都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ニュー・ヴィジョン・サイタマ 3」 埼玉県立近代美術館
埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区常盤9-30-1)
「ニュー・ヴィジョン・サイタマ 3 - 7つの眼×7つの技法 - 」
2007/12/26-2008/1/27

何と約9年ぶりに開催されたという、埼玉県ゆかりのアーティストによる連続企画展です。同美術館学芸員の推薦によって選出された7名の現代作家が、それぞれ絵画、立体、インスタレーションなどの多様な作品を展開しています。
出品作家は以下の通りです。
古川勝紀(1953-)
河田政樹(1973-)
織咲誠(1965-)
岡村桂三郎(1958-)
宮本純夫(1952-)
冨井大裕(1973-)
志水児王(1966-)

まず日本画の技法によりながらも、絵画を一個のオブジェとしても魅せる岡村桂三郎を挙げたいと思います。暗室に浮かび上がるのは、縦3メートル、横7メートル以上もある木製の屏風「迦楼羅」(2007)三点です。バーナーで焦がして出来たという黒ずんだ表面に、東南アジアに伝わるとされる聖なる鳥が大変な迫力で描かれています。その壁面全てを埋め尽くすかのように翼を広げる様は、まるで観る者を威嚇するかのようでもありますが、大きさ一つをとっても屏風と言うより、さながら古代の洞窟の壁画を見ているかのような味わいがありました。また爛れた表面の木目に白く配されているのは、確かに胡粉なのでしょう。日本画のいわゆる軽さなど見事に吹っ飛ばす、その物質感の重みが凄みにも転化した作品でした。

オブジェでは、ポップな味わいがたまらない冨井大裕が一推しです。カッターの刃をただひらすら何メートルも繋げた一つの「線」を作品にしてしまうことからして痛快ですが、アルミ板や鉛筆、それにスーパーボールなどの有り触れた素材を組み合わせてオブジェにする様は、まるで手品を見ているような印象さえ与えられます。上からのぞくと様々な光の帯が空間を駆けているようにも見える「board pencil board」(2007)や、洗濯用のスポンジをただ組み合わせて箱状にした「four color sponges」(2007)は、大掛かりなことをしなくとも、また簡素なものでも少し手を加えればアートになる得るという、言わばアートとは何かという部分にまで突っ込んで問いを発している作品でもあるのではないでしょうか。またその既視感のある素材にも由来するのか、見ていると奇妙な安堵感を覚えるのも特徴の一つです。出来そうで出来ないとでもいうような、その隙間を埋めるかのようにして作品を展開するところにも魅力を感じました。
最後にあるレーザー光線を使ったインスタレーション、志水児玉の「クライゼン・フラスコ」(2007)は、言わば異次元の世界への誘いです。これはフラスコの名が示す通り、回転するフラスコにレーザー光線を照射して、その光を展示室全体に行き渡らせている作品ですが、帯がゆらゆらと靡くように漂うかのような光を浴びていると、いつの間にか奥行きを認識する感覚を失い、空間が無限に光を呼び込んで深く広がっているかのような錯覚さえ与えられます。装置自体は決して凝ったものではありませんが、宇宙の生成、重力の変化などのイメージも浮かび上がってきました。神秘的です。

その他では、具象ながらも、一部リヒターを見るような気配も感じる古川のアクリル、そして「消して描く絵画」とも呼びたくなるような、脱色剤を用いた宮本の抽象画に感じるものがありました。また全体としても練られた会場構成、そして大判のチラシ等々、美術館側の熱意も伝わってくる企画です。いくら不定期とはいえ、はじめにも触れたとおり9年ぶりの開催とは、連続展の存在意義自体からして問われそうですが、次回の開催も是非望みたいと思いました。
ところでもしこの展覧会が集客に苦労しているとすれば、それは「ニュー・ヴィジョン・サイタマ」というタイトルにも原因があるのではないでしょうか。第1回展は93年ということで、何やら時代も感じるタイトル名ではありますが、率直に申し上げて、これでは展示内容のイメージが殆ど浮かんできません。
今月27日までの開催です。
「ニュー・ヴィジョン・サイタマ 3 - 7つの眼×7つの技法 - 」
2007/12/26-2008/1/27

