パワー炸裂
先日、ある銀行でA3サイズの張り紙が目につき、先日の水害に関して書いてあるようなので読んでみました。で、じきに読むのをやめました。え、理由ですか? だって、「被災を受けた世帯は」なんて書いてあったものですから気持ち悪くなっちゃって。この張り紙、多分、本店の事務方が作成してすべての支店に配布したのだと思いますが、なぜこんな稚拙な誤りに気づかないのでしょうか? 「被災」とは、災難を受けること。それをさらに「受けた」というのはいけませんよ。
「満面の笑顔」というのもじわじわ増えてきていますが、それを言うなら「満面の笑み」です。「満面」は顔全体という意味で、満面に笑みを浮かべる、そういう表情のことを「笑顔」と言うわけで、「顔全体の笑顔」はおかしいでしょ? あ、そういえば、「野球観戦を見に行ったとき」なんて言っている人もいましたねぇ。
1日に映画を見たのですが、パンフレットを買ったら、袋にチラシが入っていました。10月公開の「イーグル・アイ」、9月公開の「ウォンテッド」、これ、面白そうですよ。そして、8月30日からの「ハンコック」。すごいですね、「ハンコック」のはお金がかかっています、B4の紙2枚を真ん中で折ってとじてありますよ。こういうものの文章はどんな人が書くのでしょうかね。「超人的パワーの調整ができずに、空から降り立てば道路を粉砕」なんて書いてあります。
分かりますか? 分からない人は要注意ですよ。「粉砕」もちょっと変ですが、それはまぁこの際ほうっておきましょう。去年、2月19日と11月14日に「~ずに」について書きましたが、これもそうです。大新聞の記者でも「子どもが行きたがらずに登校できないのであって」なんていうばかな表現をしますから、この変な「~ずに」はだいぶ広がってきています。でも、これは誤りですから、誤りであることをはっきり認識してください。
文章ではなく会話なら、「超人的パワーの調整ができなくて」と言いますよね、それを文章にすると、正しくは「超人的パワーの調整ができず、空から降り立てば道路を粉砕」です。「できずに」ではなく「できず」です。「に」は要らないのです。もしも「に」を書くのなら、「超人的パワーの調整ができずにいて」と続けなければいけません。「いて」まで書いて初めてちゃんとした日本語になります。
書いた本人だけではなく、他の人も読み、きちんと校閲をやっていると思われる印刷物でもこうした誤りが目につくようになり、どうしたものかと危機感を募らせる今日このごろです。
先日、ある銀行でA3サイズの張り紙が目につき、先日の水害に関して書いてあるようなので読んでみました。で、じきに読むのをやめました。え、理由ですか? だって、「被災を受けた世帯は」なんて書いてあったものですから気持ち悪くなっちゃって。この張り紙、多分、本店の事務方が作成してすべての支店に配布したのだと思いますが、なぜこんな稚拙な誤りに気づかないのでしょうか? 「被災」とは、災難を受けること。それをさらに「受けた」というのはいけませんよ。
「満面の笑顔」というのもじわじわ増えてきていますが、それを言うなら「満面の笑み」です。「満面」は顔全体という意味で、満面に笑みを浮かべる、そういう表情のことを「笑顔」と言うわけで、「顔全体の笑顔」はおかしいでしょ? あ、そういえば、「野球観戦を見に行ったとき」なんて言っている人もいましたねぇ。
1日に映画を見たのですが、パンフレットを買ったら、袋にチラシが入っていました。10月公開の「イーグル・アイ」、9月公開の「ウォンテッド」、これ、面白そうですよ。そして、8月30日からの「ハンコック」。すごいですね、「ハンコック」のはお金がかかっています、B4の紙2枚を真ん中で折ってとじてありますよ。こういうものの文章はどんな人が書くのでしょうかね。「超人的パワーの調整ができずに、空から降り立てば道路を粉砕」なんて書いてあります。
分かりますか? 分からない人は要注意ですよ。「粉砕」もちょっと変ですが、それはまぁこの際ほうっておきましょう。去年、2月19日と11月14日に「~ずに」について書きましたが、これもそうです。大新聞の記者でも「子どもが行きたがらずに登校できないのであって」なんていうばかな表現をしますから、この変な「~ずに」はだいぶ広がってきています。でも、これは誤りですから、誤りであることをはっきり認識してください。
文章ではなく会話なら、「超人的パワーの調整ができなくて」と言いますよね、それを文章にすると、正しくは「超人的パワーの調整ができず、空から降り立てば道路を粉砕」です。「できずに」ではなく「できず」です。「に」は要らないのです。もしも「に」を書くのなら、「超人的パワーの調整ができずにいて」と続けなければいけません。「いて」まで書いて初めてちゃんとした日本語になります。
書いた本人だけではなく、他の人も読み、きちんと校閲をやっていると思われる印刷物でもこうした誤りが目につくようになり、どうしたものかと危機感を募らせる今日このごろです。