吉和地区の女鹿平温泉を過ぎて太田川沿いに下って行くと立岩ダムがある。ダム堰堤からすぐに旧戸河内町押ケ峠の過疎集落があり、ここに広電バスの押ケ峠車庫跡がある。バスセンターから戸河内を経て押ケ峠まで運行していたのか、戸河内から押ケ峠まで運行して最終バスが車庫に入って翌朝始発バスとして運行していたようである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
小瀬川の支流で悪谷川は栗栖川発電所の取水口を過ぎると約100mの間は花崗岩の急傾斜地であり大小10数ヶ所位の滝が形成されている。上流付近に比丘尼が渕といわれている大きな渕(滝つぼ)のある滝がある。残念ながらカメラを少し右に振ると林道のコンクリート擁壁が現れるのである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
昨日紹介したふれあい通りの廿日市合同庁舎工事現場仮囲いには工事の見物用窓が取付けられている。工事現場の仮囲いは殺風景なものが多いけれどけん玉画や見物用窓などふれあい通りにふさわしい仮囲いである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
広電廿日市市役所前駅に至るふれあい通りで、廿日市郵便局前の廿日市合同庁舎工事現場仮囲いにけん玉遊びの「世界一周」の仕方が描かれている。廿日市はけん玉発祥の地とされふれあい通りには石造の大きなけん玉モニュメントが建立されている。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
上平良地区にある民家土蔵の蔵飾りで大きな袋を肩に掛け右手に打出の小槌を持ち米俵の上に座った大黒さんの漆喰細工が施されている。小屋根が設けられ鬼瓦部分には家紋とみられる文様が施されている蔵飾りである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
浅原地区を走っていたら収穫前の稲穂を雀の被害から守るために昔懐かしい鳴子がつくってあった。鳴子は石油缶で作ってあり遠くから紐を引っ張ってカランカランと音をたてて雀の被害を防ぐのである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
NTT大野無人局の近くにある石碑で心無い人が墨を塗って拓本を採ったものとみられ真黒になって刻字も読めないような状態である。拓本は石を湿らせて紙を貼りその上から墨を付けたタンポで軽くたたいて採るもので、墨を塗った人は逆転した字のものしか採れていない。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
大野下水浄化センター沖の護岸に油輸送船から油槽所に給油する設備が設けられており、万が一油が海上に流れたときに使用されるオイルフェンスが設置されている。油漏れ事故などのときにテレビで見たことがあるが現物を見るのは始めてである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
通常街区の表示は街区境に表示板が貼り付けられているが、四季が丘団地内の街区の表示はポールが建立されている。外国映画で見たような気がするお洒落な街区表示ポールである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
宮内明石地区の急坂を登って峠を越えると佐伯町に至る。現在この峠は明石峠と呼ばれているが昔は汐見坂峠と言われていた。廿日市から津和野に通じていた津和野街道があり、長い山道を通ってこの峠に至るとぱっと眼下に瀬戸内が遠望できるところから汐見坂峠と呼ばれていた。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
盆は過ぎてしまったけれど佐伯地区を走っているとずらりと並んだものすごい数の盆燈籠に思わず立ち止まった。真宗安芸門徒独特の風物詩で初盆の白い燈籠が供えてあり故人は地域で大変お世話をされていた方だろう。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
毎日うだるような暑さで昨日も岩倉温泉そばを流れている小瀬川は涼を求めるため大勢の子供たちのカッパ天国であった。連日続いていた酷暑も昨日夕方からの激しい雷雨で人間も野菜も一息つくことができた。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
廿日市市域の瀬戸内沿岸で宮島を除いてはほとんどがコンクリート護岸で囲まれており自然海岸はほとんどみられない。大野地区では岬の跡が大小4~5ケ所の自然のまま残されており、国道2号線沿いの御食事処八坂跡先端の岬は是非残してほしいものだ。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
吉和地区を走る国道186号線の歩道に旧吉和村の花であるレンゲツツジが描かれた舗石タイルが貼られている。旧市町村の花や木が描かれてマンホールや橋の欄干などは今までにも紹介してきたが、舗石タイルが貼られているのは市域では珍しいのでは・・・人差し指の運動! 両方ポチッとね!
本町地区にある広島醤油㈱は昭和17年に戦時統制会社として作られたもので、当時の事務所が現存し現在も使用されている。広島醤油の製品でフジボシブランドがよく知られている。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
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