原地区にあった国立原病院に併設されていた元県立原養護学校は平成17年に廃校となり管理が行き届かず荒れ放題である。原病院は大竹病院と併合されて広島西医療センターとなり、原養護学校も併合され現在広島西特別支援学校として併設されている。更新の活力になります! ポチッとね!
宮島口にあるチチヤスハイパーク内の梅の花がようやくほころび始めており、小雪混じりの冷たい空気にさわやかな香りが漂っていた。紅梅は見ごろになっているがこのところの寒波で開き始めた梅の花も縮こまっているようだ。更新の活力になります! ポチッとね!
現在天満神社境内にある胡子神社はもと中央公民館西側の四辻にあったもので、古くから市場集落のあった地には必ずといって良いくらい集落中心の辻に市神としてえびす様が祭ってあった。中世廿日市においては度々市立てが行なわれており、市立ての廿日にはえびす様の開帳もあり信仰心の深い商人や近郷近在の人々から「廿日市えびす」といわれ、廿日の市は特別なものとして著名となってそれが廿日市地名の起源となったのではないかと思われるのである。更新の活力になります! ポチッとね!
江戸時代の国道であった西国街道の街道松が大東地区に1本残されており、昨年6月16日に紹介したときより松の葉が大幅にまばらになっている。剪定のためであろうか?樹勢の衰えであろうか?かつては岩戸土橋から廿日市の東口の間に68本の松並木があったが現在ではこの1本のみであり先行きが心配される。更新の活力になります! ポチッとね!
先日紹介した杉の浦地区にある金岡水囲い上屋の脇に昔懐かしい川本式手押しポンプが設置されている。しかし、心無い者の仕業かポンプはねじれており水は出ないようである。この手押しポンプは比較的新しく現在でも川本式手押しポンプが作られているようである。更新の活力になります! ポチッとね!
地御前地区にある町屋民家の土蔵で裏通り側にある窓周りに、唐草様の文様が漆喰細工で対照的に表されている。漆喰塗りの壁面には焼き板が貼られており窓周りの蔵飾りがより際立ってみえる。更新の活力になります! ポチッとね!
地御前地区の金剛寺小学校の脇にある櫨(ハゼ)の木で種子が沢山ついており、昔は種子から蝋を採取していたようである。山越えの峠で賽の神が祀られたそばにある県内有数のハゼ巨樹であり秋の紅葉はすばらしい。更新の活力になります! ポチッとね!
新町から杉の浦に通じている山越え道の新町側の一部と杉の浦側の一部に石畳道が残されている。この道は包ケ浦火薬庫、鷹の巣砲台築造地に通じる軍用道路で明治30年に築造されている。更新の活力になります! ポチッとね!
西広島バイパスの速谷交差点から国道433号線で原方面に向かって行くとすぐに歩道両側にずらりと花鉢が並べられている。表示によると平良地区コミュニティーの環境美化事業のようであるが・・・なぜか一箇所重点的な美化事業のようだ!更新の活力になります! ポチッとね!
宮内地区の最北部に位置する明石集落の氏神である大歳神社境内の主だった神木に注連飾りがしてあった。新年を迎える正月に飾られたものとみられるがどのような意味合いがあるのだろうか。更新の活力になります! ポチッとね!
杉の浦地区にある公民館裏の金岡コーポ脇に金岡水と表示された上屋を設けた井戸が残されている。ここは洞雲寺開山の金岡用兼が座禅をしたところといわれ金岡水という名水が湧出していたところで、周辺開発に伴って現在のように整備された。更新の活力になります! ポチッとね!
河津原地区にある土蔵ケラバの蔵飾りで唐草文に跳び兎を表したものが、土蔵の維持管理が行き届いていないことを以前に紹介した。 この土蔵の屋根には穴が開いており雨で壁が崩れていきそうであり、蔵飾りも消滅の危機が迫っている。更新の活力になります! ポチッとね!
河津原岩組地区にある速田神社の参道両側にある山茶花が満開で散り始めており、赤い花びらが一面にちりばめてジュウタンのようだ。きれいな花びらのジュウタンを踏みしめて清々しくお参りすることができた。更新の活力になります! ポチッとね!
中道地区を過ぎて県道119号線を羅漢山の方面に進んで行くと山口県境の生山峠がある。昔、生山峠は津和野街道の最大の難所でここから柵のある右手を通って大原集落に向かっていた。ここもお隣は岩国市だ!更新の活力になります! ポチッとね!
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