「速水御舟の全貌ー日本画の破壊と創造」 山種美術館

山種美術館
「開館50周年記念特別展 速水御舟の全貌ー日本画の破壊と創造」
10/8~12/4



山種美術館で開催中の「開館50周年記念特別展 速水御舟の全貌ー日本画の破壊と創造」のプレスプレビューに参加してきました。

国内屈指、約120点の御舟作品を所蔵する山種美術館。約7年ぶりの御舟単独の回顧展です。

出品は80点超。うち56点が山種コレクションです。ほかの美術館の作品も加わります。


「瘤取之巻」 1911(明治44)年 山種美術館 *11/8より場面替

御舟こそチャレンジングな日本画家はいなかったかもしれません。14歳で歴史画の松本楓湖の画塾に入門した御舟は、屋外で写生を行うにとどまらず、絵巻、宋元画、琳派の作品を模写しては学びました。冒頭、17歳の時に描いたのが「瘤取之巻」です。入門3年目。もちろん若書きながらも筆は細かい。さらに御舟は「北野天神縁起絵巻」も模写。貪欲に古典を接収します。


右:「焚火(秋の朝)」 1913(大正2)年 霊友会妙一コレクション

樹木に煙る「焚火」は大観の様式を思わせる一枚です。南画と朦朧体を半ば折衷しています。本作は原三渓の旧蔵品です。御舟は先立つこと2年前、「萌芽」を文展に出品。落選するも、後の展示で原三渓の目にとまり、買い上げとなったそうです。若き御舟の才能を見抜いたのでしょうか。支援を受けました。


右:「黄昏」 1917(大正6)年 霊友会妙一コレクション
左:「山科秋」 1917(大正6)年 山種美術館


「山科秋」を描いたのは23歳。この頃から御舟の語る「群青中毒」に語ります。ピカソならぬ青の時代です。作品自体は南画風。確かに群青が滲み出ています。「黄昏」は青がさらに深い。手前から奥へと風景が縦に積み上がっています。古径の旧蔵品でもあったそうです。


「洛北修学院村」 1918(大正7)年 滋賀県立近代美術館 展示期間:10/8〜11/20

群青の最たる作品が「洛北修学院村」ではないでしょうか。もはや青が主役。山も里も全てを飲み尽くしています。後方が比叡山です。手前には里があり、人の姿も垣間見えます。青は徹底したのか、人の衣服にまで及んでいました。松林が密に重なる緑深き光景です。それを青でまとめあげます。幻想的ですらありました。


「茶碗と果実」 1921(大正10)年 東京国立近代美術館 展示期間:10/8〜11/6

一転して眩い金色が目に飛び込んできました。「茶碗と果実」です。果実はあんずの一種、赤というよりもワイン色に染まっています。茶碗は薄手です。口の部分がゆがんでいます。いかにも冷ややかで硬い。御舟の高い写実力は対象の質感を見事に引き出しています。興味深いのは影が付いていることです。そもそも器と果実のモチーフは西洋の静物画の系譜に連なります。同時代の劉生の影響を受けていると考えられているようです。


「灰燼」 1923(大正12)年 山種美術館

御舟は関東大震災を院展の会場で被災しました。「灰燼」です。被災後の街の様子をスケッチ。それを元に描きました。一面の瓦礫に無人の家屋がぽつぽつと建っています。空は灰色です。電柱でしょうか。細く縦の線がのびています。本作は生前、未発表だったそうです。思うところがあったのかもしれません。没後、アトリエから発見されました。


「樹木」 1925(大正14)年 霊友会妙一コレクション

御舟の眼差しは時に特異です。「樹木」には驚きました。軽井沢で目にしたブナを描いています。樹木は太くて逞しく、何やら人体の一部のようにも見えなくもありません。蔦と絡み合う様は官能的でもあります。感心したのは樹木表面の描写でした。木目を示すためでしょうか。筆を横に塗り重ねて立体感を生み出しています。まるで油画のようです。光は手前から当たっているのかもしれません。胡粉が白く瞬いていました。


重要文化財「名樹散椿」 1929(昭和4)年 山種美術館

昭和以降としては初めて重要文化財に指定された「名樹散椿」も出展。構図は琳派風です。強いて言えば其一の線を連想させます。樹は葉と花をたくさん付けてはたわむいています。五色の椿はかなり散っていました。よく知られるように背景は金箔でも金泥でもなく、まきつぶしです。金沙子を隙間なく敷き詰めてマットな質感を表現しています。


