窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

ウエスものがたり【第六回】ウエスができるまで-裁断作業

2008年06月28日 | ウエスものがたり
ウエス原料が選び出されたら、次にそれらを裁断します。かつて裁断には剃刀や鎌が使われていましたが、高度成長期ごろから写真のような電動裁断機が使われるようになりました。このウエス用裁断機は日本で発明され、現在では世界中でこの形の裁断機が使われています。



 かつて日本人の衣料は和服が中心で、洋装が普及した戦後でも例えば「サザエさん」で見られるように家の中では和装ということが続きました。和服、和裁は糸をほどけば元の四角い布に戻るように作られており、着古したものを仕立て直したり、雑巾として使ったりするのが非常に便利なようにできていました。しかし昭和40年代以降、国民生活が完全に洋服中心となると立体裁断である洋服をいかにウエスとして使いやすいように平面に、しかも無駄なく裁断できるかということが課題となりました。しかも洋服は形状が極めて多岐にわたるので、洋服ごとに裁断の仕方が微妙に違ってきます。こうした課題については各々のウエス屋さんが工夫を凝らし、独自の裁断方法を編み出しているものと思います。



 しかも拭き物として使うウエスは洋服についているボタン、ファスナー、ピンや装飾などを取り除かなければなりません。この作業を裁断しながら行ないます。また、デリケートな作業に使う柔らかいウエスや薄手であることが求められるウエスの場合、拭き物に適さない襟や袖口の厚い部分も取り除かれます。そうした諸条件を満たした上でなおかつ拭き物として使うのに適した大きさでなければなりません。通常ウエスの標準的な大きさは30cm×30cm~60cm×60cmですが、それはこの位の大きさが拭き取るのに一番使いやすいからです。

 さらに一枚として同じ古着はありませんので、ウエスは都度内容の異なる原料から極力品質が一定するように調整を行なわなければなりません。この作業は丁度ワインやウィスキーのブレンダーと同じように、熟練と勘が頼りになります。ウエスというと布をただ切っただけのように思われがちですが、このように実は意外と職人技なのです。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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繊維リサイクルの歴史 【012】中古衣料輸出のはじまり

2008年06月28日 | 繊維リサイクルの歴史
逆にわが国の衣生活がますます豊かになった結果として、まだ着られる衣服がぼろとして大量に回収されるようになりました。女性用の肌着やクリーニング店の袋に入ったままの背広、レースのカーテンなどですが、これらは残念ながらウエスにも反毛原料にもなりません。しかしこうした従来の概念で「ぼろ」とはいえない再使用可能な古着がやがて中古衣料として東南アジアに向けて出荷されるようになりました。

 こうした海外市場はウエスを扱っていたバイヤーによって開拓されました。昭和45年に開催された大阪万博の折に来日したインドのバイヤーが注目したという話もあります。そうしたルートにはそれまでアメリカの中古衣料が出回っていたのですが、日本人の方が体型が似ているので、次第に日本からの衣類が大量に出回るようになったのです。

 戦前も「青島貿易」といって中古呉服の輸出が行われていたのですが、これは満州など大陸在住の日本人に向けて現地では手に入りにくい着物を供給するのが目的で、戦後はなくなっていました。しかし、戦前とは違った形で再び中古衣料の輸出が故繊維業界の主力の一つとなっていったのです。

 高度経済成長を経て故繊維業界はその業態を大きく変えることになりました。またこの時期にウエス、反毛、中古衣料という今日の故繊維業界の三本柱が形成されたのです。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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