『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

遊びの菜園-廿日市14代目桜島大根・廿日市4代目切葉松本地大根

2018年10月31日 | 農業

切葉松本地大根(左側)桜島大根(右側)

 雪白体菜(左側)・正月菜(もち菜)(右側)

  日野菜かぶ

廿日市14代目桜島大根(右側)と廿日市4代目切葉松本地大根(左側)の種をまいて双葉が出てきた頃に虫に食われて一時どうなるかと思っていたがなんとか育ってきた。食もせずこの地でどのように育っていくのか見るだけ・・・まさに遊びの菜園である。
中・下画像は先月滋賀・三重方面を訪れた時に種を求めた雪白体菜、正月菜(もち菜)、日野菜かぶが育っている。 

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旧石州街道の宿場町・石畳

2018年10月30日 | 旅行




 

温泉で英気を養うだけで済まないのが徘徊癖のある当ブログ主で、浜田自動車道の瑞穂IC近くの旧石州街道市木宿場町などを探訪した。市木宿は陰陽を結ぶ石州街道の要衝に位置し、本陣や代官所などが置かれ宿場町として発展したようで、クランク状の桝形がある街並みは宿場町の面影を残している。桝形ケ所にある浄泉寺の大きな山門は石見三門と称されているようで、山門に施されている龍の彫刻がすばらしい。
集落から外れた県道5号線沿いには厳島神社があり参詣したがどのような経緯で勧請されたのかは定かでない。
市木宿場町から国境の三坂峠に向かう旧石州街道には石畳が残されていた。

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美又温泉

2018年10月29日 | 旅行



 


秋の収穫が終わったので英気を養うために十何年ぶりであろうか浜田市金城町の美又温泉を訪れた。ツルツルの湯は一度入ったら忘れられない肌触りであり美肌の湯と言われているようである。美又川沿いの温泉街入口には足湯が新しく設置されており、5~6軒位であろうか温泉宿が並んでいたが日曜日にもかかわらず温泉街は人気もなく閑散としていた。

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稲掛けのハゼ組み

2018年10月28日 | 「廿日市地区」ぶらり




 


今は山に入ってハゼ杭やナル丸太を作る人はいないようで、当ブログ主も親時代のハゼ杭やナル丸太は老朽化してきたのでアルミ三脚にナルは鋼管を使用している。原地区をウォーキングしていると上画像はハゼ杭に角材が二股で使用されておりナルは竹材が使用されていた。下画像もハゼ杭が角材であり二股の交差部分はボルト締めとされておりナルは鋼管が使用されていた。

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稲掛けのハゼ組み

2018年10月27日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


原地区をウォーキングしていると以前当ブログ主がしていたハゼの組み方より違った方法でされていた。
二股のハゼ杭が主体で等間隔に配置されてナル丸太を掛け渡して、長手方向に抗するためにナル丸太の中央付近にタスキ掛けのハゼ杭が縛り付けてあり、二股のハゼ杭の片側に長手方向に抗するはぜ杭が縛り付けられていた。

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メゴ(目籠)が !

2018年10月26日 | 「廿日市地区」ぶらり






 

原地区をウォーキングしていると民家の納屋に懐かしい竹で編まれたメゴが置かれていた。親たちはコクバ(松の落葉)やその他の落葉、切り藁などを入れて背負って運んでいた。下画像は当ブログ主が以前に先人から教えてもらいながら作った小型(直径28cm、高さ30cm)のメゴであるがもう作り方を忘れてしまった。

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鳥取藩境台場跡

2018年10月25日 | 旅行

 

 

 

幕末期に黒船の来襲に備え松江藩は昨日紹介した馬着山に遠見番所を設けたが鳥取藩は境水道入口に台場を設け、土塁の上に8門の大砲を据えたようである。台場周囲の土塁は残されているが砲台跡などは見られず、土塁の上には先日紹介した美保関灯台より3年早く設置された山陰最初の木造六角洋式灯台が復元されている。また、昭和2年(1927)8月24日、美保関沖で大日本帝国海軍の夜間演習中に起こった艦艇の多重衝突事故での犠牲者慰霊碑が建立されている。