「翠苔緑芝」 1928(昭和3)年 山種美術館

質感といえば「翆苔緑芝」も面白い。金地の大作の屏風です。可愛らしい白兎と黒猫にも目を奪われますが、左隻の紫陽花の質感が際立っています。ひびが入り、やや泡立っているように見えないでしょうか。これは絵具の中に薬品、おそらくは重曹を入れて出来たものだそうです。絵具の一つとっても御舟の表現への飽くなき探究は留まることを知りません。

ともすると人物画を苦手としていたとも言われる御舟ですが、渡欧中にグレコの絵画などを見て感化。帰国後は意欲的に描くようになります。


「花ノ傍」 1932(昭和7)年 株式会社歌舞伎座

その結実が「花の傍」です。ストライプのモダンな着物の女性。安井曾太郎の「婦人像」との関係も指摘されています。それにしても御舟、どうしてもストライプを描きたかったのでしょう。よく見れば帯はおろか、椅子もテーブルクロスもストライプです。色は鮮やか。巧みに交差させています。あえて描いた花瓶がモデルの顔の向こうに隠れているのも興味深いところでした。実験的な構図と言えるかもしれません。床の市松模様もストライプを引き立てていました。


「豆花」 1931(昭和6)年 山種美術館

晩年に至るにつれ、作品はより装飾的でかつ構成的な傾向を帯びていきます。さらに抽象的とも言えるのが「豆花」です。横へ向かって伸びる茎の形態は極めて複雑です。触手はまるで毛細血管のようです。半ば不自然にまで屈曲しています。


「あけぼの・春の宵」 1934(昭和9)年 山種美術館

私が一番好きな桜の作品も展示されていました。「春の宵」です。「あけぼの」と対の一枚。闇夜を背に一本の桜が花を散らせています。ひらひらと舞う花びらはまるで桜が涙を流しているかのようです。物悲しい。月はあまりにもか細く、消え入りそうです。最後の力を振り絞るべく、僅かな光を放っています。これほど叙情的な桜の絵を私はほかに知りません。


「牡丹花(墨牡丹)」 1934(昭和9)年 山種美術館

水墨の名手と言っても差し支えないのではないでしょうか。一例が「牡丹花」です。墨の滲みを最大限に活かした花びら。花弁の中からは黄金色の光が放たれています。一方の葉は淡彩です。限りなく薄い緑色をしています。時折、墨が混じります。見事なニュアンスでした。


重要文化財「炎舞」 1925(大正14)年 山種美術館

御舟作で最も知られる「炎舞」は、第2会場、小さな展示室で公開されていました。暗室に灯る火炎。やや図像的な表現は仏画の様式を参照したとも言われています。輝かしいというよりも、もはや神々しい。辺りを舞う蛾を祝福し、また闇を焦がしています。照明が見事でした。見ていると炎に吸い込まれそうになります。「炎舞」のための空間です。「山種に炎舞あり。」と言わんばかり展示でした。

最後に展示替えの情報です。会期途中、一部作品が入れ替わります。(前後期各73点。)

「速水御舟の全貌ー日本画の破壊と創造 出品リスト」(PDF)
前期:10月8日~11月6日
後期:11月8日~12月4日

青の時代の超細密描写で知られる「京の舞妓」(東京国立博物館蔵)は11月22日からの展示です。ご注意ください。

私が日本画を好きになった切っ掛けの一つが、かつての三番町時代の山種美術館で御舟作品を見たことでした。まさに「破壊と創造」です。僅か40年の人生の中でも、御舟は常に変化を求め、新たな表現に挑戦し続けました。その偉大な画業を改めて振り返る良い機会と言えそうです。



カタログが新たに刊行されました。図版、解説、年譜、および山崎館長の論文をはじめ、同館顧問の山下先生と美術史家の板倉先生による対談とテキストも充実しています。とりわけ御舟と中国絵画との関連の指摘が興味深いのではないでしょうか。永久保存版となりそうです。

12月4日まで開催されています。やはりおすすめします。

「開館50周年記念特別展 速水御舟の全貌ー日本画の破壊と創造」 山種美術館@yamatanemuseum
会期:10月8日(土)~12月4日(日)
休館:月曜日。(但し9/19は開館、9/20は休館)
時間:10:00~17:00 *入館は16時半まで。
料金:一般1200(1000)円、大・高生900(800)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *きもの割引:きもので来館すると団体割引料金を適用。
住所:渋谷区広尾3-12-36
交通:JR恵比寿駅西口・東京メトロ日比谷線恵比寿駅2番出口より徒歩約10分。恵比寿駅前より都バス学06番「日赤医療センター前」行きに乗車、「広尾高校前」下車。渋谷駅東口より都バス学03番「日赤医療センター前」行きに乗車、「東4丁目」下車、徒歩2分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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