僕のような薄学の輩が言うのも何ですが、経済学史の通説を覆す一冊。とりわけマーシャルとヘーゲルについてはあまりにも既成の認識と異なっていたので、僕もこれをどう理解したらよいのか当初は頭が混乱しました。思想史を辿っていくと古典派経済学は決して今日通年として理解されているような地球規模で普遍性をもつ独立した社会システムとしてではなく、あくまでネイションの力を増大させるための手段として理解されていたこと、自由主義経済もその枠組みの中で自由主義なのであり、一度市場がネイションの力を蓄積するのに不都合な方向に向かいだしたときはむしろ積極的な政府の介入が必要であると理解されていたこと。これらは新鮮な驚きでした。このようにとらえればマーシャルはケインズとそうかけ離れたことを述べていたわけではないはずですが、弟子のケインズが師を十分に理解せず、むしろ正反対の立場に位置づけてしまったのは、自分の立場を強固に権威付ける必要があったのかどうかは分かりませんが、不思議なことです。
また、現在では自由主義経済最大の擁護者と映っているアメリカですが、そのアメリカの建国の父たちが経済システムをネイションの力を増大させるための機能として理解し、当時後進国であった自国の立場にあって保護貿易を主張していたことは注目されるところです。この事実は現在「アングロサクソンシステム」として一括りに理解されている新古典派経済が、グローバルに普遍性をもつシステムであるどころか、恐らく僕の私見では60年代以降の政治的イデオロギーに過ぎないのだということを物語っています。
http://d.hatena.ne.jp/masayukisakane/20080615
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
よろしければクリックおねがいします!
↓
また、現在では自由主義経済最大の擁護者と映っているアメリカですが、そのアメリカの建国の父たちが経済システムをネイションの力を増大させるための機能として理解し、当時後進国であった自国の立場にあって保護貿易を主張していたことは注目されるところです。この事実は現在「アングロサクソンシステム」として一括りに理解されている新古典派経済が、グローバルに普遍性をもつシステムであるどころか、恐らく僕の私見では60年代以降の政治的イデオロギーに過ぎないのだということを物語っています。
http://d.hatena.ne.jp/masayukisakane/20080615
![]() | 国力論 経済ナショナリズムの系譜中野 剛志以文社このアイテムの詳細を見る |
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

よろしければクリックおねがいします!
↓
