  東日本大震災による混乱の中、TPPの問題は一時トーンダウンしたようにみえ、放っておいても先送りになるのではないかという楽観論もあるようです。しかし、そのような楽観論にも本書が述べているわが国の病理があります。日本は10年以上に渡り、デフレ期にデフレ政策施すという失政を繰り返し、世界でも未曾有の長期デフレに陥り国民生活を疲弊させてきました。そのことは恐らく多くの方が認識しているであろうにもかかわらず、さらにデフレを悪化させる極端な自由化政策であるTPPに対してほとんど異論が聞かれない。そのことを少しでも異常だと思われるのでしたら、本書によってTPP参加という天災にも劣らぬ人災について理解を深めると同時に、国民生活を危機に陥れる事象に対して何故かくも無感覚になってしまったのか、その本質について理解していただきたいと思います。

  したがって、この本をTPPについて知る本として読んでいただくのも結構なのですがが、恐らく著者が訴えたいことはTPPをあくまで題材としたより大きな問題にあるとお考えいただくのが良いと思います。

  さて、自分たちの生活を危うくするであろう重大事に対する無神経さ、十分な検討もないまま全体主義的に気分に流される無邪気さ。こうした異常性は一体どこから来るのでしょうか。自分なりに本書を読んで考えてみた時、それはわが国に蔓延する「自立心の欠如」とそれゆえの知的怠惰に要約されるのではないかと思います。自立心の欠如は著者による過去の著作『考えるヒントで考える』の主要なテーマでしたが、国家とは常に生存を賭けた政治的駆け引きの上に成り立っているものであるという意識がそもそも希薄なのではないか、それゆえに、「アメリカの言うことを聞かなければ、守ってもらえなくなる」というような発想に何の疑問も起こらないということがあるのではないかと思うのです。ひょっとすると疑問が起こらないのではなく、それは不都合なことから無意識に目を背けようとする心理的逃避なのかもしれません。いずれにしてもそれを65年もの長きにわたって続けてきたのが今日のわが国である、そのことをまず強く認識しなければならないと思います。

  次に物事を極端なまでに単純化し、思考にエネルギーを費やすことからできる限り逃れようとする態度です。この点については、例えばTPP参加に賛成するにせよ反対するにせよ、五十歩百歩の傾向があります。賛成派については本書の中で詳述されていますので割愛しますが、反対派についても似たようなものです。例えば、TPPに反対するのは「日本の農業が駄目になるから。それ以外のことには???」というような具合です。

  特にこうした時反対派からしばしば聞かれるのが、「アメリカの陰謀説」というものです。しかし、本書でも述べられている通り、TPPに関してアメリカは見ようによっては屈辱とも言えるほど露骨に手の内を披露しているのであり、これは陰謀などではありません。強いて隠されていることがあるとすれば、具体的に日本をTPPに引き込むにあたりどのような手順を踏むかという外交戦術についてだけですが、そのようなものは国家間の外交でなくとも当たり前にあることで、将棋を指していてもあるような情報非対称性に過ぎません。陰謀説というと、最近では郵政事業民営化の是非を巡る問題でも一部で「陰謀説」が囁かれていました。「郵政民営化はアメリカの陰謀であるから気をつけろ」と。しかし、この郵政民営化に関するアメリカの要望は『年次改革要望書』に明記されていたものであり、それらは2008年まで外務省のホームページに日本語で掲載されていました。やはり陰謀でも何でもなかったのです。よしんば陰謀であったとしても、問題はそれがわが国の国益(この国益という言葉もしばしば矮小化されますが)に適うのかどうかであって、陰謀だから反対というのはやはり知的に怠惰な態度だと思います。

  さらに付け加えれば、現実の国際情勢や経済状況がどうであろうと、過去の歴史がいかに理論とは逆の事実を示していようと、あくまで仮説に基づくモデルに過ぎない理論を教条的に信奉し、一片の疑問も差し挟まないばかりか、現実の方が理論に合わないことを以って現実を破壊しようとする傾向です。この点は著者による過去の著作『自由貿易の罠 覚醒する保護主義』のテーマでもありましたが、これなどはヴァーチャルな世界に埋没して現実との区別がつかなくなってしまった人たちとどう違うというのでしょうか?そのような態度が支配的となり、徒に「改革」を連呼する社会は極めて危ういといわざるを得ません。

