都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」 東京国立近代美術館
東京国立近代美術館
「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」
6/7~8/7
東京国立近代美術館で開催中の「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」を見てきました。
1939年に東京で生まれた詩人、吉増剛造。詩作に留まらず、写真、オブジェ、パフォーマンスなど、幅広いジャンルで活動を続けているそうです。
タイトルにある「声ノマ」。初めは何を指すのかまるで見当もつきませんでした。会場に入ると確かにどこからともなく声が聞こえてきます。吉増の朗読テープです。ただしその声は何を語っているのか判然としません。空間を浮遊しつつ、あてどもなく彷徨うような声は、さも耳をなぞるかのごとくに響いています。
吉増は制作に関して声を重要視しているそうです。解説に声ノマとは「声の真を求めて声の間を研究する声の魔でもある」とありました。声は見る側の身体の奥底へとじわじわ染み込んできます。
会場の一部の撮影が可能でした。
「銅板」 展示風景
構成に工夫があります。会場はほぼ暗室です。入口すぐの展示室が6つに分けられています。とはいえ、何も壁で仕切られているわけではなく、半透明の黒い布が吊るされているのに過ぎません。よって境界は緩やかです。布を通して全体をぼんやりと見通すことが出来ました。
初めは日記でした。古くは1961年。20代の頃です。「愛したい人間を!女を!太陽が消え果てる程!」などの文言が記されています。言わば魂の叫びとも呼べるでしょうか。日常の出来事なども詳細に記録しています。メモ魔だったのでしょうか。字は大変に細かい。近年は日記帳自体も小さくなります。文字は小さ過ぎて判別不能です。何が書いてあるか分かりません。
吉増は10代から写真を撮っていましたが、60歳前後からより本格的に向き合うようになりました。多重露光です。離れた2つ以上の場所の風景を1つの画面に合わせ重ねます。不思議な世界です。実在の場所を素材としながら、この世の景色ではないようにも見えます。現実が異界と交わっているとでも言えるでしょうか。アラーキーとの関わりを示す作品にも目が留まりました。2人の間には交流があるそうです。
「長尺銅板1」 1999-2000年 ほか
オブジェです。言葉ないし声を銅版に打ちつけています。床に横たわるのは薄く長い銅版。まるで絵巻物です。鏨とハンマーで文字を記しています。文字は書のように流麗というよりも、むしろ一画一画の周囲を点で刻み込むかのように書いています。点や線は震え、揺らいでいました。色が介在しています。時に文字とは無関係に広がっていました。
「長尺銅板5」 2001-2012年
オブジェは長いもので5メートルもあります。銅版やハンマーは彫刻家の若林奮から譲り受けたものだそうです。
「声ノート」等 展示風景
吉増が発した声。それを記録したのがカセットテープです。2列で一直線に並ぶカセットは全部で1000本。うち自身の声を収めた「声ノート」を300本含みます。メモに熱心であった吉増は、世の中の声の採集にも取り組んでいたようです。
「声ノート」等 展示風景
瞽女の歌や相撲甚句が目立ちます。独特の抑揚にシンパシーを感じていたのかもしれません。
映像もありました。名は「ゴーゾーシネ」。ほぼ無編集のロードムービーです。砂浜でおそらくは原稿を置き、どこか鬼気迫る様で色を塗りたくっています。何とも謎めいた姿です。まるで呪術のための儀式をしているかのようでした。
「怪物君/みすず書房」
ハイライトは「怪物君」でした。いわゆる長編詩。生の原稿です。東日本大震災の1年後より制作がはじまりました。大きく分けて2部構成です。前半は自作の詩、後半は同じく詩人で思想家の吉本隆明の著作を引用しています。これが膨大。原稿用紙は1000枚を超えるそうです。そしてかの日記よりも極小の文字で記しているため、もはや読むことすら叶いません。
「怪物君」より 2015年
ドローイングと捉えて良いのでしょうか。文字とともに水彩も施されています。色は赤や青です。それらは塗るというよりも、散っていて、表情は激しい。貝殻のようなものが縫いこまれていました。紙は時にぐしゃぐしゃです。皺のないものは一つとしてありません。また何枚か重ねたりもしています。鮮烈です。これが詩の原稿なのでしょうか。俄かには信じられませんでした。
ラストは演出家、飴屋法水が「怪物君」をモチーフにした空間演出を行っていました。これも強烈です。ベニヤ板やキャンバスが積み上がり、青いゴミ袋が転がっているかと思うと、避難ハシゴがや半ば唐突に置かれています。ほか扇風機や鉄のパイプなども散乱。忘れ物の傘までが束になっていました。美術館の空間をかき乱しています。
「声ノート」等 展示風景
疎い私にとって、詩とは何たるかを語ることも出来ません。ただこの展覧会を通じて、吉増剛造という存在が、目に、そして耳に、あるいは身体へ刻み込まれたような気がします。思いがけないほど興味深く見られました。
「我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ/吉増剛造/講談社現代新書」
8月7日まで開催されています。
「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」 東京国立近代美術館(@MOMAT60th)
会期:6月7日(火)~8月7日(日)
休館:月曜日。但し7/18は開館。翌7/19は休館。
時間:10:00~17:00
*毎週金曜日は20時まで。
*入館は閉館30分前まで
料金:一般1000(800)円、大学生500(400)円、高校生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*当日に限り「MOMATコレクション」、「奈良美智がえらぶ MOMAT コレクション:近代風景 ~人と景色、そのまにまに~」も観覧可。
