令和元年もいよいよ今日かぎりとなりました。昨日、ウォーキング途中に速谷神社に訪れてみると前垂れしめ飾り・門松の組み立てもされており、境内には露店が数多く並んで初詣準備万端のようである。
※ 当ブログは老化防止のために記しているぶらり見たままのブログですが、今年も多くの方々にご来訪閲覧頂き大いに励みとなりました。来年も老体鞭打って更新を続けたいと思いますのでお暇な時にご来訪ください。
令和元年もいよいよ今日かぎりとなりました。昨日、ウォーキング途中に速谷神社に訪れてみると前垂れしめ飾り・門松の組み立てもされており、境内には露店が数多く並んで初詣準備万端のようである。
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正月も近づいてきたので我が家に飾るしめ縄を昨日作った。当ブログ主のしめ縄は稲藁で3つのパーツを作って組み合わせたものに、ウラジロと南天の実、橙の変わりに葉付ミカンを付け加えたものである。何故か画像では藁端が不ぞろいに見えるが現物は綺麗に切り揃えているのである。
所用を兼ねて下平良地区までウォーキング。時折り紹介している旧平良小体育館の解体工事の昨日の様子。速谷橋の架け替え工事では下流側の橋脚杭工事が行われており工期は来年3月末と表示してあった。新宮神社に参詣したら門松が飾られ迎春準備万端のようであった。下平良地区では稲藁の入手が難しいので昨年制作した速谷神社拝殿の注連縄(下画像)が二度目のお勤めをしている。
上画像は山陽自動車道のフェンス手前にあった木がフェンス網を喰って向う側に伸びており、年数が経っていくとフェンスの上枠も喰っていくのではなかろうか。中画像は以前にも紹介したが右側の弓型横木から曲がって上に向かっている珍しい松の木である。
ウォーキング途中に参詣している伊勢神社の一の鳥居、二の鳥居に新しい注連縄がかけられ、拝殿にも注連縄が架けられ立派な門松が飾られていた。また、本殿にも新しい注連縄がかけられ早くも迎春準備万端のようである。
元平良小学校体育館は平良小の陽光台移転後に平良体育館として使用されていたが、老朽化のために解体工事が始まったことを以前紹介した。高い防音シートに覆われていたので解体の様子は窺うことは出来なかったが、解体の都度防音シートが取り除かれて建物が小さくなっていくのが垣間見られるのである。
広池地区の平良丘陵開発予定地内で土地区画整理準備会が発注して環境調査と地質調査が調査会社によって行われていた。ウォーキング途中にみかけたものであるが、広大な山林が伐採され掘削して開発されていくので、各所でこのような調査が行われているものとみられる。
ウォーキング途中に参詣している伊勢神社では拝殿内に新春に架ける注連縄が制作され置かれていた。以前各所のゴミ収集ケ所に「マックスバリュ号」の移動販売の案内が掲示されていたことを紹介したが、昨日原市民センター駐車場で「マックスバリュ号」による移動販売が行われていた。
昨日、河野原地区にある大歳神社にしめ縄を奉納した。今年は稲藁が少なかったので細めの注連縄となった。子供の頃当神社は事情があって管理されてなく荒れており境内には大杉が林立して鬱蒼としていた。地の人達は「もりさん」と言っており悪いことをすると「もりさんの青坊主」が出るといって恐らされたものである。
岩倉地区の作業場か倉庫であろうか軒下に相当以前のものとみられる大きな木の鎖のようなものが置いてあった。大きな木から作ったものかと思ったが板状に加工された痕跡がみられるのである。厚板をチェンソーで輪に加工したようであるがどのようにして繋いだのであろうか。ひび割れはみられるが継ぎ目は無さそうであるが・・・
宮内天王社の拝殿には新春に向けて長い注連縄が新調されていた。注連縄を良く見ると束ごとに釣り糸のような細いビニール糸が巻き付けられていた。注連縄は藁を継ぎ足して捩じり綯っていくので、どうしても継ぎ目で稲束の根元や先端が飛び出し、綺麗に仕上げようとするとハサミで切り揃えなければいけない。ビニール糸で巻き付ければ飛び出しを少しは抑えることができるのである。
宮内砂原地区にある宮内天王社を参詣すると拝殿に八阪神社とある神額が掲げられていた。江戸期の地誌、厳嶋道芝記にはこの地に天王社がみられ厳島社との関りがあったよう記されている。境内にはこれを裏付ける厳島棚守が寄進した石燈籠があり、八阪神社神額の揮毫は厳島神社宮司浅野忠純である。明治期になぜか八阪神社と称していたが昭和44年(1969)に宮内天王社と改称したようである。