  以上のように、TPP参加の問題は当然緊急の重大事であるのですが、それ以上に今回のような過ちを繰り返さないようにするためには、その過ちを引き起こしている原因にも同時に目を向けなければなりません。病気の治療法は当面の死活問題として重要ですが、その病気を生み出した根本である生活態度や食事、精神状態などを改善しなければ病気の本当の治癒とはならないのと同じことです。しかもそれは我々自身の存亡に関わります。

  本書に登場する「トロイの木馬」の比喩のように、国は外敵よりも内部の敵によって内側から滅びることの方が圧倒的に多いのです。大抵の場合、外敵はその引導に過ぎません。このことは「地中海の女王カルタゴの滅亡」でも述べた通りですが、その内敵とはわが国の場合、先に述べたような自立心の欠如と現実逃避にあると言えます。そのような態度こそ「開国すべきである」と著者は述べています。

  「ハンニバルを打ち負かしたのはローマ人ではなくカルタゴ元老院の悪意と中傷である」 ハンニバル(247B.C.~183B.C.)

TPP亡国論 (集英社新書)
中野 剛志
集英社


なお、本書の印税収入の半分に相当する金額が日本赤十字社東北関東大震災義援金として寄付されるとのことです。

http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/02/tpp_12.html

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成長なき時代の「国家」を構想する ―経済政策のオルタナティヴ・ヴィジョン―

2011年01月05日 | レビュー(本・映画等)
  本書は、2009年7月から2010年1月にかけて開催された、三菱総合研究所による「オルタナティヴ・ヴィジョン研究会」の報告書、「経済政策のオルタナティヴ・ヴィジョン」と、同研究会に参加した研究者および行政官による関係論文をまとめたものです。

  オルタナティヴ(代替・代案)・ビジョンとはつまり、経済成長のみを志向した従前の政策ビジョンに代替する新たなビジョンのことです。経済が成熟化し成長が望めなくなった時代に、経済成長を目的する経済政策はその存在意義を根本的に問われることになります。その際、経済成長に代替する経済政策の目的はあり得るのか、あるとすればその目的はいかなるビジョンの下に設定されるのでしょうか。

  結論から言えば、同報告書では経済成長(GDPの成長)に代わる新たな指標に国民福利の成長を挙げています。しかし、一見してお分かりのように「国民福利」と言ったときに、何を以って「福利」となすのか、それ以前にわが国においては戦後なおざりにされてきた、何を以って「国民」となすのか、などの定義が明らかにされなければなりません。「国民福利」を定義するにあたっては、必然的に、国家とは何か、豊かさとは何か、人間とは何か、など哲学的な考察に踏み込まざるを得なくなります。

 したがって、同研究会は単に経済政策の担当者や経済学関係者だけでなく、政治哲学、法哲学、思想史といった幅広い関係者から構成されています。また、経済思想についても保守思想や左翼思想など全く立場を異にする関係者が同席し、それぞれの立場から共通のテーマについて論じているのも本書の特徴と言えます。読んでいて思ったのですが、それにもかかわらず、各関係者の問題意識にはさほどの違いがなかったというのは大変興味深い点だと思います。

 本書は、今後わが国が長期的に低成長化するという悲観的シナリオの下に、GDP成長に替わる国民福利の成長を志向した経済政策への転換を提案し、それを実現するため今後国民全体で議論を深め、コンセンサスを形成していくための端緒となる様々な課題について述べています。僕の理解力では少々難解なものもありましたが、第一部の報告書のみならず、第二部のメンバーによる各論文も興味深いものがあります。以下に、第二部のタイトルのみ列挙させていただきます。

・「豊かさの質の論じ方」‐傍観と楽観の間
・低成長下の分配とオルタナティヴ・ヴィジョン
・幸福・福利・効用
・外国人労働者の受け入れは日本社会にとってプラスかマイナスか
・配慮の範囲としての国民
・共同体と徳
・「養子」と「隠居」-明治日本におけるリア王の運命
・オルタナティヴ・ヴィジョンはユートピアか?-地域産業政策の転換
・”生産性の政治”の意義と限界-ハイエクとドラッガーのファシズム論を手がかりとして
・なぜ私はベーシックインカムに反対なのか
・低成長時代のケインズ主義
・ボーダレス世界を疑う-「国作り」という観点の再評価
・グローバル金融秩序と埋め込まれた自由主義-「ポストアメリカ」の世界秩序構想に向けて

