窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

安土城址

2007年11月20日 | 史跡めぐり


  『商いはたねやに訊け』を読んでいて安土出身の社員の方が紹介されている頁に差し掛かったとき、「そういえば安土がすぐ近くなんだ」ということに気がつきました。僕は小学校2年生の頃、子供向けの伝記本を読んでいて最初に好きになったのが源義経、その次が織田信長でした。特に織田信長の安土城に憧れ、『城なんでも入門』という本を買っては当時発見されたばかりの「天守指図」に基づいて内藤晶教授が復元した安土城に熱中していたものです。同年代の皆がガンプラを作っていた当時、僕は城の模型ばかり作っていました。しかし残念なことに当時安土城の模型は発売されておらず、その時の心残りがあってか30歳も過ぎた数年前、わざわざネットで安土城の模型を購入して作った程でした。ですからその当時以来25年、いつかは安土城を訪れたいと思っていので、偶々近江八幡まで来た千載一遇の好機を逃す手はありません。日牟禮の舎からタクシーに乗り安土城址へと向かいました。



  安土城は平山城ですので安土山に登らなければならないことも分かっていましたが、入り口を入ってまず出迎えたのはとてつもなく急で長い石段。石段の両脇には羽柴秀吉や前田利家など家臣の屋敷址が並んでいます。補修されたとはいえ、発掘された城の規模は想像以上のものでした。



  発掘された石垣の石には地蔵やら仏足石までが使われており、それがいかにも信長らしさを伝えています。近江坂本の穴太衆により積み上げられた切込みハギの石組みを目の当たりにするだけでも感激なのですが、黒金門址を過ぎるといよいよ城郭の中枢らしくなってきます。驚くべきことに最近の発掘調査では安土城本丸、二の丸の櫓は回廊で結ばれていたことが分かっており、当時安土城を訪れた人たち(勿論ここまで入ることを許された一部の人たちですが)は壮麗な建築物の下をまるで地下通路を通るかのように潜って天主台まで向かったであろうということです。後の城郭建築に類似する構造を知りませんが、思うに「聚楽第屏風」に描かれる聚楽第が最も近いイメージかもしれません。



  そしてついに幼い頃本で眺めていた不等辺八角形、安土城独特の天主台に到着。本丸は標高180m位のところにありますが、ここからさらに45mの天主閣がそびえ立っていたことを想像すると当時としては想像を絶する威風を放っていたであろう事は想像に難くありません。信長はここに当時知りうる宇宙観、宗教を統合した「天下統一・王道楽土」を象徴する世界初の高層木造建築を作り上げたのです。岐阜城から始まった「天下布武」をここ安土で終わらせようとしたに違いありません。



  写真は天主台から見下ろした安土城天主閣の地階部分です。



  天主台より琵琶湖方面を望む。今は埋め立てられ水田になっていますが、当時の安土山は琵琶湖に面していました。この琵琶湖が濠の役割を果たしており、かつここから船を出せば京都に出ることもできました。さらに、羽柴秀吉の長浜城や明智光秀の坂本城といった、織田家の重臣の居城が琵琶湖に沿って点在しており、安土城を防備できるようになっていました。ルイス・フロイスの記述にあるような湖面に映る天主閣の姿を現在見られないのは本当に残念ですが、せめてもの慰めといいますか安土城址の近くに「信長の館」という博物館があり、そこで1992年の「スペイン・セビリア万国博覧会」に出展された安土城最上5階・6階の実物大復元模型を見ることができます。

 

安土城址


こんなCGもありました。

Minecraft 安土城再現普請絵巻 - Azuchi Castle, Japan


商いはたねやに訊け―近江商人山本徳次語録
山本 徳次
毎日新聞社



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たねや日牟禮の舎

2007年11月20日 | その他
10日の朝、ホテルを出て「たねや日牟禮の舎」に向かいました。確か近江八幡駅からタクシーで5分と書いてあった気がしたので15分も歩けば着くだろうと思っていましたが、どうしてどうして思いのほか遠く25分くらいひたすら歩きました。お陰で甲子園常連の八幡商業高校やメンソレータム(今はメンタームというらしいですが)で有名な近江兄弟社なども見かけることができました。

