想像の産物?
2015年7月19日放送の「日曜美術館」、テーマは「与謝蕪村 無限の想像力 西洋美術とあう?!」で、蕪村の俳句と西洋美術の組み合わせを楽しむという内容だったのですが、これでもか! と「想像」と「想像力」が出てきて、意味が時折ごっちゃになったりなんかして・・・( ̄~ ̄)。
「想像力を膨らませば、蕪村の句と西洋美術の組み合わせは尽きないと言います」は伊東アナのナレーションですが、最初にVTR出演した美術家の話を要約しているようで、その人が「想像力を膨らませば」と言ったのかも。意味は、「想像」か「想像力」か、言った本人もはっきりどちらと意識していないでしょうから・・・微妙です。
でも、私は、「膨らませる」なら「想像」だと思っていますから、しかも、その後、「俳句を詠むとき、蕪村は、出歩くのではなく、小さな部屋にじっとこもって想像を膨らませたといいます」というナレーションがありましたからね。もちろん、これは「想像を膨らませた」ですよ、これでいいのです。
「想像力の世界の中で思い浮かべて」「自分の経験を超えて大変大きな想像力の中で様々な俳句が生まれていると思います」「そういう想像力を五七五にまとめる能力というものが」は次にVTRに登場した大学教授の言葉です。「大変大きな想像力の中で」は何となく意味は通じるのですが、一つ目と三つ目は「想像力」ではなく「想像」でないといけません。「想像の世界」「想像を五七五に」です。
その後、「蕪村の豊かな想像力を感じさせます」「西洋美術までマッチする蕪村の計り知れない想像力」「目にしたことのない光景を想像力を羽ばたかせて表しました」「長い旅で培った想像力を膨らませ、数多くの俳句と絵画を作り上げていきました」「蕪村のとてつもない想像力」と、伊東アナのナレーションが続き、「想像力に加えて瞬発力」は伊東アナ自身の言葉、そして、最後に「東西の想像力が不思議な響き合いを見せてくれました」という伊東アナのナレーション。
「想像力を羽ばたかせて」は、微妙といえば微妙ですが「想像」です。「想像をかき立てる」と同じで、かき立てるのは「想像」、羽ばたくのも「想像」なのです。「長い旅で培った想像力を膨らませ」も変ですね。長い旅で培った想像力をさらに膨らませる? 培った想像力でもってあれこれ想像し、それを形にしていくのですから、「長い旅で培った想像力を発揮して数多くの俳句と絵画を作り上げていきました」でしょ。
今朝、テレビをつけたらちょうど「アートシーン」をやっていて、やはり「想像力をかき立てる」とはっきり言った伊東アナですが、ちょっと後に「女性たちのあこがれをかき立てました」と言いましたよ。前者は「想像」ではなく「想像力」と言っておいて、後者は「あこがれ」ですからね、伊東アナのセンスはかなり不足しているようです。
「みつけよう、美 坂本善三」でも、大沼ひろみアナが「想像力をかき立てる」と言いました。NHKの人たちは「もう『想像力』でいんじゃね?」と言っているようで、「地球ドラマチック」でも「ニューヨーク白熱教室」でも、「グレーテルのかまど」でも「岩井俊二のMOVIEラボ」でも、「想像力をかき立てる」でしたよ( ̄д ̄)!
このごろ、若い人の犯罪がびっくりするほど残忍で、不可解で、コメンテーターが「想像力の欠如」ということを言いますよね。私も同感で、それでふと思ったのですよ、そもそも“想像力”が足りなかったら“想像”をかき立てるなんて簡単にはできないなぁ~と。背の高いコップの底に沈んだ蜂蜜のように“想像力”が沈んで固まっていたら、上のほうをぐるぐるかき回してもだめですよね。まず、固まっている“想像力”をガンガンつっついてほぐしてガキガキかき回さないと!