 「抽象的な理念や思想の話ではなく、論議すべきはこの低迷から脱する処方箋についてである」、そう思われる方も多いのではないかと思います。しかし、この20年を振り返ってみますと、一貫して経済成長を志向してきたにもかかわらず、名目GDPは1996年をピークに横ばいを続け、2008年以降は成長どころか急速にマイナス、2010年は1992年と20年前の水準にまで落ち込んでしまっているのが現実です(下図)。これはむしろ、経済環境の変化によりGDP成長のみを志向する政策そのものに既に限界があったと考えるべきではないのでしょうか。

[世] [画像] - 日本の名目GDPの推移(1980~2010年)

  現在経済成長の起爆剤として期待される、中国やインドを初めとする、新興国市場でさえも決して長期的な安定成長が約束されているわけではないということを示す、さまざまなリスクが既に明らかとなっています。描かれたリスクシナリオは必ずしも悲観に過ぎるとは言えないのです。

  かつて世界恐慌を経験した知の巨人たち(ミンスキー、ヴェブレン、ヒルファーディング、ケインズ、シュンペーター)が共通して、経済政策の基礎となるヴィジョンを重視していたというのは、編者の著書『恐慌の黙示録』に述べられています。また、ヴィジョンの欠落した国家が辿った末路については、以前このブログ「地中海の女王、カルタゴの滅亡」でも述べたことがありました。このような経済状況だからこそ、過去20年の失敗の蓄積から学び、自分たちがどのような国、どのような地域社会、どのような会社、どのような家族像を目指すべきなのか考えるチャンスなのではないでしょうか。

  本書の第三部、メンバーによる討議で興味深いことが述べられていました。ヨーロッパではこうしたビジョンを巡る官民を問わない討議の下地こそイノベーションの源泉になっているというものです。これはある意味、当然と言えます。長期的に目指すビジョンがあり、それを実現するための思考があるからこそ、方向性が保たれつつも斬新な発想が生まれるからです。

  本書のタイトルは「成長なき時代の「国家」を構想する」となっていますが、さらに第三部を読むとメンバーそれぞれが国民福利増大を目的とする経済政策を推進することによって、結果的に経済成長も実現され得るという可能性を描いているということが注目されます。自明のことかもしれませんが、本書は単に経済成長が望めないから、諦めて過去の資産があるうちに他の事をしようなどと言う虚無的な態度で編まれたものではないということを最後に付言しておきたいと思います。

成長なき時代の「国家」を構想する ―経済政策のオルタナティヴ・ヴィジョン―
中野剛志,佐藤方宣,柴山桂太,施光恒,五野井郁夫,安高啓朗,松永和夫,松永明,久米功一,安藤馨,浦山聖子,大屋雄裕,谷口功一,河野有理,黒籔誠,山中優,萱野稔人
ナカニシヤ出版


  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスキャロル

2010年12月23日 | レビュー(本・映画等)


「私は、過去、現在、未来を生きる」

  もうすぐクリスマスですね。最近、子供と一緒にディズニーのDVD「クリスマスキャロル」を繰り返し観ています。言うまでもなく、チャールズ・ディケンズの同名小説のアニメです。

  1843年のロンドン。クリスマスイブの夜、無慈悲で守銭奴の老商人、エベネーザ・スクルージのもとに、かつての共同経営者で7年前に死んだ、ジェイコブ・マーレイの幽霊が現れます。マーレイの幽霊は、強欲な人間が死んだ後いかに悲惨な運命を辿るかを、自分の姿を例に説き、スクルージが自分と同じ運命になるのを避けられるよう、過去・現在・未来の三人の精霊を彼の元に出現させることを約束します。

