下平良地区の民家に長いものを運搬していたと思われるホタが残されていた。(上画像)かつて山から木材を乗せて馬で引いていたホタはもう少し頑丈そうなものであり、このような台車を子供の頃ホタと言っていたのを記憶している。
下画像は先日紹介した倉敷市の熊野神社社殿裏手にホタが保管されており、隣に人力ウインチ(轆轤・神楽桟というそうである)がみられるのでホタに重量物を載せて引いたものとみられる。
下平良地区の民家に長いものを運搬していたと思われるホタが残されていた。(上画像)かつて山から木材を乗せて馬で引いていたホタはもう少し頑丈そうなものであり、このような台車を子供の頃ホタと言っていたのを記憶している。
下画像は先日紹介した倉敷市の熊野神社社殿裏手にホタが保管されており、隣に人力ウインチ(轆轤・神楽桟というそうである)がみられるのでホタに重量物を載せて引いたものとみられる。
木
宮内地区のJR山陽本線串戸第3踏切の脇に使用済みの枕木を利用した防護柵がみられ、相当以前に設置されたもののようである。ここの踏切は串戸第3踏切と表示してあるが、第1踏切、第2踏切はみられないのでかつて里道に設けられていた踏切が廃止されたものとみられる。
国道2号線(西広島バイパスでない従来からの国道)をかつて観光道路と呼称していたことを知っている人はあまりいないのではなかろうか。昭和恐慌による失業者救済のために昭和6年(1931)から国道2号線の前身である宮島観光道路(己斐町~宮島口)の建設が行われている。
本町3番交差点付近の国道2号線の上り線側の電柱に「観光道路支」と表示されており、かつて観光道路と呼称していた名残りが電柱番号に残されている。なお、下り線側の電柱には「桜尾幹」と表示されている。
下平良の民家に背負って荷物を運んでいたオイコがあった。オイコはニコとも言っており、枝のついた自然木を加工して作っている。下画像は以前に原地区で見たオイコで荷を載せる丸木は自然の枝ではなく枘差しで作られているものである。親達はオイコで比較的軽い荷の運搬をしたり、山の谷など道がないところの運搬などに使用しており、ヒムロの木を加工して作っていたのを思い出した。
可愛川東流域の田んぼ
可愛川西流域の田んぼ
御手洗川流域の田んぼ
平良地区を流れる可愛川の最下流域で田んぼを作っておられる所は可愛川の東側で平良保育所の近くと、可愛川の西側では広電廿日市市役所前駅の南東宅地に囲まれた所にみられた。宮内地区を流れる御手洗川の最下流域の田んぼは西広島バイパスより上流側の河本1区集会所に隣接してみられる。何れの地も市街地化している所であり、稲作環境に適した地でなくなっており何れ市街地化していくのではなかろうか。
JA平良支店前の可愛川に架かっていた橋であるが平良大橋の架橋により廃止された。上画像の道路から手前に続いて可愛川に架かっていた。変わった橋名であるが明治期の字名として頓子がみられるのでそれにより名付けられたようである。江戸期の地誌に「登牟古(とんこ)-下平良の地名にあり、・・・」とあり、明治期に登牟古が頓子の字に充てられたようである。
下画像は昭和41年(1966)頃の木造のとんこ橋である。(廿日市の歴史より)
葛は荒れ地に繁茂して草刈り機に巻き付く厄介な雑草である。平地面ではあまり気付かないが石崖面に繁茂している葛に綺麗な花が咲いているのが良く見えた。コンクリート擁壁面には葛の蔓が風に揺られて円弧を描いた自然芸術がみられる。コンパスと同じ原理で下画像は若い頃円弧を描くために使用したコンパスである。
彼岸の中日ももうすぐであるが田んぼ周辺のあちらこちらで彼岸花が花盛りである。彼岸花という名前が付いているので彼岸前の田んぼ廻りの草刈りをする時にはなぜか彼岸花だけは残して刈っている。
天満神社随身門脇の玉垣は昭和3年(1928)御大典記念に「日の出」醤油を醸造していた東合資会社創業者夫妻によって寄進されている。日の出醤油醸造元である東合資会社は須賀町のグランドメゾン廿日市駅前がある地で大正11年(1922)に創立しており、醤油、味噌、酢を醸造していたようである。
中画像は大正3年10月の地図で須賀町に東姓(赤丸)がみられる。下画像は昭和11年(1936)頃の東合資会社店舗の様子で広島、呉に支店があったようである。
上平良地区をウォーキングしているともう稲刈りをしているのかと思ってよく見ると稗(ヒエ)がずらりと並べられていた。田植え前や後の除草剤の使い方をうまくしないと厄介なヒエが生えて要らぬ労力がいるようになる。当ブログ主も同じように除草剤を撒いたのに田んぼの1か所に多くのヒエが生え汗を流して除草した。
先日訪れた徳島県祖谷地方では田んぼが少なく昭和期以前はヒエ・キビ・アワ・ソバなどが主食穀物だったようである。
原地区をウォーキングしていると見かけたことがない花が咲いていた。何という花であろうかとネットで調べても分からないので画像をよく見るとピンク色の花ではなく葉の一部がピンク色になっているのである。遠目で見るとピンク色の花が咲いているように見えるがポインセチアの仲間でサマーポインセチアのようである。
先日、桜島大根と切葉松本地大根の種をまいて双葉が出てきた。これらを間引いて廿日市13代目桜島大根(左側)と廿日市3代目切葉松本地大根(右側)を育てる予定である。桜島大根は平成17年2月に鹿児島旅行した際に種を購入して桜島大根を育て、その種を毎年採って育てているもので、食もせずこの地でどのように育っていくのか見るだけ・・・まさに遊びの菜園である。
大庫理(ウフグーイ)
寄満(ユインチ)
シキヨダユル・アマダユルの壺
三庫理(サングーイ)
40数年前に今帰仁城跡を訪れた時城内に見たことがない拝所があり沖縄には独特の信仰があることを知った。今回、琉球信仰の聖地である斎場御嶽を訪れた。大庫理(ウフグーイ)、寄満(ユインチ)、シキヨダユル・アマダユルの壺、三庫理(サングーイ)などの神域があり、どのような祭事が行われていたのであろうか。現在でも崇拝されているようで聖地としての静寂さの確保と自然保護のために観光休息日が設けられている。