『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

リベット接合の鉄骨建築

2009年09月30日 | 「大野地区」ぶらり


廿日市市役所大野支所の車庫は旧大野町時代に建築されたものであるが、鉄骨部分の斜め材の組立てにはリベットが使用されている珍しいものである。
鋼材の接合は現在では溶接が主流で現場組立てには高力ボルトが使用されている。リベット接合はリベットを真っ赤に熱してリベットハンマーと呼ばれる専用工具によりかしめて接合するもので、大きな騒音を伴うために1960年代頃から使用されなくなった工法である。

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別鴉橋(べつあばし)

2009年09月29日 | 「大野地区」ぶらり


大頭神社本殿手前の毛保川に架かる橋の名前が「別鴉橋(べつあばし)」とあり珍しい橋名である。
昔、大野地区は大頭神社の特殊神事である「鳥喰祭」や「四鳥の別れ」などから別鴉郷と呼ばれていたと言う事で、これに因んで橋名が付けられたようである。

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大頭神社

2009年09月28日 | 「大野地区」ぶらり


妹背の滝、雌滝の脇にある大頭神社はもと郷桑原地区にあったが、大正2年(1913)に現在地に新築移転された。
大頭神社は厳島神社の摂社として建てられたと伝えられており、かつては由緒ある「鳥喰祭」や「四鳥の別れ」の特殊神事が行われていたということである。

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歩道上にある鳥居

2009年09月27日 | 「大野地区」ぶらり


古い時代から建立されていた鳥居では道路上に設置されているものもあり、大頭神社の鳥居も歩道上に設置されている。
元は道路上に設置されていたが道路拡幅に伴って歩道上に移転設置されたようである。

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伊勢神社奉納絵馬

2009年09月26日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区の伊勢神社に奉納されている絵馬「那須与一の図」で明治11年(1878)に描かれ奉納されているものである。
源平の合戦、屋島の戦いで弓の名手那須与一が弓矢を手に駿馬を海に乗り入れて平家の軍船に掲げた日の丸を描いた扇を射抜くという名場面である。

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佐方川に架かる佐方橋

2009年09月25日 | 「廿日市地区」ぶらり


佐方川に架かる橋で広電宮島線の上流側にある斜めの橋で、佐方川両岸の一方通行が合流するところのこの橋が佐方橋と表示されていた。
佐方橋は旧国道(西国街道)の架橋と思っていたが・・・

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極楽寺参道の裏本道 3

2009年09月24日 | 「廿日市地区」ぶらり


極楽寺参道の表本道(廿日市道)は里程基石碑から三十七丁あり境内手前石段の左側に三十七丁碑が建立されている。その反対側に十三丁碑があるがこれはどこからの里程碑なのかと疑問に思っていた。
この里程碑は裏本道(観音道)のもので昨日紹介した里程碑ケ所を経て庫裡下から現在の便所があるところに参道があったのである。昭和5年頃にはこの参道は荒れており道筋がわからず途中の一丁碑、十二丁碑のみしか記されていない。
里程碑の近接したものもあるので五日市町時代に参道が整備されて、発見された里程碑が新参道に移転されたものとみられる。

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極楽寺参道の裏本道 2

2009年09月23日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


極楽寺参道の裏本道(観音道)の一休み観音近くにあった観音道と刻された石碑が里程基石とみられる。
元観音道碑があったところから二丁碑手前くらいまでは開発などによりどこに裏本道があったのか良く分からない。現在の裏本道を登っていくと途中に二丁碑、四丁碑、五丁碑、九丁碑、十丁碑、十一丁碑がみられる。

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極楽寺参道の裏本道(観音道)

2009年09月20日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


昔の極楽寺参道は里程石碑が残されている廿日市からの表本道(廿日市道)と佐伯区坪井方面からの裏本道(観音道)が主に利用されていたものとみられる。
裏本道沿いで現在の中村病院前には一休み観音が祀られており、山陽自動車道を過ぎて少し進むと観音道と刻された石碑がみられる。この石碑は元一休み観音近くにあったようであるが、この周辺の開発により現在地に移転されたもののようである。

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福佐売神社 2

2009年09月19日 | 「廿日市地区」ぶらり


福佐売神社の本殿裏には小さな祠があり中には古墓が安置されている。この古墓が江戸後期に榎本連福佐売の墓であるとされた。
福島は福佐売と音が近く後世の人が訛ったのであり、傍らの川は可合川=可愛川=榎の川と呼んでいるし榎久保の地などと榎本と符合するので、福島社の地が榎本連福佐売の所居の地であるとされ、福佐売神社と呼ばれるようになった。広島藩主に繋がる浅野長懋の説であり根拠は乏しいのであるが、異を唱えることが出来なかったのであろう。

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廿日市で野沢菜を

2009年09月18日 | その他


子供が長野に行って野沢菜の種を貰ってきたので、信越地方の野菜がどのようにできるかと種まきをしたら発芽してきた。野沢菜は野沢菜漬けがよく知られている。
野沢菜はカブの品種とされ東日本の山間地に多く耐寒性にすぐれたヨーロッパ系の特徴が強い変種のようである。桜島大根のような面白味はないが暖地の廿日市でどのようなものができるのか楽しみである。

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洞雲寺周辺の今

2009年09月17日 | 「廿日市地区」ぶらり


廿日市駅北土地区画整理事業に伴う洞雲寺周辺の移り変わりについて何度か紹介しているが、昨日訪れてみると参道脇の桜並木が伐採されていた。
今年4月5日に紹介した桜の満開越しに垣間見える洞雲寺のすばらしい景観は消滅したのである。門前にはアスファルト舗装された仮設道路が築造されていた。

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福佐売神社

2009年09月16日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛地区にある福佐売神社でこの神社は江戸後期まで福島社(福島明神)と呼ばれていた。
平安時代の文献によると安芸国佐伯郡に節婦榎本連福佐売という人が居たことが記されており、江戸後期に福島社の地が榎本連福佐売の所居の地であるとされてから、福佐売神社と呼ばれるようになったようである。

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5代目桜島大根の今

2009年09月15日 | その他


平成17年に鹿児島旅行した際に桜島大根の種を購入し蒔き毎年種を取り育てたもので、今年で廿日市5代目の桜島大根の芽が出てきた。
今春種の取入れが早すぎて一部かびが生えもう発芽しないのではないかと心配したが、この前の雨で芽が出てきたので一安心である。今年はどのようなものが出来るか楽しみである。

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可愛川に架かる七尾橋

2009年09月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川でJA佐伯中央農協平良支店の上手に架かる七尾橋で、近くに流れ薬師が祀られている。
元は少し下流側に木造の中島橋が架かっていたが、道路拡幅に伴って架けられた橋である。昭和49年(1974)7月発行の個別地図では道路拡幅はされているが橋は架かっていないので、昭和50年代前期頃に架けられたものと思われる。

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