『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

可愛川の橋-伴丈木郡塚橋

2016年04月30日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川に架かる伴丈木郡塚橋で平成18年(2006)1月に架橋されており可愛川に架かる橋では一番新しい橋である。
平良小学校が平成14年(2002)に陽光台へ移転し学校跡地に通じる市道伴丈木郡塚線が整備され、かつての校庭東南隅部分に向かって架橋されている。

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雨露の花園

2016年04月29日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日雨上がりの後に散策していると団地の緑地帯が白く花が咲いているように見えた。
よく見ると何の雑草であろうか雨粒がびっしりと付いており雨粒が白く見え花が咲いているようで、天候がよくなると雨粒も無くなり束の間の花園である。

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可愛川の橋-西広島バイパス北側橋

2016年04月28日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日紹介した可愛川に架かる西広島バイパス速谷橋すぐ上流側にある西広島バイパス北側橋で、西広島バイパスの築造により旧平良小道が遮断されたために側道8号線の築造、架橋されたものである。
遮断された旧平良小道は西広島バイパスの下に人道・軽車両(自転車・原付)トンネルとして残されている。

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可愛川の橋-速谷橋+廿日市高架橋

2016年04月27日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川に架かる西広島バイパスの速谷橋で上り線は昭和47年(1972)、下り線は昭和51年(1976)に完成しており、その上に架橋されている廿日市高架橋は平成24年(2012)に完成しているようである。
速谷橋に沿って可愛川水管橋と表示した鋼管と上流側にも鋼管が架橋されており、水管橋の脇には何かの供給施設とみられる四角形状の架橋がみられる。

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可愛川の橋-七尾一本橋

2016年04月26日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川に架かる七尾一本橋でかつて小野地区から七尾中学校方面に通じていた里道で可愛川に架橋されていた橋である。現在は市道第二七尾線のようである。
この里道は七尾中学校の校庭内に取り込まれたために当ブログ主が中学生の頃地域の人が校庭を横切っていたのを思い出した。

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可愛川の橋-速谷橋

2016年04月25日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川に架かる速谷橋で明治期に速谷神社参道として架橋されたようで当初は大ノ木神橋と言われていたようである。昭和4年(1929)に参道改修工事が行われ鉄筋コンクリート造りの速谷橋であったが昭和26年(1951)のルース台風で流出した。
復旧の架橋工事中通りがかった際に橋脚の工事で泥水の中にもぐって何かの作業をしていたのを鮮明に記憶している。当時の橋は欄干など改修されており下流側の速谷歩道橋は昭和48年(1973)に架橋されている。

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可愛川の橋-七尾橋

2016年04月24日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川に架かる七尾橋で昭和56年(1981)国土地理院の空中写真によると以前紹介した流れ薬師前の道路は拡幅されているが七尾橋は架橋されてなく少し下流に中島橋がみられる。(下画像の赤丸ケ所)
昭和63年(1988)の同空中写真には中島橋がなく七尾橋がみられるのでこの間に架橋されたもののようである。

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可愛川の橋-頓子橋跡

2016年04月23日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川向こう側のJA平良支店前に向かってかつて頓子(とんこ)橋が架橋されていたが、すぐ下流に昨日紹介した平良大橋が架橋されたために廃橋となった。
江戸期の下平良村登牟古(とんこ)地名が明治期に字名として頓子となりこれにより橋名が付けられたようである。下画像はかつての頓子橋である。(図説廿日市の歴史より)

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可愛川の橋-平良大橋

2016年04月22日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川に架橋されている平良大橋で都市計画道路「畑口寺田線」の整備事業に伴って平成6年(1994)2月に架橋されている。
橋の欄干には市の木に制定されているさくらの花びらがデザインされたパネルが取り付けられている。

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可愛川の橋-JR可愛川橋梁

2016年04月21日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川に架橋されているJR山陽本線の可愛川橋梁で明治30年(1897)9月には上り線が開通しており、下り線は昭和3年(1928)6月に開通しているのでそれぞれの少し前に架橋されたものとみられる。
御手洗川橋梁の橋脚はレンガ積みであるので当初の橋脚はレンガ積みだったものがいつの時代かにコンクリート橋脚に改築されているようである。

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可愛川の橋-広電可愛川橋梁

2016年04月20日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川に架橋されている広電宮島線の可愛川橋梁で大正14年(1925)7月に復線開通しているのでそれより少し前に架橋されたものとみられる。
以前は河川内の橋梁下に平良小学校の通学路が設けられていたが現在は使用されていないようである。平成17年(2005)の塗装時には通学路は使用されていたようで名残りの「けたにちゅうい」と表示がある。

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可愛川の橋-可愛川歩道橋

2016年04月19日 | 「廿日市地区」ぶらり


可愛川の可愛橋上流部に架橋されている可愛川歩道橋で現在の鉄骨橋は平成15年(2003)10月に架橋されたようである。
この橋は福佐売神社前の市道に続く橋として架橋されていたものとみられる。この道は中世の山陽道ではとする説もあるが裏付けする資料がなく明らかでない。

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越ケ浜厳島神社

2016年04月18日 | 廿日市関連


萩市の笠山には何度も訪れたことがあるが明神池畔にある厳島神社に今まで立ち寄ったことがなかったので今回初めて参詣した。
越ケ浜厳島神社は萩藩2代藩主毛利綱広が、当家尊祖である毛利元就が信仰していた芸州厳島神社を延宝9年(1681)に勧請し祀られたようである。

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弁天島-厳島神社

2016年04月17日 | 廿日市関連


青海島の大比日沖合にある大比日弁天島の厳島神社(上画像)である。由緒は不明であるが地域の漁民によって勧請されたものと思われる。
仙崎港にある弁天島の厳島神社(下画像)で仙崎漁港の整備により弁天島は陸続きになっている。仙崎の町中にある祇園社(八坂神社)が勧請されたときに厳島社も勧請されたようであるが詳しいことは定かでない。

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大寧寺と洞雲寺

2016年04月16日 | 廿日市関連


湯本温泉近くにある大寧寺は大内義隆主従終焉の地としてよく知られており、本堂裏手の境内墓地には大内義隆主従の墓碑がずらりと並んでいる。
大寧寺歴代の住職のうちで6代大庵須益禅師は周南市長穂の龍文寺4世でもある。大庵須益禅師の孫弟子が当市洞雲寺開山の金岡用兼禅師であり洞雲寺とかすかな因縁のある寺である。

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