都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「河井寬次郎と棟方志功」 千葉市美術館
千葉市美術館
「河井寬次郎と棟方志功 日本民藝館所蔵品を中心に」
7/6~8/28

千葉市美術館で開催中の「河井寬次郎と棟方志功 日本民藝館所蔵品を中心に」を見てきました。
創設者の柳宗悦とともに民藝運動を推進した2人の芸術家、河井寛次郎と棟方志功。ちょうど昨年が棟方の没後40年、今年が河井の没後50年でした。
その由縁ということかもしれません。民藝館のコレクションを中心とした2人の作品を概観する展覧会が行われています。
はじまりは民藝館の誕生前史です。若き棟方の油絵が3点ほど出ていました。実は棟方、幼少時代にゴッホ画の感化を受けて油絵を志向。キャリア初期には帝展などにも出品しています。いわゆる版画こと板画に進んだ後も油絵の制作を止めることはありませんでした。
うち目立つのが「庭B」です。縦横130センチほどの大作でした。西洋庭園でしょうか。噴水とアーチが見えます。色は強く、真夏の光を表すためか、全体的に明るい。熱気に満ちています。

河井寛次郎「碎紅芒目(さいこうのぎめ)草花文花瓶」 1920(大正9)年 河井寛次郎記念館
同じく最初期の河井では「碎紅芒目草花文花瓶」が美しい。まだ20歳頃の作品です。青く、また薄い白を伴った赤い色面が滲むように広がっています。
河井は本作の翌年、1921年に個展デビュー。しかしながら柳の収集した朝鮮陶磁の展覧会を見たことで、自らの「技術偏重の姿勢」(キャプションより)を転換します。そのシンプルな造形美にいたく感心したそうです。さらに後輩にあたる濱田庄司から柳本人を紹介されます。いつしや民藝運動へ深く関わるようになりました。
棟方が柳や河井と交流し始めたのは民藝館建設中の頃です。時は1936年。国画展に板画の「大和し美し」を出品したのが切っ掛けでした。そこに柳が注目。河井と棟方も互いの出会いを果たします。長きにわたる親交が始まりました。

棟方志功「鬼門譜板畫譜」より「眞黒童女」 1937(昭和12)年 日本民藝館
棟方の「萬朶譜」の原画は柳によるものです。松や梅が言わば幾何学模様を描くように広がります。デザインを意識させるかもしれません。

棟方志功「華厳譜」より「十八 風神」 1936(昭和11)年 日本民藝館
作品は大まかに制作年代順に並んでいますが、幾つかのテーマが設定されているのも興味深いところです。例えば「ほとけ」。言うまでもなく仏教説話に由来する作品を展示しています。
木喰の「薬師如来像」がありました。河井の後援者である川勝堅一が棟方に贈った仏像です。また目立つのは棟方の「東北経鬼門譜」でした。板画の屏風装です。横幅は何と9メートルにも及びます。モチーフは棟方の故郷の青森です。中央に鬼門仏を配し、菩薩や羅漢、あるいは人間の姿などを描いています。棟方が東北の幸を祈っては完成させた作品でもあるそうです。
河井と棟方の関わりを示す一枚が「鐘溪頌」でした。棟方が河井の新作展のために描いた6枚の板画。名は河井が京都で構えた「鐘渓窯」に由来しています。
「実験茶会」には驚きました。主催は棟方です。乾山の軸画を背に、河井から贈られた井戸茶碗などで茶をたてます。何に驚くかといえばBGMです。かの壮大なベートーヴェンの第九交響曲の第四楽章を流したそうです。さぞかし賑やかで荘厳な茶会になったことでしょう。

河井寛次郎「三色打薬扁壷」 1963(昭和38)年 河井寛次郎記念館
総出品数は170点。大変な量です。また民藝館のコレクションが中心でしたが、河井寛次郎記念館と棟方志功記念館、および我孫子市白樺文学館からも作品がやってきていました。
会期中の展示替えはありません。8月28日まで開催されています。
「河井寬次郎と棟方志功 日本民藝館所蔵品を中心に」 千葉市美術館
会期:7月6日(水)~8月28日(日)
休館:8月1日(月)。
時間:10:00~18:00。金・土曜日は20時まで開館。
料金:一般1200(960)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*前売券は千葉都市モノレール千葉みなと駅、千葉駅、都賀駅、千城台駅の窓口で会期末日まで販売。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
「河井寬次郎と棟方志功 日本民藝館所蔵品を中心に」
7/6~8/28

