11月15日、名古屋へ行った帰りがけに、熱田神宮の境内をぶらりと散歩してきました。
熱田神宮は、神社本庁が包括する別表神社のひとつ。古くから、伊勢神宮に次いで権威のある神社であるとされ、宮中で一年最初に行われる行事である四方拝で、天皇陛下が拝礼される神社のひとつでもあります。
その創建は古く、景行天皇43年(西暦113年)とされています。実際、境内からは上の写真のような弥生時代の宮廷式壷(2世紀)などが出土しており、その当時から祭祀上の重要な場所であったことが分かっています。
これは個人的な想像ですが、古代、熱田神宮のある熱田台地は伊勢湾に突出した岬でした。熱田神宮は大和王権が東国へ勢力を拡大する戦略上の重要拠点であったかもしれません。
主祭神は三種神器の一つである草薙剣。その為、素盞鳴尊や日本武尊など草薙剣に縁の深い神々が祀られています。社殿は明治時代に建てられた神明造のものがありましたが、空襲により消失。現在の社殿は1955年(昭和30年)に再建された新しいものです。
前述のように境内には、本宮祭神と縁の深い多くの神々を祀る境内社が沢山あります。上の写真はその内の六末社(乙子社、姉子神社、今彦神社、水向神社、素盞鳴神社、日長神社、楠ノ御前神社)と呼ばれる御社です。
徳川幕府五代将軍綱吉によって1686年(貞亨3年)に再建された西楽所。5月1日の舞楽神事はここで楽が奏されます。元は向かい側に東楽所もありました。
熱田神宮は草薙剣を奉斎する神社であることから、刀剣の寄進が特に多かった神社でもあります。宝物館は撮影不可でしたが、鎌倉時代以降の刀剣が素晴らしい保存状態で展示されていました。因みに、武に関わるという点では、織田信長が桶狭間の戦い(1560年)で今川義元を急襲する際、熱田神宮に参拝したという話も有名です。
上の写真は、室町時代(15世紀)の作、末之青江(真柄太刀)という大太刀です。刀身の長さ221.5cm、重さ4.5kgもあります。青江は備中子位荘内(現在の岡山県倉敷市)の地名で、ここには鎌倉時代から室町時代にかけて青江派と呼ばれる刀工集団が居住していました。江戸時代の大刀が大よそ刀長71cm、重さ0.9kgと言われているので、長さは約3倍、重さは約5倍にもなります。
この大太刀は近江朝倉家の勇志、真柄十郎左衛門が所有していたと伝えられることから、「真柄太刀」とも呼ばれています。真柄十郎左衛門は姉川の合戦(1570年)で戦死、上の写真は「姉川合戦図屏風」で、大太刀を振り上げ奮戦する真柄十郎左衛門が描かれています。
その後、大太刀は1576年(天正4年)に春日部熊野庄(現在の愛知県春日部市熊野町)の山田喜八郎吉久によって熱田神宮に寄進されたとの記録が残っています。
その他、宝物館で印象に残ったところでは孝明天皇の「攘夷の綸旨」があります。撮影ができなかったので、ざっと見た筆跡からの印象なのですが、躍動感のある大きな文字、開明的で激動する時代に対応する目もあり、強い意思が現れていました。頑なな攘夷論者というのが現在の一般的な評価ですが、実はそうではなかったのではないかという感想を持ちました。恐らく天皇は、列強に抗するために中央集権的な統一国家建設の必要を感じ、それを国家分裂を避ける選択肢である「公武合体」によって実現すべきであると考えられていたのではないか。そのように思いました。
熱田神宮
愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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