『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

山口散策-瑠璃光寺

2022年11月17日 | 廿日市関連

 

 

 

 

ガイドの案内で一行は五重塔前から香山墓地方面に向かったので一行から離れて瑠璃光寺を参詣した。(当ブログ主はどこに行ってもガイドや添乗員の視界から消える要注意人物)

瑠璃光寺は中世に当市の洞雲寺と深い関りのあった寺であった。下画像は山口県有形文化財の瑠璃光寺正法眼蔵でこの正法眼蔵は洞雲寺に伝えられていたものであるが、洞雲寺住職の遷化にあたり瑠璃光寺住職が秉炬師(導師)を勤めその謝礼遺物として享禄2年(1529)に洞雲寺から瑠璃光寺に寄進されたようである。 (下画像-山口の文化財より)

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津和野散策-太鼓谷稲成神社

2022年11月12日 | 廿日市関連

 

 

一昨日old倶楽部の親睦旅行で津和野~山口方面を訪れ、津和野太鼓谷稲成神社を参詣した。江戸期津和野藩主は参勤交代などで津和野街道を通り廿日市の御船屋敷に宿泊し、ここから海路で室津(兵庫県御津町)に向かっていた。桜尾本町の御船屋敷跡にはかつて太鼓谷稲成神社を分祀して御船屋敷の鎮護のために稲生神社が祀られていたが、現在は廃祠となって祭神は天満神社の稲荷神社に合祀されている。

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金岡水

2022年05月11日 | 廿日市関連

洞雲寺金岡水

龍文寺金岡水

杉の浦金岡水

洞雲寺の開山である金岡用兼に関連する金岡水をみていこう。洞雲寺本堂西側に金岡水があり、洞雲寺蔵の「金岡和尚行状記」には「寺、時ニ清水無シ、明神大宮司ニ託シテ岩畔ヲ穿タシム、清冷湧出ス、以テ茶水洗面等に充ツ、国人呼ビテ金岡水ト称ス」とある。金岡用兼の永平寺伽藍復興などの功績を称えるために金岡水と称されたものであろう。
金岡用兼は周防龍文寺の大庵須益・為宗仲心に師事しており、為宗仲心の示寂後弟子の金岡用兼と春明師透が法席を譲りあい、最後に春明師透が六世を継ぎ五世と六世の間に碑を建て金岡用兼を前住和尚とされている。開山堂裏手の金岡水は金岡用兼が仏祖に供える湯茶水のために岩を砕いて作ったという。
宮島杉の浦にある金岡水は「芸州厳島図会」には「・・・金岡和尚此處に座禅せられしことあり、その時はじめて湧出したりとぞ・・・」とある。

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江崎厳島神社

2021年11月20日 | 廿日市関連

 

 

 

 

昨日紹介した西堂寺六角堂の対岸に祀られている厳島神社で由緒などについては不明である。江崎港は北前船の寄港地でもあり海との関りで以前紹介した浜田市の瀬戸ケ島厳島神社と同様に安芸国厳島神社を分祀勧請したものと思われるのである。拝殿前には以前紹介した女子道社の御神籤機が置かれていた。

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高知城内神社-厳島神社

2021年06月24日 | 廿日市関連

 

 

 

 

昨日紹介した高知城内には城内の守護神として厳島神社などの四社が勧請され祀られていたようである。厳島神社は明治4年(1871)に吸江弘化台の山中に遷座されたようであり、現在城内社跡には小祠が祀られている。

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宝持寺参詣

2021年02月25日 | 廿日市関連

 

 

江田島市大柿町大原地区にある曹洞宗の宝持寺を参詣した。当寺は平成11年(1999)6月の土石流で伽藍が倒壊し(下画像は倒壊以前の宝持寺)平成24年(2012)5月に復旧再建されたようである。当寺は洞雲寺の15世骨岫玄的が宝持寺御開山で洞雲寺の22世の圓巌瑞明が宝持寺2世となっており洞雲寺の末寺である。

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厳島神社管弦祭御座船

2021年01月31日 | 廿日市関連

 

 

呉市倉橋町の桂浜を通る県道35号音戸倉橋線沿いに厳島神社御座船を格納した船屋があり3艘の御座船がみられる。看板表示によるとこの御座船は昭和37年(1962)と昭和61年(1986)に建造使用されたもののようである。旧暦の6月17日に行われる厳島神社の管弦祭に使用される御座船は江戸期から倉橋御用講の有志によって奉納されているようである。

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瀬戸ケ島厳島神社

2020年10月03日 | 廿日市関連

 

 

 

 

国道9号線にある道の駅ゆうひパーク浜田から厳島神社のある瀬戸ケ島を遠望し、浜田マリン大橋(10月4日(日)・5日(月)日没~午前0時にライトアップされる)を渡って厳島神社を参詣した。当社には瀬戸ケ島捕鯨図、廻船図、和船模型などが奉納されているようで海との関わりを窺うことができ、旧暦6月18日には神輿船による海上渡御があるなど宮島管弦祭を彷彿とさせる行事があるので、安芸国厳島神社を分祀勧請したものと思われる。