千葉市美術館で開催中の「河井寬次郎と棟方志功 日本民藝館所蔵品を中心に」を見てきました。
創設者の柳宗悦とともに民藝運動を推進した2人の芸術家、河井寛次郎と棟方志功。ちょうど昨年が棟方の没後40年、今年が河井の没後50年でした。
その由縁ということかもしれません。民藝館のコレクションを中心とした2人の作品を概観する展覧会が行われています。
はじまりは民藝館の誕生前史です。若き棟方の油絵が3点ほど出ていました。実は棟方、幼少時代にゴッホ画の感化を受けて油絵を志向。キャリア初期には帝展などにも出品しています。いわゆる版画こと板画に進んだ後も油絵の制作を止めることはありませんでした。
うち目立つのが「庭B」です。縦横130センチほどの大作でした。西洋庭園でしょうか。噴水とアーチが見えます。色は強く、真夏の光を表すためか、全体的に明るい。熱気に満ちています。

河井寛次郎「碎紅芒目(さいこうのぎめ)草花文花瓶」 1920(大正9)年 河井寛次郎記念館
同じく最初期の河井では「碎紅芒目草花文花瓶」が美しい。まだ20歳頃の作品です。青く、また薄い白を伴った赤い色面が滲むように広がっています。
河井は本作の翌年、1921年に個展デビュー。しかしながら柳の収集した朝鮮陶磁の展覧会を見たことで、自らの「技術偏重の姿勢」(キャプションより)を転換します。そのシンプルな造形美にいたく感心したそうです。さらに後輩にあたる濱田庄司から柳本人を紹介されます。いつしや民藝運動へ深く関わるようになりました。
棟方が柳や河井と交流し始めたのは民藝館建設中の頃です。時は1936年。国画展に板画の「大和し美し」を出品したのが切っ掛けでした。そこに柳が注目。河井と棟方も互いの出会いを果たします。長きにわたる親交が始まりました。

棟方志功「鬼門譜板畫譜」より「眞黒童女」 1937(昭和12)年 日本民藝館
棟方の「萬朶譜」の原画は柳によるものです。松や梅が言わば幾何学模様を描くように広がります。デザインを意識させるかもしれません。

棟方志功「華厳譜」より「十八 風神」 1936(昭和11)年 日本民藝館
作品は大まかに制作年代順に並んでいますが、幾つかのテーマが設定されているのも興味深いところです。例えば「ほとけ」。言うまでもなく仏教説話に由来する作品を展示しています。
木喰の「薬師如来像」がありました。河井の後援者である川勝堅一が棟方に贈った仏像です。また目立つのは棟方の「東北経鬼門譜」でした。板画の屏風装です。横幅は何と9メートルにも及びます。モチーフは棟方の故郷の青森です。中央に鬼門仏を配し、菩薩や羅漢、あるいは人間の姿などを描いています。棟方が東北の幸を祈っては完成させた作品でもあるそうです。
河井と棟方の関わりを示す一枚が「鐘溪頌」でした。棟方が河井の新作展のために描いた6枚の板画。名は河井が京都で構えた「鐘渓窯」に由来しています。
「実験茶会」には驚きました。主催は棟方です。乾山の軸画を背に、河井から贈られた井戸茶碗などで茶をたてます。何に驚くかといえばBGMです。かの壮大なベートーヴェンの第九交響曲の第四楽章を流したそうです。さぞかし賑やかで荘厳な茶会になったことでしょう。

河井寛次郎「三色打薬扁壷」 1963(昭和38)年 河井寛次郎記念館
総出品数は170点。大変な量です。また民藝館のコレクションが中心でしたが、河井寛次郎記念館と棟方志功記念館、および我孫子市白樺文学館からも作品がやってきていました。
会期中の展示替えはありません。8月28日まで開催されています。
「河井寬次郎と棟方志功 日本民藝館所蔵品を中心に」 千葉市美術館
会期:7月6日(水)~8月28日(日)
休館:8月1日(月)。
時間:10:00~18:00。金・土曜日は20時まで開館。
料金:一般1200(960)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*前売券は千葉都市モノレール千葉みなと駅、千葉駅、都賀駅、千城台駅の窓口で会期末日まで販売。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )