京都・山科にある南禅寺は、1289年(正応4年)、亀山法皇の求めに応じて無関普門禅師によって開山された、日本最初の勅願禅寺です。別格として京都五山、鎌倉五山の上位に位置する格式をもつ臨済宗の禅寺として有名です。
応仁の乱(1467年)によって伽藍を焼失しましたが、天海と並び徳川家康の懐刀といわれた崇伝が1605年(慶長10年)入山したことによって再建が進みました。
「高島/宝当(ほうとう)神社」や「鷲林寺(じゅうりんじ)」でもご紹介した山道帰一氏の『風水パワースポット紀行』によると、南禅寺は風水で「脱殺穴」という地形の、気が集まる「穴」に位置しています(上写真。クリックすると拡大します)。脱殺穴には「心身脱落」という意味があり、まさに日本最高の格式を持つ禅寺に相応しい立地といえます。南禅寺を京都五山の第一位としたのは後醍醐天皇、さらに別格としたのは足利義満ですが、昔の人は今よりも風水を重んじたでしょうから、こうしたことを十分理解していたのかもしれません。
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さて、冒頭の写真は中門、その左隣が勅使門です。中門を潜るとほどなくして巨大な三門が見えてきます(写真上)。この三門は、藤堂高虎によって1628年(寛永5年)に寄進されたものです。
三門を潜り、直進して突き当たるのが法堂。現在の法堂は1909年(明治27年)に再建されたものです。
須弥壇の中央が釈迦如来像、右側が文殊菩薩像、左側が普賢菩薩像です。天井には、日本画家、今尾景年作と伝えられる幡龍が描かれています。
法堂から右手に進むと、煉瓦造りの水道橋、「水路閣」が見えてきます。水路閣は1881年(明治18年)に当時の京都府知事北垣国道の発案により、工学博士田辺朔郎を康司主任として起工、1890年(明治23年)に竣工しました。
琵琶湖疏水事業の一環として造られたもので、延長93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mあります。明治維新からわずか20年ほどの時期に日本人のみによって設計・施行された近代水道橋として、土木技術史の点から見ても大変貴重な遺物なのだそうです。
南禅院。亀山法皇が南禅寺開山の際に寄進した離宮の跡で、いわば南禅寺発祥の地です。
亀山法皇作庭と伝えられる庭園は鎌倉時代末期の面影を残しており、静寂で落ち着いた雰囲気です。
方丈は1703年(元禄16年)、桂昌院の寄進により再建されたもので、中央に亀山法皇御木像が安置されています。襖絵の水墨画は狩野養朴と如川隋川によるものだそうです。
庭園の東隅には、亀山法皇の御廟があります。
<つづく>
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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