 「たねや日牟禮の舎」は八幡山のふもと、日牟禮八幡宮の鳥居をくぐってすぐのところにあります。向かって右側が和菓子の「日牟禮茶屋」、左側が洋菓子の「クラブハリエ日牟禮館」。ここでは名物のバームクーヘンを作っているところが観られます。その奥にも古い洋館を利用したカフェなどがあるらしいのですが今回は時間がないので割愛し、お土産に「栗月下」といういわば栗金団を餡子で包んだお菓子を買って帰りました。家で早速食べてみましたが、中の栗金団が栗の味を生かし甘みを抑えていたので、意外とあっさりしていて美味しかったです。栗餡の裏漉しがとてもきめ細かく、小豆餡と一緒になってもくどくならないところが良かったですね。写真は「日牟禮茶屋」の中に展示されていた工芸菓子です。

 近江八幡は有名な近江商人のふるさとで昔ながらの街並みも保存されています。またその昔、豊臣秀次が八幡城を中心に安土城下の商人を移して発展させた商業の町だそうで、時間があればもう少しじっくりと回ってみたい所でした。



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たねや本店

2007年11月20日 | その他
9日は奈良のお客さんを訪問した後、「たねや」さんに行くため滋賀の近江八幡へ向かいました。しかし近江八幡駅に着いたときはすでに5時。この日の内に「たねや日牟禮の舎」を見て帰るのは不可能と判断しぶーめらん通りのビジネスホテルに一泊することにしました。
地図を見てホテルの近くにはたねやの本店があるのを知り、閉店までのわずかな時間を利用して訪問してきました。
 思いのほかモダンな本店の2階は茶房になっています。入口にあるメニューの脇には実のついた柿の枝が壷に生けてありました。本で読んだとおり季節感を感じさせる演出です。女性店員の応対の良さは勿論のことなのですが、印象に残ったのはお帰りになるお客さんがみなとても楽しそうな顔をして店員さんに挨拶をして帰っていく光景でした。

 おしゃれな店内の奥には江戸時代から使われてきた和菓子の型が展示してありお菓子の博物館さながら。明後日お茶会があることもあってか無意識のうちに煎茶と小豆・抹茶のシフォンケーキを注文していました。シフォンケーキは甘さ控えめで、これを家に持って帰ることができないのが非常に残念でした。そして出てきた煎茶が写真の通り。これだけでもお茶会に呼ばれたときのような演出ですよね。伝票挿しに至るまでおしゃれです。

 1階の店内には入りませんでしたが、外からガラス越しにお菓子を作っているところを覗くことができます。今年話題を呼んだ「クリスピークリームドーナツ」もお店でドーナツの製造工程を見られるそうですが、こういうのは子供たちにとっては楽しいでしょうね。我々故繊維業界も古着の選別工程や梱包している様子を外から眺められるようにしたら面白いかもしれません。

 本店は想像した通り、たねやの理念が浸透していることを感じさせるお店でした。今回何故たねやに関心を持ったのかと言えば、トップの思いをどうすれば最前線の社員にまで浸透させることができるのか、その点に興味があったのです。まだその明確な答えは分かりませんが、直感的に思うのは社員の意識改革を期待する以前に自分がもっと仕事に対する思いを表現することに徹しなければならないのではないかと言うこと、「行ないて得ざるところあれば諸を己に反り求む」(『白鹿洞院掲示』)という姿勢を忘れないようにする必要があると言うことです。

*お客様の視点に立つということは、コンセプトや思想を具体化したものをどうすれば理解していただけるかという努力のことである。
『たねやのあんこ』p.39一部改

たねやのあんこ―二世経営者に捧げる一〇〇の小言
山本 徳次
毎日新聞社

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