住所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」
6/7~8/7
東京国立近代美術館で開催中の「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」を見てきました。
1939年に東京で生まれた詩人、吉増剛造。詩作に留まらず、写真、オブジェ、パフォーマンスなど、幅広いジャンルで活動を続けているそうです。
タイトルにある「声ノマ」。初めは何を指すのかまるで見当もつきませんでした。会場に入ると確かにどこからともなく声が聞こえてきます。吉増の朗読テープです。ただしその声は何を語っているのか判然としません。空間を浮遊しつつ、あてどもなく彷徨うような声は、さも耳をなぞるかのごとくに響いています。
吉増は制作に関して声を重要視しているそうです。解説に声ノマとは「声の真を求めて声の間を研究する声の魔でもある」とありました。声は見る側の身体の奥底へとじわじわ染み込んできます。
会場の一部の撮影が可能でした。
「銅板」 展示風景
構成に工夫があります。会場はほぼ暗室です。入口すぐの展示室が6つに分けられています。とはいえ、何も壁で仕切られているわけではなく、半透明の黒い布が吊るされているのに過ぎません。よって境界は緩やかです。布を通して全体をぼんやりと見通すことが出来ました。
初めは日記でした。古くは1961年。20代の頃です。「愛したい人間を!女を!太陽が消え果てる程!」などの文言が記されています。言わば魂の叫びとも呼べるでしょうか。日常の出来事なども詳細に記録しています。メモ魔だったのでしょうか。字は大変に細かい。近年は日記帳自体も小さくなります。文字は小さ過ぎて判別不能です。何が書いてあるか分かりません。
吉増は10代から写真を撮っていましたが、60歳前後からより本格的に向き合うようになりました。多重露光です。離れた2つ以上の場所の風景を1つの画面に合わせ重ねます。不思議な世界です。実在の場所を素材としながら、この世の景色ではないようにも見えます。現実が異界と交わっているとでも言えるでしょうか。アラーキーとの関わりを示す作品にも目が留まりました。2人の間には交流があるそうです。
「長尺銅板1」 1999-2000年 ほか
オブジェです。言葉ないし声を銅版に打ちつけています。床に横たわるのは薄く長い銅版。まるで絵巻物です。鏨とハンマーで文字を記しています。文字は書のように流麗というよりも、むしろ一画一画の周囲を点で刻み込むかのように書いています。点や線は震え、揺らいでいました。色が介在しています。時に文字とは無関係に広がっていました。
「長尺銅板5」 2001-2012年
オブジェは長いもので5メートルもあります。銅版やハンマーは彫刻家の若林奮から譲り受けたものだそうです。
「声ノート」等 展示風景
吉増が発した声。それを記録したのがカセットテープです。2列で一直線に並ぶカセットは全部で1000本。うち自身の声を収めた「声ノート」を300本含みます。メモに熱心であった吉増は、世の中の声の採集にも取り組んでいたようです。
「声ノート」等 展示風景
瞽女の歌や相撲甚句が目立ちます。独特の抑揚にシンパシーを感じていたのかもしれません。
映像もありました。名は「ゴーゾーシネ」。ほぼ無編集のロードムービーです。砂浜でおそらくは原稿を置き、どこか鬼気迫る様で色を塗りたくっています。何とも謎めいた姿です。まるで呪術のための儀式をしているかのようでした。
「怪物君/みすず書房」
ハイライトは「怪物君」でした。いわゆる長編詩。生の原稿です。東日本大震災の1年後より制作がはじまりました。大きく分けて2部構成です。前半は自作の詩、後半は同じく詩人で思想家の吉本隆明の著作を引用しています。これが膨大。原稿用紙は1000枚を超えるそうです。そしてかの日記よりも極小の文字で記しているため、もはや読むことすら叶いません。
「怪物君」より 2015年
ドローイングと捉えて良いのでしょうか。文字とともに水彩も施されています。色は赤や青です。それらは塗るというよりも、散っていて、表情は激しい。貝殻のようなものが縫いこまれていました。紙は時にぐしゃぐしゃです。皺のないものは一つとしてありません。また何枚か重ねたりもしています。鮮烈です。これが詩の原稿なのでしょうか。俄かには信じられませんでした。
ラストは演出家、飴屋法水が「怪物君」をモチーフにした空間演出を行っていました。これも強烈です。ベニヤ板やキャンバスが積み上がり、青いゴミ袋が転がっているかと思うと、避難ハシゴがや半ば唐突に置かれています。ほか扇風機や鉄のパイプなども散乱。忘れ物の傘までが束になっていました。美術館の空間をかき乱しています。
「声ノート」等 展示風景
疎い私にとって、詩とは何たるかを語ることも出来ません。ただこの展覧会を通じて、吉増剛造という存在が、目に、そして耳に、あるいは身体へ刻み込まれたような気がします。思いがけないほど興味深く見られました。
「我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ/吉増剛造/講談社現代新書」
8月7日まで開催されています。
「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」 東京国立近代美術館(@MOMAT60th)
会期:6月7日(火)~8月7日(日)
休館:月曜日。但し7/18は開館。翌7/19は休館。
時間:10:00~17:00
*毎週金曜日は20時まで。
*入館は閉館30分前まで
料金:一般1000(800)円、大学生500(400)円、高校生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*当日に限り「MOMATコレクション」、「奈良美智がえらぶ MOMAT コレクション:近代風景 ~人と景色、そのまにまに~」も観覧可。
住所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
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