『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

古代米・黒米の田んぼが !

2018年08月31日 | 「佐伯地区」ぶらり





 


津田地区を走っていたら周囲の田んぼとは違った色の田んぼがあり、穂の色をみると古代米の黒米のようである。黒米は各遺跡から出土する木簡に黒米と記されているが、どのように使用されていたのかは定かでないようである。この黒米はどのように使用されるのであろうか。   
古代米であるが石包丁での刈り取りでなくコンバインで刈り取られるのであろう。

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逓信省の看板

2018年08月30日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


以前に津和野街道の道しるべ碑を紹介したが隣接して逓信省看板がみられた。この看板をみていくと看板が設置された時代を推定する文言は遞信省と電信法のみである。逓信省は明治18年(1885)に設置され昭和18年(1943)11月1日に逓信省と鉄道省で運輸通信省になっている。戦後の昭和21年7月1日から逓信院を廃止し逓信省が再設置されていたが昭和24年(1949)6月1日に郵政省と電気通信省で逓信省は廃止となっている。(アジア歴史資料センター資料より)
看板の旧字体、右横書き、カタカナ表記などから昭和18年(1943)11月1日に逓信省廃止以前に設置されていた後期高齢の看板ではないかと思われるのである。

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畑口の馬頭観音

2018年08月29日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


宮内地区の市道串戸畑口線沿いの法面に祀られている馬頭観音であるが堂の屋根が壊れていた。この付近は西国街道から津和野街道が分岐するところで、また砂原から津和野街道のバイパス的な道が出会うところでもあった。多くの小荷駄馬が行き来していたものとみられ、この地で行き倒れた馬を供養するために馬頭観音が安置されたものとみられる。

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俵みこしの俵づくり-6

2018年08月28日 | その他










俵の端を横縄で縛って男結びとして両端を縛る。縦縄の準備として底部の交差部分は装飾結びとし、4方向に化粧編み紐を潜らせ両横繩を一周して他端の化粧編み紐を潜らせて先端部分を仮縛りとしておく。中央部分を横繩で縛り男結びとしてこれで俵の単体が出来上がり6俵を製作する。

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牡蠣採苗棚

2018年08月27日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


昨日紹介した扇新開土手沖では干潟での採苗棚による牡蠣の採苗が行われているようで、採苗棚がずらりと並んでいる。8月ごろにカキは産卵・放精をおこなって海中で受精し、採苗棚のホタテ貝殻で作られた採苗連にカキの幼生が付着するようである。
筏養殖以前は篊建養殖が行われていたようで海田市式、草津式、仁保式などの篊建養殖法があったようである。

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扇新開の潮廻し

2018年08月26日 | 「廿日市地区」ぶらり







 

地御前沖の扇新開は江戸後期文化13年(1816)に築調されており、潮廻しは樋門によって満潮時の海水をせき止め、低地の排水を一時的に貯水して干潮時に排水するように設けられたものである。

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橋本辻地蔵盆

2018年08月25日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


原地区橋本に祀られている辻地蔵盆が昨夕近所の人たちによって行われていた。当ブログ主が子供の頃の地蔵盆は原地区をあげての盛大な行事で盆踊りや子供相撲などが行われていた。最大の呼び物は刻んだ麦わらの中に入れられた当たりくじを探す催しで、最終バスが通り終わると道路いっぱいに麦わらが撒かれ、それを必死になってかき集めて当たりくじを探していたのである。

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かつての里道跡

2018年08月24日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


地御前地区の国道2号線沿いの広電宮島線とJR山陽本線をかつては人の往来があったものとみられ通行禁止の表示がしてあり、歩道のガイドレールも開けられている。
JR山陽本線や広電宮島線、国道2号線が開通する前は地御前小学校プール沿いの小路が海岸まで続いて地域住民が利用していたものとみられ、既得権があって完全閉鎖が出来なかったものとみられる。

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地御前町屋の土蔵

2018年08月23日 | 「廿日市地区」ぶらり






 

地御前の街並みを歩いていると外壁に珍しい焼杉板が張られた町屋の土蔵がみられた。窓の周囲には唐草文様が漆喰細工で施されており、取り合わせなどからみると漆喰壁の上に焼杉が張られたものとみられる。

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地御前の町屋が!

2018年08月22日 | 「廿日市地区」ぶらり












 


地御前の街並みを久しぶりに歩いてみたら昭和60年(1985)に現地調査をさせて頂いた町屋が取り壊されて、町屋跡には建売住宅であろうか町並みには似合わないようなデザインの建物が2棟建てられていた。かつて地御前神社の門前町などとして成立した地御前の街並みも社会変化や生活様式の移行により町屋独特の家並みは次々と消滅している。

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現存している講中倉庫

2018年08月21日 | 「廿日市地区」ぶらり


河野原講中倉庫


 二重原講中倉庫


昨日は取り壊されていた講中倉庫を紹介したが、上平良地区で現存している講中倉庫は河野原講中と二重原講中の倉庫がある。しかし倉庫内の什器類は時代の変革により使用されていないものとみられる。 

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谷峰講中倉庫が!

2018年08月20日 | 「廿日市地区」ぶらり


谷峰講中倉庫


大原講中・吉野講中倉庫


 則貞講中・森下講中倉庫


上平良地区の地域的な信仰互助集団である「谷峰講中」の什器類が保管されていた講中倉庫が取壊されていた。昔は毎月当番の家でお寺さんを招いての御講寄、年末の御法事や、葬儀の際の食事用配膳什器や炊事用具、葬儀用具などを講中倉庫に保管していたが、時代の変革により使用されなくなっており什器類の処分倉庫取壊しとなったものとみられる。平成20年代には大原講中、吉野講中、則貞講中、森下講中の倉庫が取り壊されている。 

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俵みこしの俵づくり-4

2018年08月19日 | その他









 


袋状になった中に詰め物をするためにビニール袋を入れスクモ(籾殻)を詰め込んで、化粧編み紐を編み始める。一周目は薦の端編み紐の内側を4目毎交互に編み紐を通して結び、二周目からは薦の片端を少し折り曲げなから文字で表すのは難しいので画像で編み方を見てほしい。中心部まで編んで結び俵状になった。

※  昨日、当ブログを開設してからトータル訪問者数80万IPの節目と先日は閲覧数400万PVの大きな節目を迎えることができました。一般受けするブログではありませんが多くの方々に訪問・閲覧をして頂き大いに励みとなります。老化防止のために頑張りますので今後ともご来訪・閲覧のほど宜しくお願い致します。

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速谷橋架替え工事の今

2018年08月18日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


県道294号虫道廿日市線の可愛川に架かる速谷橋の架替えのための準備工事で、歩道橋の架橋工事が行われているようである。
9月上旬より道路の通行止めが行われるようであり、速谷橋の取り壊しが始まるのであろうか。平成33年3月末ころに通行出来るようになるようである。

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流れ薬師

2018年08月17日 | 「廿日市地区」ぶらり





 


下平良地区の可愛川に架かる七尾橋袂の墓地脇に祀られている流れ薬師で道挟薬師ともいわれているようである。堂内には本尊の他に三体の石仏がありこれらの石仏は昔結婚式に持ち込まれたもので返還地不明のものを持ち寄ったもののようである。大正期に記された地誌に時代不明の大洪水で川末から薬師如来が流されて下平良に至りこれを流薬師と称すとあるが、川末から流れてくると形が無くなるのでは・・・伝説は伝説として。

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