都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「コロー 光と追憶の変奏曲」 国立西洋美術館
国立西洋美術館(台東区上野公園7-7)
「コロー 光と追憶の変奏曲」
6/14-8/31

既にこちらのレクチャーの時などでも展示を拝見していますが、会期末の見納めということで再度、上野まで行ってきました。明日で会期を終えるコローの一大回顧展です。

全体の印象を書いていくと、またいつものような長文になってしまうので省きますが、結局、計三度の展観で一番見入ったのは、元々惹かれていた『光と風のコロー』でもなく、また比較的アカデミックな風でもあるイタリア式の風景画でもなく、ちらし表紙にも掲載された『モナリザ』をはじめとする人物肖像画でした。コローは一般的に、例えば風と靄が光を纏う一連の高名な作品群でも、どこか舞台装置を見るかのような様式美が感じられますが、それは人物表現においても同等であるのかもしれません。とりわけ女性像における類型化されたポーズ、つまりは体を斜めに構え、少しうつむき加減に下を向き、さらには憂いをたたえた瞳を煌めかせる様子は、親しい人物にモデルをとったという、コロー自身の女性趣味が表されている面があったのではないでしょうか。私が特に惹かれた「青い服の婦人」の、どことない詩情をたたえたその美しさは、風景画から感じられる儚さがそのまま人物をとって示されています。くすみながらも、宝石のような輝きを秘めた青の美しさはもちろん、斜め45度に構え、腕をたくし上げる様子には、何かエロチックな魅力さえ感じられました。
「真珠の女」は照明が強く、左方向から見ると髪の毛の部分が光り過ぎてしまうのが残念でしたが、一見、実に貞淑な様を見せながらも、開けた胸元など、やはりどこか「青い服」に通ずるエロスも感じさせる作品です。シワのよった衣服のマチエールは、コローのクラシカルな風景画における白壁の表現に近く、後ろへ流れるような髪の毛も、少し土色を帯びた褐色がかった様にて描かれています。また前で軽く組まれた両手は何とも甘美です。長い指の先まで力を抜き、あくまでも自然にそっと置いたような様で腕を垂らしています。これは艶やかでした。

拙ブログの名付け親でもあるバイロンに主題をとった作品が展示されていたのも嬉しいところです。「エデ」では、海辺を望む岩場にて、マンドリンをかかえた女性が、どこか寂し気に斜めを向いて黄昏れる様が描かれています。前回の高橋氏のレクチャーによると、コローのこの手の作品は、文学主題の内面にまでそう深入りしているわけではないそうですが、バイロン作「ドンジュアン」において、海賊の頭領の娘エデが、主人公ジュアンとの一生の別れに哀しみ、また諦める様は、この作品でも良く表れていると言えるのではないでしょうか。左後方に見える船は、それこそエデの父に連れられてこの地を去るジュアンの乗った帆船なのかもしれません。とすると、このマンドリンから紡がれていた調べは、きっとジュアンへの告別の歌でしょう。
さすがに会期最終日の前日ということで、入場待ちこそなかったものの、会場内は大変に混雑していました。これほどの質量を誇るコロー展はもうしばらく望めそうもありません。上に触れた人物画など、知られざるコローに日本で初めてスポットをあてた、まさに歴史の一ページを飾るような展覧会でした。
なお本展は上野での会期終了後、9月より神戸市立博物館(9/13-12/7)へと巡回します。
「コロー名画に隠れた謎を解く/高橋明也/中央公論新社」
*関連エントリ
「コロー展レクチャー(高橋明也氏)」 国立西洋美術館
「コロー 光と追憶の変奏曲」
6/14-8/31

既にこちらのレクチャーの時などでも展示を拝見していますが、会期末の見納めということで再度、上野まで行ってきました。明日で会期を終えるコローの一大回顧展です。

全体の印象を書いていくと、またいつものような長文になってしまうので省きますが、結局、計三度の展観で一番見入ったのは、元々惹かれていた『光と風のコロー』でもなく、また比較的アカデミックな風でもあるイタリア式の風景画でもなく、ちらし表紙にも掲載された『モナリザ』をはじめとする人物肖像画でした。コローは一般的に、例えば風と靄が光を纏う一連の高名な作品群でも、どこか舞台装置を見るかのような様式美が感じられますが、それは人物表現においても同等であるのかもしれません。とりわけ女性像における類型化されたポーズ、つまりは体を斜めに構え、少しうつむき加減に下を向き、さらには憂いをたたえた瞳を煌めかせる様子は、親しい人物にモデルをとったという、コロー自身の女性趣味が表されている面があったのではないでしょうか。私が特に惹かれた「青い服の婦人」の、どことない詩情をたたえたその美しさは、風景画から感じられる儚さがそのまま人物をとって示されています。くすみながらも、宝石のような輝きを秘めた青の美しさはもちろん、斜め45度に構え、腕をたくし上げる様子には、何かエロチックな魅力さえ感じられました。
「真珠の女」は照明が強く、左方向から見ると髪の毛の部分が光り過ぎてしまうのが残念でしたが、一見、実に貞淑な様を見せながらも、開けた胸元など、やはりどこか「青い服」に通ずるエロスも感じさせる作品です。シワのよった衣服のマチエールは、コローのクラシカルな風景画における白壁の表現に近く、後ろへ流れるような髪の毛も、少し土色を帯びた褐色がかった様にて描かれています。また前で軽く組まれた両手は何とも甘美です。長い指の先まで力を抜き、あくまでも自然にそっと置いたような様で腕を垂らしています。これは艶やかでした。

拙ブログの名付け親でもあるバイロンに主題をとった作品が展示されていたのも嬉しいところです。「エデ」では、海辺を望む岩場にて、マンドリンをかかえた女性が、どこか寂し気に斜めを向いて黄昏れる様が描かれています。前回の高橋氏のレクチャーによると、コローのこの手の作品は、文学主題の内面にまでそう深入りしているわけではないそうですが、バイロン作「ドンジュアン」において、海賊の頭領の娘エデが、主人公ジュアンとの一生の別れに哀しみ、また諦める様は、この作品でも良く表れていると言えるのではないでしょうか。左後方に見える船は、それこそエデの父に連れられてこの地を去るジュアンの乗った帆船なのかもしれません。とすると、このマンドリンから紡がれていた調べは、きっとジュアンへの告別の歌でしょう。
さすがに会期最終日の前日ということで、入場待ちこそなかったものの、会場内は大変に混雑していました。これほどの質量を誇るコロー展はもうしばらく望めそうもありません。上に触れた人物画など、知られざるコローに日本で初めてスポットをあてた、まさに歴史の一ページを飾るような展覧会でした。
なお本展は上野での会期終了後、9月より神戸市立博物館(9/13-12/7)へと巡回します。

*関連エントリ
「コロー展レクチャー(高橋明也氏)」 国立西洋美術館
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