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波佐の速田神社

2020年10月01日 | 廿日市関連

 

 

 

 

久しぶりに鯖寿司・焼き鯖寿司を求めて浜田市金城町の波佐を訪れた。波佐の地には速谷神社と関りのある速田神社が祀られているので参詣をした。金城町誌には旧家の家譜に基づいての由緒が記されており、天正11年(1583)に安芸国佐伯郡平良村の速田神社を分祀し奉斉したということである。以前にも記したが石見国では厳島神社・大元神社が勧請され厳島信仰、大元信仰が広く行われていたようであり、速田神社も同様に勧請され祀られていたのではなかろうか。(速谷神社の旧社名-速田神社)

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市寸島神社(厳島神社・天満宮)

2020年08月22日 | 廿日市関連

 

 

 

 

 

JR丸亀駅近くでかつて福島遊郭があった花街界隈が繁栄していたころ、市寸島神社境内にずらりと狭小のバラック店舗が並んで当時の賑わいを彷彿とさせる建物の廃墟が以前訪れた時にあった。その後どのようになっているのかと市寸島神社を参詣してみると通りの片側の建物は撤去されて本来の神社境内となっていた。また門前にあった古い本瓦葺きの酒店跡なども無くなって繁栄していたころの面影が次々と消えていた。

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上村厳島神社

2020年08月02日 | 廿日市関連

 

 

 

 

昨日紹介した山口市徳地上村の月輪寺薬師堂の近くに厳島神社があったので参詣した。二の鳥居神額には厳島新宮と刻されており江戸期の寺社由来によると新宮厳島大明神とあった。安芸国佐伯郡より勧請したとあり、永正9年(1512)や享禄4年(1531)に再建された棟札などが記されており中世からこの地方で祀られていたようである。

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鈴屋厳島社

2020年07月31日 | 廿日市関連

 

 

当ブログ主は訪れた地にある厳島神社参詣するようにしており、昨日紹介した宇佐八幡宮のある防府市鈴屋地区にある厳島社を参詣した。江戸期の寺社由来には鈴屋村の地蔵堂と炭頭に厳島社がみられ、いずれの社も祭日は6月17日とあり厳島神社の管弦祭と同じ日であるが由緒については不明である。画像の神社はどれに該当するのか不明であり神社地も祠も新しいようでどのような歴史があるのだろうか。

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氷上山興隆寺・北辰妙見社

2020年07月29日 | 廿日市関連

 

 

 

 

山口市大内氷上にある大内氏の総氏寺であった氷上山興隆寺・北辰妙見社の現在で、妙見社と中興堂、鐘楼が残されている。大内氏全盛時代には古伽藍図をみると多くの塔頭が並んでいたようであるが、大内氏滅亡後に衰退し江戸期には脇坊が5坊あったが明治期の神仏分離令で寺社領がなくなり昔の面影は無くなったようである。鐘楼の梵鐘は享禄5年(1532)に大内義隆が寄進したもので国重文に指定されている。先日紹介した桜尾山の妙見社は大内氏の氏神である北辰妙見社を勧請して祀られたものと思われるのである。

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宮島厳島神社

2020年07月28日 | 廿日市関連

 

 

(山口古図-山口県文書館蔵複製より)

(多宝塔画像-山口市指定文化財HPより)

山口市宮島町に移築された小さな厳島神社がある。厳島神社は応永14年(1407)に大内盛見が芸州厳島神社を勧請して宇野令村に祀った。現在の県庁の地であり山口古図の赤丸部分に厳島社がみられ赤四角部分が先日紹介した瑠璃光寺である。江戸期厳島神社は山口10社の内の一社で宮司は10社に限り大宮司と呼ばれていたようである。幕末期に萩城から現在の県庁の地に山口政庁が置かれて厳島神社は現在地に移転したようである。かつて厳島神社の宝殿内に安置祀られていたものとみられる多宝塔が残されており山口市指定文化財に指定されている。

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瑠璃光寺参詣

2020年07月25日 | 廿日市関連

 

 

 

 

 

中世、当市の洞雲寺と深い関りのあった山口市の瑠璃光寺を参詣した。前回訪れた時には外国人が多くごった返していたが、今回コロナの影響で3~4人の参詣者しかみられなかった。洞雲寺の開山である金岡用兼は周南市長穂にある龍文寺(陶氏の菩提寺)の大庵須益・為宗仲心に師事していた。長享元年(一四八七)に厳島神主藤原教親は龍文寺の金岡用兼を招いて洞雲寺を開いている。
瑠璃光寺にある正法眼蔵は龍文寺で金岡用兼の侍者(金岡用兼に仕えた僧)が書写したものが洞雲寺に伝えられていたもので、洞雲寺住持の遷化にあたり瑠璃光寺の悟宗圭頓が秉炬師を勤めた謝礼として享禄2年(1529)に洞雲寺から瑠璃光寺に寄贈されたようである。(正法眼蔵画像-山口県文化財総覧より)

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