国道2号線バイパス(西広島バイパス)にある佐方サービスエリアの上り線側と下り線側を連絡している地下通路を通ってみた。
昭和49年(1974)4月に開通して以来はじめて通ってみたが、電気、給排水などの大小配管が数多く通っていたのと、途中に階段が2箇所あり上り線側SAと下り線側SAや道路に意外と高低差があることがわかった。
国道2号線バイパス(西広島バイパス)の佐方地区にある佐方サービスエリアで、レストラン・売店・トイレとガソリンスタンドが設けてある。
下り線レストランからの眺望はすばらしく上り線SAと下り線SA間は陸橋と地下道で連絡されており、何れからの利用もできるようになっている。
高速道路には適当な間隔でサービスエリアが設けられているが、国道2号線に設けられたサービスエリアは珍しいのではなかろうか。
内子町廿日市にある栄恵美須神社で、この地の願成寺の門前集落に中世、厳島にある「荒えびす」を分祀し祀ったものである。
かつてこの集落では毎月20日の市日には恵美須神社の御開帳があり、「廿日市えびす」として信仰心のつよかった人々は、遠方より参詣して集落は繁栄したようである。
このようにして「廿日の市」が著名となって地名になったようである。四国の内子町は遠く離れた地のようにみられるが、海上交通の盛んであった古い時代には意外と当地との接点があったのである。
昨夜7時20分ごろ雨がしとしと降っていたが、空全体が夕焼けのように淡い紅色に染まった。
雨天であり普通の夕焼けとは変わった現象である。夕焼けのあくる日は天気であるといわれているが今朝の天気は・・・
久しぶりのお天とうさんだ !!
「廿日市」バス停留所の看板であるが上を見ると見慣れない内子警察署の表示がある。当市の地名と同じ「廿日市」地名が愛媛県喜多郡内子町にもあるのである。
内子町はかつて和紙と木蝋の集散地として繁栄し、この時代の面影を残す町並みが残されていることは良く知られており多くの人達が訪れているところでもある。
大頭神社拝殿に廿日市酒販協同組合大野支部の近代化グループにより「大野の地酒~妹背の滝」の菰酒が奉納されていた。
この酒は同酒販協同組合により研究・開発を進めて発売したプライベートブランドの酒のようである。
プライベートブランド酒は大竹市の酒造会社が醸造したようであるが、当酒造会社は事件を起こして廃業しているようであり縁起の良い酒ではなさそうだ。
小瀬川、古川、林川で取水した水は山間部下の導水トンネルを通り、乙丸地区では真直ぐに延びた暗渠がありその先で玖島川に流出している。
水利権の関係だろうか玖島川から渡の瀬ダムに流入し渡の瀬ダムから玖波発電所で発電後にまた大竹市防鹿地区上手の小瀬川に水を戻しているようだ。
津田ダムの取水口からすぐ脇には小瀬川水系の古川がありここには第二補助取水口(下)が、同水系林川には第一補助取水口(上)が設けられ合わせて毎秒0.68㎥を取水している。
古川は小瀬川の昔の流れの跡であろうか。林川は津田地区の中央を流れている川でいずれも小瀬川に合流する手前で取水している。
以前に紹介した小瀬川に設けた津田ダムといわれる堰堤から毎秒5㎥を分水し、ここから導水トンネルで玖島川に流している。
玖島川から渡の瀬ダムに流入し、渡の瀬ダムから玖波発電所で発電後にまた小瀬川に水を戻しているようだ。
佐方八幡神社で鳥居の加工が行われていたことを以前紹介したが、境内社大歳神社の脇に裏からのスロープの参道がありそこに鳥居が建てられていた。
この鳥居は厳島神社のものと同じ両部鳥居で朱色に塗られているが、設置場所が狭くちょっと窮屈そうであった。
大野地域を走っている「おおのハートバス」でこの黄色のバスは主に西方面の各ルートを走っているようである。
バスには旧大野町の木である「ベニマンサク」がデザインされており、葉の形状がハートの形などから覚えやすく親しみやすい「おおのバス」と名付けられたようである。
極楽寺参道の表本道(廿日市道)は平良1丁目2番付近の道沿い里程基石碑(現在はお菊地蔵傍に移設)から37丁あり、境内手前石段の左側に37丁碑が建立されている。
1丁は109mなので極楽寺まで約4kmあり、参道途中には江戸時代に建立された里程碑22基が残されている。