「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館
「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」
2019/3/12~5/26



東京国立近代美術館で開催中の「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」を見てきました。

戦前から戦後にかけ、「日本の洋画界を牽引」(チラシより)した画家、福沢一郎(1898〜1992)は、画風を変遷させながら、一貫して社会を批判的に捉え、時にユーモアと風刺の込めた作品を制作し続けました。

その福沢の作品が資料を含めて約100点ほど揃いました。今回のスケールで回顧展が行われるのは、東京に限ると1998年の世田谷美術館以来、約30年ぶりのことでもあります。

1898年生まれた福沢は、当初、朝倉文夫の元で彫刻を学ぶと、1924年から31年にかけてパリへと留学し、絵画を志すようになりました。そしてエルンストの作品に出会うと、シュルレアリスムに近づき、古い雑誌を張り合わせた作品などを作りました。


「福沢一郎「Poisson d’Avril (四月馬鹿)」 1930年 *会場外パネル

「四月馬鹿」と題した一枚の絵画に目がとまりました。ジャケットやスーツを着た男たちが、ロウソクのようなものを持っては、互いに手を近づけていて、奥にはさらにもう一人の男が筒状の物体を手で高くかざしていました。しかし手前の男は、そうした光景に全く関心がないように横を向き、左からは手が唐突に伸びていました。一体、彼らは何をしているのでしょうか。

結論からすると、19世紀末に刊行された「楽しい科学」という本の別々の図版を、1つの画面にコラージュして落とし込んだ作品でした。それらは本来、教育目的に制作されたもので、福沢は図版を援用し、男たちが互いに摩訶不思議な行動する光景を表しました。何とも奇異ではないでしょうか。

裸の女の歩く姿を捉えた「女」も興味深い作品でした。無人の大地をただ一人、女が裸で歩く様子のみが描かれていて、一切の背景は明らかではありませんでした。これは福沢が1935年に、中国東北部、いわゆる満州を旅した際に着想を得た作品で、女のモチーフはルネサンスの画家、マザッチオの「楽園追放」のイヴが引用されているそうです。当時の日本では満州が楽園と宣伝されていましたが、福沢は同意することなく、あえて楽園追放のイメージを描き、批判的に表現しました。


いわゆる戦争画の「船舶兵基地出発」も同様で、荒波の中を、ボートに乗船した兵隊が勇ましい姿で進みゆく光景が描かれていますが、実際は戦争映画の宣伝用の写真を援用していて、その虚構性を示したと指摘されています。

戦後、新たに活動した福沢は、混乱する社会の状況を、ダンテの「神曲」に重ねて表現しました。裸の兵士を群像的に捉えた「敗戦群像」では、一人一人の人間がまるで石のようにうず高く積まれていました。


福沢一郎「埋葬」 1957年 東京国立近代美術館 *会場内は本作品のみ撮影が可能です。

1952年、福沢は渡欧すると、ブラジルやメキシコへ渡っては、同地で目にしたプリミティブな造形に刺激されながら、新たな作風を生み出しました。その中南米旅行の成果の集大成と呼ばれるのが「埋葬」で、若い女性の死と追悼する人々の光景を描き出しました。しかし死を題材にしているのにも関わらず、目を引くのは、オレンジや緑などの輝かしい色彩で、もはや祝祭的な儀式を表しているようにも見えなくありません。

なお福沢は本作を元にして、1972年、東京駅にステンドグラスの「天地創造」を制作しました。そこでは死を誕生へと転回すべく、90度横倒しにしたイメージを用いていて、見比べるのも面白いかもしれません。

福沢は常に同じ地点に留まる画家ではありませんでした。1960年代にアメリカに旅すると、黒人の公民権運動に関心を寄せ、その運動のエネルギーを絵画に描きました。また1970年代には再びダンテの「神曲」に基づく地獄の連作を取り組むとともに、源信の「往生要集」に由来する地獄を、現代の世相に引きつけて表しました。



「トイレットペーパー地獄」は、オイルショックをテーマとしていて、人々がトイレットペーパーを求めて群がる光景を描いていました。抱えきれないほどのトイレットペーパーを手にしたり、互いに奪い合う人もいて、当時の混乱した状況を風刺的に示していました。

ラストの1枚、「悪のボルテージが上昇するか 21世紀」も忘れられません。NYのマンハッタンと思しき高層ビルを背に、裸の人々が取っ組み合いをしていて、足元にはドル紙幣が散乱していました。これは21世紀への警鐘を示す作品と位置づけられていましたが、確かに9.11後の世界、リーマンショックの混乱などを思わせてなりませんでした。


ステンドグラス「天地創造」 原画・監修:福沢一郎 JR東京駅ベイロード(京葉線連絡通路) 1972年

さて先にも触れた「埋葬」を元にした「天地創造」は、東京駅のベイロードと呼ばれる、京葉線への連絡通路にて現在も公開されています。私も展覧会を鑑賞したのち、改めて見てきました。



八重洲南口から改札内のエキュートを経由し、動く歩道をしばらく進むと、京葉線ホームへ降りるエスカレーターの横の壁に姿を現しました。1972年の鉄道100年記念事業に際して制作された作品で、当初は東京駅の反対側に当たる総武快速線への中央通路に置かれました。



常に多くの人が行き交う通路ゆえに、ともすると風景に埋没してしまいますが、「埋葬」と同様に輝かしい色彩を伴うステンドグラスは、強い存在感を見せているのではないでしょうか。

これまで福沢はシュルレアリスムの紹介者として語られることが多く、社会との関わりから画業全体を振り返る機会は必ずしも多くなかったそうです。福沢の再評価の一端となる回顧展と言えるかもしれません。

5月26日まで開催されています。

「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」 東京国立近代美術館@MOMAT60th) 
会期:2019年3月12日(火)~5月26日(日)
休館:月曜日。
 *但し3/25、4/1、4/29、5/6は開館。5/7(火)は休館。
時間:10:00~17:00
 *毎週金曜・土曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館30分前まで
料金:一般1200(900)円、大学生800(500)円、高校生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *本展の観覧料で当日に限り、「MOMATコレクション」も観覧可。
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
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