「リフレッシュ」に出演している上野巧郎AD(石川テレビ)が「想像力もかき立てられるような素敵な空間」と言ったのですが、若い人がこういうふうに言うのを聞くと、やはり、想像力そのものをガキガキかき立てないとだめなのだろうなぁと、みょ~に納得したりなんかして( ̄~ ̄)ムムゥ。
2016年2月10日に見た「マツコ&有吉の怒り新党」のナレーションとテロップが「見る人の想像をかきたてる」だったのはいいですね、本当に珍しいですよ、久しぶりにテレビで「想像をかき立てる」を聞きました。でも、NHKがほとんどの番組で「想像力をかき立てる」と言っていますから、じきに辞書に載るかもね、「想像」と「想像力」が混同され、やがて「想像力をかき立てる」「想像力を膨らませる」という言い方が定着した、な~んてね┐( ̄д ̄)г。
2015年7月19日放送の「日曜美術館」、テーマは「与謝蕪村 無限の想像力 西洋美術とあう?!」で、蕪村の俳句と西洋美術の組み合わせを楽しむという内容だったのですが、これでもか! と「想像」と「想像力」が出てきて、意味が時折ごっちゃになったりなんかして・・・( ̄~ ̄)。
「想像力を膨らませば、蕪村の句と西洋美術の組み合わせは尽きないと言います」は伊東アナのナレーションですが、最初にVTR出演した美術家の話を要約しているようで、その人が「想像力を膨らませば」と言ったのかも。意味は、「想像」か「想像力」か、言った本人もはっきりどちらと意識していないでしょうから・・・微妙です。
でも、私は、「膨らませる」なら「想像」だと思っていますから、しかも、その後、「俳句を詠むとき、蕪村は、出歩くのではなく、小さな部屋にじっとこもって想像を膨らませたといいます」というナレーションがありましたからね。もちろん、これは「想像を膨らませた」ですよ、これでいいのです。
「想像力の世界の中で思い浮かべて」「自分の経験を超えて大変大きな想像力の中で様々な俳句が生まれていると思います」「そういう想像力を五七五にまとめる能力というものが」は次にVTRに登場した大学教授の言葉です。「大変大きな想像力の中で」は何となく意味は通じるのですが、一つ目と三つ目は「想像力」ではなく「想像」でないといけません。「想像の世界」「想像を五七五に」です。
その後、「蕪村の豊かな想像力を感じさせます」「西洋美術までマッチする蕪村の計り知れない想像力」「目にしたことのない光景を想像力を羽ばたかせて表しました」「長い旅で培った想像力を膨らませ、数多くの俳句と絵画を作り上げていきました」「蕪村のとてつもない想像力」と、伊東アナのナレーションが続き、「想像力に加えて瞬発力」は伊東アナ自身の言葉、そして、最後に「東西の想像力が不思議な響き合いを見せてくれました」という伊東アナのナレーション。
「想像力を羽ばたかせて」は、微妙といえば微妙ですが「想像」です。「想像をかき立てる」と同じで、かき立てるのは「想像」、羽ばたくのも「想像」なのです。「長い旅で培った想像力を膨らませ」も変ですね。長い旅で培った想像力をさらに膨らませる? 培った想像力でもってあれこれ想像し、それを形にしていくのですから、「長い旅で培った想像力を発揮して数多くの俳句と絵画を作り上げていきました」でしょ。
今朝、テレビをつけたらちょうど「アートシーン」をやっていて、やはり「想像力をかき立てる」とはっきり言った伊東アナですが、ちょっと後に「女性たちのあこがれをかき立てました」と言いましたよ。前者は「想像」ではなく「想像力」と言っておいて、後者は「あこがれ」ですからね、伊東アナのセンスはかなり不足しているようです。
「みつけよう、美 坂本善三」でも、大沼ひろみアナが「想像力をかき立てる」と言いました。NHKの人たちは「もう『想像力』でいんじゃね?」と言っているようで、「地球ドラマチック」でも「ニューヨーク白熱教室」でも、「グレーテルのかまど」でも「岩井俊二のMOVIEラボ」でも、「想像力をかき立てる」でしたよ( ̄д ̄)!
このごろ、若い人の犯罪がびっくりするほど残忍で、不可解で、コメンテーターが「想像力の欠如」ということを言いますよね。私も同感で、それでふと思ったのですよ、そもそも“想像力”が足りなかったら“想像”をかき立てるなんて簡単にはできないなぁ~と。背の高いコップの底に沈んだ蜂蜜のように“想像力”が沈んで固まっていたら、上のほうをぐるぐるかき回してもだめですよね。まず、固まっている“想像力”をガンガンつっついてほぐしてガキガキかき回さないと!
「リフレッシュ」に出演している上野巧郎AD(石川テレビ)が「想像力もかき立てられるような素敵な空間」と言ったのですが、若い人がこういうふうに言うのを聞くと、やはり、想像力そのものをガキガキかき立てないとだめなのだろうなぁと、みょ~に納得したりなんかして( ̄~ ̄)ムムゥ。
2016年2月10日に見た「マツコ&有吉の怒り新党」のナレーションとテロップが「見る人の想像をかきたてる」だったのはいいですね、本当に珍しいですよ、久しぶりにテレビで「想像をかき立てる」を聞きました。でも、NHKがほとんどの番組で「想像力をかき立てる」と言っていますから、じきに辞書に載るかもね、「想像」と「想像力」が混同され、やがて「想像力をかき立てる」「想像力を膨らませる」という言い方が定着した、な~んてね┐( ̄д ̄)г。