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美保ケ関特設(防空)見張所・探信所跡

2018年10月24日 | 旅行






(馬着山頂より美保関俯瞰)

 

島根半島の先端部にある標高210mの馬着山には幕末期に海上監視の施設として遠見番所が設けられたようである。太平洋戦争開戦後には馬着山に美保ケ関特設(防空)見張所・探信所が設けられ、望遠鏡、電波探信儀などで防空見張、探信などが行われていたようである。馬着山頂には兵舎か付属施設のものと思われる基礎跡と水槽2基が残されていた。 

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美保関街並み~仏谷寺

2018年10月23日 | 旅行




 

美保関は古くから海上交通の重要な地で、美保の関所が設けられ海関として賑わいに伴い次第に美保関の地名化したようである。美保神社の鳥居近くから仏谷寺に向かう青石畳通りと称されている道沿いには旅籠や船問屋、店舗、遊郭などが軒を連ねていたようであり、各家の屋号などが表示されていた。石畳の石材は地元で産出される森山石が多いようで、ほかに宍道町方面で産出される来待石と北前船で運ばれた越前の笏谷石もあるようである。
仏谷寺の門前には後鳥羽上皇・後醍醐天皇の行在所跡と表示されており、遠流の島(隠岐国)への配流までの風待ちや潮待ちの滞留所としての役割を果たしてきたようである。

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この実なんの実 ⁉

2018年10月22日 | 「廿日市地区」ぶらり









 

ウォーキング途中、山裾の樹木に見たことのないような実がなっていた。この実は宝珠のような形状で直径4.5cmくらいであり、中には硬い種が5ケ入っていた。何という樹木の実であろうか?

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美保神社

2018年10月21日 | 旅行










島根半島の美保関町にある檜皮葺の美保神社を参詣した。拝殿は切妻造りの妻入りで、本殿は大社造りの2棟が並んでおり左右殿の前面には片流れの向拝が設けられている。二殿連棟の珍しい社殿形式で「美保造」又「比翼大社造」といわれているようである。本殿の右殿(画像左側)には男神が祀られており先端が垂直に切断された男千木で、左殿(画像右側)には女神が祀られているので先端が水平に切断された女千木である。

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美保関灯台

2018年10月20日 | 建造物






 島根半島の先端部にある美保関灯台で銘板によると明治31年(1898)11月に初点灯とある。灯台、付属建物をはじめ旧吏員退息所、物置棟や施設外周塀など地元で産出する森山石(凝灰質砂岩)で造られた石造の灯台施設のようである。旧吏員退息所の玄関ポーチの屋根ケラバには唐草文様の中央に〒マークがみられ、当時は逓信省の航路標識管理所が灯台などを管掌していたようである。ポーチ柱頭の装飾彫刻はローマの神殿の装飾彫刻(高校建築史教科書より)を思わすような特徴的な装飾である。

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国宝・松江城探訪

2018年10月19日 | 旅行











 

国宝になった松江城に初めて探訪した。重文時代の松江城は何度も訪れており、これで国宝5城と現存天守閣12城を登城することができた。松江城が国宝になった理由の一つに松江城の創建に関わる祈祷札2枚が松江神社で発見され、祈祷札にある釘穴と一致する柱があったことによるようである。地階の柱には複製の祈祷札が掲げられていた。最上階の引き戸にあまり見ることがないさる錠が設けられていた。引き戸画像で上画像は開錠の状態であり下画像は施錠の状態である。

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島根半島の稲掛けのハゼ組み

2018年10月18日 | 旅行




 

松江市美保関町地区の国道431号沿いで高ハゼ組みの稲掛けが3ケ所でみられた。その内の1ケ所でハゼ組みは丸太と竹で5段掛けに組んであり、稲が掛けられているものは日当たりを良くするためか少し傾けられているようである。

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稲掛けのハゼ組み

2018年10月17日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


原地区をウォーキングしていると以前当ブログ主がしていたハゼの組み方より違った方法でされていた。二股のハゼ杭が主体で等間隔に配置されてナル丸太を掛け渡して、長手方向に抗するためにナル丸太の中央付近に長手方向にハゼ杭を斜めに交互打ち込んで縛り付けたものであった。

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