「小堀遠州 美の出会い展」 松屋銀座

松屋銀座8階大催場(中央区銀座3-6-1
「大名茶人・遠州400年 小堀遠州 美の出会い展」
2007/12/30-2008/1/14



かの古田織部に茶道を習い、江戸時代の大名茶人としても名高い小堀遠州(本名、小堀政一。1579-1647)の業績を辿ります。松屋銀座で開催中の回顧展です。



遠州は茶人としてだけではなく、作庭や建築にまでを手がけたマルチな文化人です。また主にお茶を通じて、当時の後水尾天皇らの皇族や公家から将軍家光以下、伊達、前田の諸大名、さらには光悦らの文化人とも深く交流していました。もちろんこの展示では、そのような将軍家や大名らとの繋がりを示す書状などが多数紹介されています。後水尾天皇の書、または探幽筆、遠州賛による「松原の絵」などは、彼の幅広い交流の一端を示す作品とも言えそうです。



遠州の好みは「綺麗さび」と呼ばれる、端正のとれた美しいやきものです。自身が直接焼かせたものと、逆に埋もれていた作を発掘して世に知らしめた品(中興名物)の双方が紹介されていましたが、まずは釉薬が円を描くような穏やかな曲線美を見せる「瀬戸 春庵 瓢箪 茶入」(五島美術館蔵)や、全く澱みのなく、凛と佇む半筒形の器に、黄土色の釉薬が溢れんばかりにたっぷりとかけられた「高取 面 茶碗」(三井記念美術館蔵)などに惹かれました。またもう一点、忘れられないのは「油滴天目」(北村美術館蔵)です。油滴というよりも、のぎ目天目のような釉の流れる様子が美しい作品ですが、深い藍色に仄かな光も当たって、ぽっと照り出すような鮮やかな青みもたたえていました。

特に印象深かったのは、最晩年の光悦が遠州のために焼いたという「膳所光悦」です。膳所とは近江、現在の大津市の地名で、光悦がその地の砂を取り寄せて作ったことからこのような名前が付けられています。琳派の光悦というと、どこかモダンな造形を得意としていたようにも思えますが、ここに紹介されているのは、さながらそれ自身が深く瞑想しているかのような静けさをたたえた器です。形が円ではなく、やや四角張っている部分が光悦流なのかもしれません。

現在の小堀家宗家、13世家元の宗実氏のプロデュースによるプラチナ箔の「利庵」も展示されていました。これは愛知万博に展示されていたものを移設したものだそうです。

「目の眼 2008/2月号/里文出版」

作庭の業績については簡単な映像等の紹介で終っていましたが、まずは茶人としての遠州を知る良い機会でした。14日まで開催されています。
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