  まず初めに、過去の精霊が現れます。過去の精霊はスクルージを孤独な少年時代、そして貧乏だがまだ純粋だった青年時代に連れ戻し、スクルージに過去の自分の姿を思い出させます。そして、貧しさから抜け出そうとするあまり守銭奴となった彼のもとから、愛する人が去っていったという、恐らくスクルージがその後長く眼を背けていたであろう事実を直視するよう迫ります。

  次に現れた現在の精霊は、スクルージをロンドンの様々な場所に連れて行きます。中でも、貧しいながらも愛情で結ばれた事務員ボブ・クラチットの家庭を見せます。そこで、スクルージは自分が薄給で雇っているクラチットの息子、足が不自由でも優しさに溢れたティムの命が長くはないことを知ります。

  最後に、未来の精霊が現れます。未来でスクルージは、皆から忌み嫌われたある男が死んだという話を聞きます。彼の死を悼む者は誰もおらず、シーツに包まれ、寂しく横たわる死体が映ります。剰え、スクルージはその男の衣服や金目の物を盗んで、古物商に売りに来た家政婦の女とその商人との、耳を覆いたくなるような浅ましい会話を目の当たりにします。

  また、未来ではあのクラチットの息子ティムが世を去ったことを知ります。最後に、墓場において自分の墓標を見たスクルージは、周りから見捨てられて寂しく死んだあの男が、自分であったことを知るのです。

  ここに及んで、目を覚ましたスクルージは、まだ自分には未来の運命を変えられる可能性があることを悟ります。彼は改心し、やがて「クリスマスの祝い方を誰よりも知っている人」とまで呼ばれる善人となりました。

  冒頭の、「私は、過去、現在、未来を生きる」というのは小説の中で改心したスクルージが言った、非常に印象的な台詞です。マーレイの幽霊はなぜわざわざ過去・現在・未来の精霊を出現させたのでしょうか。スクルージを改心させるためだけであれば、未来の精霊だけを登場させ、陰惨な未来の姿を見せれば事足りそうなものです。しかし、未来を見せる前にまず過去を、次に現在を直視させたのです。これはすなわち、過去も未来も全ては現在の中にある、逆に言えば現在は過去や未来からの影響を受けて存在していると言うことではないでしょうか。過去から眼を背けたままで現在を変えることはできず、現在から眼を背けていて未来を変えることはできません。心の底から行いを改めるには、逃避してきた過去も、眼を向けようとしない現在も受入れ、なおかつ未来をもすでに起こっていることとして受け止める必要があるということではないかと思います。

  クリスマスの夜に、ちょっと考えさせられる一本です。

Disney's クリスマス・キャロル [DVD]

ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社

このアイテムの詳細を見る


クリスマス・キャロル (光文社古典新訳文庫)
ディケンズ
光文社

このアイテムの詳細を見る


  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SPACEBATTLESHIP ヤマト

2010年12月21日 | レビュー(本・映画等)
映画 SPACE BATTLESHIP ヤマト 予告


  日曜日に実写版の宇宙戦艦ヤマトを観に行きました。

  世代として当然アニメに触れてはいたのですが、小学校低学年時の僕は宇宙戦艦よりも普通の戦艦大和の模型作りに傾いていたので、同世代の皆さんほど詳しくは知らないのが幸いしたのか、そうでなかったのか...。

  いずれにしても、透明なデスラーに女医の佐渡先生、あと黒木メイサとか、黒木メイサとか、黒木メイサとか...。



最初こそイメージと違い戸惑いましたが、映画は映画として別物と考えれば、むしろ良かったと思いました。島大介の声はイメージどおり。

  前半はちょっと陳腐なSFかな思っていたのですが、進むにつれて命に代えても守るべき愛であったり、わずかな可能性でも諦めない精神であったり、ヤマトらしいテーマがきちんと描かれていたと思います。イスカンダル上陸前、木村拓哉演じる古代進が乗組員に宛てて行った演説の場面で、涙腺の弱い僕は(ディズニーアニメ、「レミーのおいしいレストラン」でさえ、飛行機の中で)。

  最後に。デスラーの「われわれは部分にして全体、アルファにしてオメガ」という台詞、下の本に同じ事が書いてありました。 

神との対話―宇宙をみつける自分をみつける (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)
ニール・ドナルド ウォルシュ
サンマーク出版

このアイテムの詳細を見る


  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする