『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

的場の観音堂-2

2010年07月31日 | 「廿日市地区」ぶらり


廃光代寺観音堂の本尊である千手観音立像で、室町時代後期の作とみられておりかつての光代寺本尊とみられている。江戸期の地誌には極楽寺の観音さんと同じ木で、行基菩薩の作とあるが・・・
観音堂背後には光代寺関連の五輪塔、宝篋印や還俗して宮内村の庄屋に据え置かれた林斎の子孫歴代の墓碑などがずらりと並んでおり、仏像や墓碑などから往時の光代寺の姿が想像されるのである。

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的場の観音堂

2010年07月30日 | 「廿日市地区」ぶらり


宮内的場地区にある廃光代寺観音堂で、観音堂の前身である中世の光代寺は厳島社の末社天王社の別当職を務めていた。
戦国時代末ごろ光代寺の住持は廿日市鋳物師山田次右衛門の弟の林斎で、江戸期広島藩に入部した福島正則によって光代寺は取り潰しにあい、林斎は還俗して宮内村の庄屋に据え置かれ代々世襲し観音堂守をも務めていた。

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中部山岳、上信越方面散策

2010年07月29日 | その他


毎日うだるような暑さであるが標高2450mの室堂では雪渓が多く残っており、避暑どころではなく寒さに震えた。
草津温泉と志賀高原を結ぶ途中にある白根山は標高2161mの活火山で、山頂付近の火口湖が湯釜といわれておりエメラルドグリーンの美しい水をたたえていた。草津温泉の観光名所となっている温泉の源泉を木製の樋に掛け流し、湯の花の採取をしている湯畑のそばで足湯に入った。
娘が長野にいるおかげで木曽路や中部山岳、上信越方面を散策できて命の洗濯ができたのである。

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『木曽路の女』はどこに

2010年07月28日 | その他


当ブログ休止中に、雨に霞んだ御岳山をじっと見つめる女を探して木曽路(中山道)の宿場町を散策したが「木曽路の女」は・・・
落合宿の落合本陣から坂道の両側に古い家並みが続いた馬籠宿、卯建のある街並みの妻籠宿、奈良井千軒と云われた長い街並みの奈良井宿など中山道の宿場町を急ぎ旅した。

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正蓮寺の句碑

2010年07月23日 | 「廿日市地区」ぶらり


正蓮寺の経堂横に建立されている句碑で「遇ふといふ 機縁尊し 親鸞忌 仏手柑」とある。
当寺の十五代であった宗像良文住職は俳号を仏手柑と号されていたようで、一人でも多くの人が仏縁に遇ってほしいと願いをこめた句のようである。

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なた豆(鉈豆・刀豆)栽培

2010年07月22日 | その他


なた豆の種、白豆と赤豆3つぶづつ貰ったので5月2日に種蒔きをし、22日に白豆を植付けしたが赤豆は発芽が遅くそれから10日過ぎてから植え付けた。
現在白花が沢山咲きつつあり赤花も少し咲きだしている。なぜか花の周りには沢山の蟻が集まっており、甘い蜜などがあるのだろうか。なた豆の莢はどのような大きさのものができるのか楽しみである。

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腰細浦の呉軍港境域標石

2010年07月21日 | 「宮島地区」ぶらり


腰細浦にある陸繋島東側の転石の中に二つに折れた軍港第三区境石が離れ離れにあり、いづれも満潮時には海中に没してしまう位置にある。
銘文には「軍港第三区境 呉鎮守府」とあり、呉軍港の境域が明治22年(1890)に制定され、明治29年(1896)に厳島東岸の範囲の海域となりこの時点で建立されたものである。この呉軍港境域内では入港や築造物などについて様々な制限が加えられていた。

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津和野藩御船屋敷鎮護の稲生神社

2010年07月20日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日紹介した津和野藩御船屋敷跡碑のすぐ脇の三差路角に祀られている稲生神社で、津和野藩御船屋敷の鎮護のために津和野稲生神社を分祀して祀られたものとみられる。
建立されている燈籠をみると寛政3年(1791)正月に津和野藩士によって寄進されたことがわかるのである。

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津和野藩御船屋敷跡碑

2010年07月19日 | 「廿日市地区」ぶらり


桜尾本町の三差路脇に建立されている津和野藩御船屋敷跡石碑で江戸期に石州津和野藩の中継居留地津和野藩御船屋敷(廿日市下屋敷)がここ桜尾城跡の西側一帯にあった。
津和野藩主である亀井家は参勤交代などの往来に際して津和野から津和野街道を東上して廿日市に宿泊し、ここから海路で兵庫県御津町の室津に向かっていた。

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御山神社の両部鳥居

2010年07月18日 | 「宮島地区」ぶらり


一昨日紹介した御山神社の前には厳島神社の大鳥居と同じ両部鳥居が石造で建立されている。
この鳥居には刻銘がみられず江戸期の芸州厳島図会には両部鳥居は描かれていないので、大正15年(1926)5月皇太子殿下裕仁親王(後の昭和天皇)が御山神社に参詣される際に建立されたものであろうか。

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三鬼神社への道しるべ碑

2010年07月17日 | 「宮島地区」ぶらり


昨日紹介した御山神社への江戸期の三鬼神社道しるべ碑が霊火堂すぐ下の旧参道脇に転げており、石碑には「左 三きじん社、右 におうもん下向」と刻されている。
明治期に三鬼神社(三鬼堂)は御山神社と改称されて参道も現在のものに付け替えられたものであろうか、石碑があるこの旧参道は手入れがされてなく荒れている。

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弥山の御山神社

2010年07月16日 | 「宮島地区」ぶらり


弥山の急峻な断崖の上にある厳島神社末社の御山神社で、中央本殿・左右本殿の丹塗り社殿三棟からなっている。
江戸期には三鬼神社と称されていたが明治期になって御山神社と改められたようである。先に紹介したが大正15年(1926)5月皇太子殿下裕仁親王(後の昭和天皇)は御山神社に参詣されており御山神社前には「皇太子殿下御参拝」碑が建立されている。

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極楽寺山の氷河礫層

2010年07月15日 | 「廿日市地区」ぶらり


極楽寺や蛇の池に向かう自動車道の途中に極楽寺山氷河礫層と表示した看板がみられる。
かつてこの看板向側の斜面で氷河礫層がみられていたのであるが、現在は草が茂って見ることができない。看板手前の石積みはこの斜面で崩れた玉石を利用したものである。
このような玉石は通常河原に見られるものであるが、石質などからこの礫層は氷河によって山県地方から運ばれてきたもののようである。

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西広島バイパス廿日市高架橋工事の今

2010年07月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


西広島バイパス廿日市高架橋の終点付近を見ると上平良交差点より手前の高架床版の工事が行われているようである。
高架橋から廿日市ICへの分岐高架橋はまだ架かっておらず工事完了まではまだ相当日数がかかりそうだ。将来は広島南道路が接続されるようであるが通ることが出来るであろうか。

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蛇の池の祠

2010年07月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


蛇の池の周辺には資料によるとかつて弁天宮、龍宮など3祠が祀られていたようである。当ブログ主が子供の頃には土手の西側(現在の道路内)に1祠、他の資料によると池の南東隅に弁天祠1祠、キャンプ場にある消滅寸前の1祠の3祠とみられる。
何れも水辺や島、池など水に深い関係のある場所に祀られることが多い水の神で、長野地区の人達によって旱魃や水害など水による災い防止を祈念して池辺に祀られたものであろう。

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