何と約9年ぶりに開催されたという、埼玉県ゆかりのアーティストによる連続企画展です。同美術館学芸員の推薦によって選出された7名の現代作家が、それぞれ絵画、立体、インスタレーションなどの多様な作品を展開しています。
出品作家は以下の通りです。
古川勝紀(1953-)
河田政樹(1973-)
織咲誠(1965-)
岡村桂三郎(1958-)
宮本純夫(1952-)
冨井大裕(1973-)
志水児王(1966-)

まず日本画の技法によりながらも、絵画を一個のオブジェとしても魅せる岡村桂三郎を挙げたいと思います。暗室に浮かび上がるのは、縦3メートル、横7メートル以上もある木製の屏風「迦楼羅」(2007)三点です。バーナーで焦がして出来たという黒ずんだ表面に、東南アジアに伝わるとされる聖なる鳥が大変な迫力で描かれています。その壁面全てを埋め尽くすかのように翼を広げる様は、まるで観る者を威嚇するかのようでもありますが、大きさ一つをとっても屏風と言うより、さながら古代の洞窟の壁画を見ているかのような味わいがありました。また爛れた表面の木目に白く配されているのは、確かに胡粉なのでしょう。日本画のいわゆる軽さなど見事に吹っ飛ばす、その物質感の重みが凄みにも転化した作品でした。


オブジェでは、ポップな味わいがたまらない冨井大裕が一推しです。カッターの刃をただひらすら何メートルも繋げた一つの「線」を作品にしてしまうことからして痛快ですが、アルミ板や鉛筆、それにスーパーボールなどの有り触れた素材を組み合わせてオブジェにする様は、まるで手品を見ているような印象さえ与えられます。上からのぞくと様々な光の帯が空間を駆けているようにも見える「board pencil board」(2007)や、洗濯用のスポンジをただ組み合わせて箱状にした「four color sponges」(2007)は、大掛かりなことをしなくとも、また簡素なものでも少し手を加えればアートになる得るという、言わばアートとは何かという部分にまで突っ込んで問いを発している作品でもあるのではないでしょうか。またその既視感のある素材にも由来するのか、見ていると奇妙な安堵感を覚えるのも特徴の一つです。出来そうで出来ないとでもいうような、その隙間を埋めるかのようにして作品を展開するところにも魅力を感じました。
最後にあるレーザー光線を使ったインスタレーション、志水児玉の「クライゼン・フラスコ」(2007)は、言わば異次元の世界への誘いです。これはフラスコの名が示す通り、回転するフラスコにレーザー光線を照射して、その光を展示室全体に行き渡らせている作品ですが、帯がゆらゆらと靡くように漂うかのような光を浴びていると、いつの間にか奥行きを認識する感覚を失い、空間が無限に光を呼び込んで深く広がっているかのような錯覚さえ与えられます。装置自体は決して凝ったものではありませんが、宇宙の生成、重力の変化などのイメージも浮かび上がってきました。神秘的です。

その他では、具象ながらも、一部リヒターを見るような気配も感じる古川のアクリル、そして「消して描く絵画」とも呼びたくなるような、脱色剤を用いた宮本の抽象画に感じるものがありました。また全体としても練られた会場構成、そして大判のチラシ等々、美術館側の熱意も伝わってくる企画です。いくら不定期とはいえ、はじめにも触れたとおり9年ぶりの開催とは、連続展の存在意義自体からして問われそうですが、次回の開催も是非望みたいと思いました。
ところでもしこの展覧会が集客に苦労しているとすれば、それは「ニュー・ヴィジョン・サイタマ」というタイトルにも原因があるのではないでしょうか。第1回展は93年ということで、何やら時代も感じるタイトル名ではありますが、率直に申し上げて、これでは展示内容のイメージが殆ど浮かんできません。
今月27日までの開催です。
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