味わってるね
よくある口癖としてこういうのがあるのですが・・・「自然といくような形になったのですか」「民間のやり方がいいという形で役所に入っても」「こうしたほうがいいという形ですね」「いつも元気よくという形で」「優越感とか、そういった形を味わいまして」「顔面とかそういう形が血だらけになってまして」・・・さて、どのあたりからおかしいと感じますか?
「議論が、協会でガイドラインを設けたらいいのではないかという形であるのですが」は、本来、「協会でガイドラインを設けたらいいのではないかという議論があるのですが」と言うべきところですが、「形」が口癖になっている人は前者のような言い方をします。「議論が」を先に言ってしまい、後で「形」でもって無理やりつなげる、つまり、後者のようなすっきりした言い方をする努力を放棄してしまっているわけです。
一つめの例は、誤りとは言えませんね。二つめは・・・ぎりぎり・・・、三つめ以降は『ちゃんとしゃべれ!』-スーパースプレッダーに気をつけて- に書いたものですが、先日久しぶりにこういう「形」の例を聞いてあることに気づきました。これはむしろ一般の人に多く、放送業界の人たちはあまりしない表現のようなのです。一般の人が、会議やインタビューで、少し緊張してしゃべっている、そういう場面なのです。
先日、伝統工芸について紹介するローカル番組を見ていたら、一般の人(伝統工芸の作家)が「だんだんに仏門にひかれるような形が強くなりましたので」と言いました。うわぁ~~~出たぁ~~~久しぶりに聞いたよぉ~~~(゜゜)~~~、私はこういう「形」が大嫌いなのですよ。<(`^´)>
あれはいつだったか・・・伯母の一周忌法要で、読経を終えた僧侶が今度は生きている人間(遺族、親戚一同)に向かって説法を始めたのですが、聞いているうちに何だか脳がむずむずしてきて、しばらくしてその原因に気づき、いらいらしてその場にいるのもつらくなりました。それが、全く意味のない「形」だったわけです。
「~のような形で」「~という形なんですね」「そういう形ですから」と、10~15秒に1回「形」と言うのですよ。当然、説法の内容なんて脳が全く受け付けやしません。それは、「説法」というより「仕事」でした。大勢の人を前にしているのですから多少緊張して、とにかく用意したセリフを全部しゃべる、そういう「形」です。口癖になるようではおしまいですよ。
よくある口癖としてこういうのがあるのですが・・・「自然といくような形になったのですか」「民間のやり方がいいという形で役所に入っても」「こうしたほうがいいという形ですね」「いつも元気よくという形で」「優越感とか、そういった形を味わいまして」「顔面とかそういう形が血だらけになってまして」・・・さて、どのあたりからおかしいと感じますか?
「議論が、協会でガイドラインを設けたらいいのではないかという形であるのですが」は、本来、「協会でガイドラインを設けたらいいのではないかという議論があるのですが」と言うべきところですが、「形」が口癖になっている人は前者のような言い方をします。「議論が」を先に言ってしまい、後で「形」でもって無理やりつなげる、つまり、後者のようなすっきりした言い方をする努力を放棄してしまっているわけです。
一つめの例は、誤りとは言えませんね。二つめは・・・ぎりぎり・・・、三つめ以降は『ちゃんとしゃべれ!』-スーパースプレッダーに気をつけて- に書いたものですが、先日久しぶりにこういう「形」の例を聞いてあることに気づきました。これはむしろ一般の人に多く、放送業界の人たちはあまりしない表現のようなのです。一般の人が、会議やインタビューで、少し緊張してしゃべっている、そういう場面なのです。
先日、伝統工芸について紹介するローカル番組を見ていたら、一般の人(伝統工芸の作家)が「だんだんに仏門にひかれるような形が強くなりましたので」と言いました。うわぁ~~~出たぁ~~~久しぶりに聞いたよぉ~~~(゜゜)~~~、私はこういう「形」が大嫌いなのですよ。<(`^´)>
あれはいつだったか・・・伯母の一周忌法要で、読経を終えた僧侶が今度は生きている人間(遺族、親戚一同)に向かって説法を始めたのですが、聞いているうちに何だか脳がむずむずしてきて、しばらくしてその原因に気づき、いらいらしてその場にいるのもつらくなりました。それが、全く意味のない「形」だったわけです。
「~のような形で」「~という形なんですね」「そういう形ですから」と、10~15秒に1回「形」と言うのですよ。当然、説法の内容なんて脳が全く受け付けやしません。それは、「説法」というより「仕事」でした。大勢の人を前にしているのですから多少緊張して、とにかく用意したセリフを全部しゃべる、そういう「形」です。口癖になるようではおしまいですよ。