原地区の電柱の控え線にパラボラアンテナを重ね合わせたような器具が取付けてあった。蛇が電線に登って感電ショートを防ぐために取付けられているもので色んなタイプの蛇避け器具が取付けられているようだ。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
西広島バイパスの廿日市高架橋の橋脚はすでに出来上がっているが上部の橋梁部分の工事はなかなか始まらない。信号で止まる度に橋脚を見上げて見ると接合部がものすごい数の高力ボルトで締め付けられておりびっくりする。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
沿岸部は温暖な地であり今から田植えの最盛期であるが原地区では珍しい苗代田で苗を作っているところがあった。今は機械植えが主流であり苗箱で苗を作っているが、ここでは苗代から苗採りをして早乙女??? が手植えをされるのだろう。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
助藤地区に母屋とは別棟の風呂場が残されていた。農作業や林業などの外仕事が主の地域であり、焚付けや入浴に都合がよかったのだろうか。ひょっとするともらい風呂などがあった当時のものかもしれない。厳寒の地であり冬季の入浴は大変であったろう。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
平良小学校は平成14年に陽光台に新築移転したが、旧校地に昭和4年建築された旧木造本校舎は昭和45年に新校舎建築のために解体された。解体された旧校舎は二棟に分割されて隣接しているダンボール会社の工場として現在でも使用されている。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
旧吉和村の公共の汚水・雨水排水管マンホール蓋である。中津谷や細見谷などの清流に棲むヤマメと旧村の花であるレンゲツツジ、旧村のマークがデザインされたマンホール蓋である。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
飯山集落にある土蔵の蔵飾りで波に霊亀と跳び兎、三日月を表した彩色の描かれた像である。先に紹介した三番叟の蔵飾りがある土蔵で、母屋は既になくなっており所有者が不在の土蔵は消滅への道を辿っていくのでは・・・人差し指の運動! 両方ポチッとね!
JRや広電の線路脇にある用地内で近くの人が家庭菜園をしているのを各所で見かけることがある。JR用地内では鉄道財産使用契約をして家庭菜園に鉄道財産使用標示をするようになっているようだ。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
地御前神社の門前町である地御前の町並みには虫籠(むしこ)窓のある古い町屋が3軒残されている。虫籠(むしこ)窓は二階部分の窓の竪格子を壁土および漆喰で塗り込めにしているものをいい、古い町屋の面影をとどめるものである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
常念寺前の旧国道から廿日市港に流れていた潮音寺川は現在暗渠となり道路となって川がどこにあるのか分からなくなっている。かつてこの川に架けられていた大正2年築造の石橋が、道路沿いに造られた公園に形を変えてモニュメントとして設置されている。できれば元の形状のままで残してほしかったが・・・人差し指の運動! 両方ポチッとね!
出合橋を渡って中道方面に向かうと針山集落があり4~5軒が生活をされている。県道沿いのみが針山集落と思っていたが針山バス停から右手にしばらく登っていくと集落跡があった。最近まで居住されていたか時々訪れておられるような家が一軒と他の家は廃屋となっており周辺は荒地になって集落消滅寸前である。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
吉和地区にある土蔵ケラバの蔵飾りで、雲文に飛鶴をあらわした漆喰鏝細工が施されている。市域でみられる最高の豪華な蔵飾りで昨年7月2日に紹介したものとほぼ同じ作風であり同じ左官の作品と思われる。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
JR廿日市駅前から国道2号線までの駅通りはかつて廿日市の繁華街であったが、現在では廃業されてシャツターが下ろされた店が多く見受けられる。JR串戸駅や広電市役所前駅などが新設され人の流れが変わっており、また郊外型スーパーなどの影響でいわゆるシャツター通り化してきている。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
廃止された佐伯中央農協所山支店の入口上に衣料品小売業登録店とある標札が取付けてあった。旧漢字が使用してあり戦前(?)のものとみられ当時は衣料品小売業を営むにも広島県の登録が必要でこのように表示する必要があったようである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
廃助藤小学校が廃墟化しつつあることを2月27日に紹介したが、付属建物の一棟のみが残されて撤去されていた。廃校となって子供の声が消えかつての地域のシンボルであった学校跡がなくなり、集落消滅となっていくのではと地元の人が寂しく話しておられた。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
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