廃校となった宇佐小学校の校庭隅に二宮金次郎像が残されていた。胴石の上部には昭和13年(1938)開校記念建立とあり、下部には創立?周年記念、像再建、昭和?6年とあるが読みにくい状態である。
この像は何時のものだろうか、建立に際して二度同一人が寄附をしているようであるが・・・
龍ケ懸崖からの遠望で画像中央部に赤瓦屋根の宇佐の集落が見え、向うの山の中腹両端に中国自動車道がかすかにみられる。
左側の山上にみえる横線は林道で高い山が数年前に紹介した鬼ケ城山である。右側遠くの高い山が羅漢山でかすかにドームアンテナがみられる。
上木馬トンネルを通って五滝の上流部から龍ケ懸崖の尖峯にある龍岳観音に向った。
巨岩の頂部に石観音が祀ってあるので参詣して岩下をみると身の毛がよだつような断崖でヒヤッとして吹き出ていた汗も止まった。ここからの眺めは最高であるが途中足場が悪いので万人向きのコースではない。
五龍の滝を登り切ると木馬トンネルがあり下側トンネルと上側トンネルの中ほどに到達する。この付近は岩山のため木材搬出用のトンネルを掘削したようである。
当ブログ主が子供の頃母親の里で、木馬搬出中に大怪我をした人を伯父がバタンコで病院に連れて行ったのを覚えているので昭和30年代前半ごろまで木馬が使用されていたようだ。 吉和瀬戸谷の木馬道の跡
日中は暑い日が続いているので少し涼を求めて寂地峡に行ったが、急な石段の遊歩道を登っていくと汗びっしゃになった。
龍尾の滝、登龍の滝、白龍の滝、龍門の滝、龍頭の滝と名付けられているようであるがどの滝であろうか三滝で少し涼を!?
昨日紹介した綿の隣になた豆の栽培をしており白豆と赤豆の大きな莢が出来てきた。
なた豆の莢は硬く形もまさに刃物のようでありこれにより鉈豆・刀豆の名前になったことがわかる。このなた豆も利用方法がよくわからずもっぱら観賞用に栽培している状態である。
畑の片隅に古くなった綿の種を蒔いたら大きく育ち毎朝きれいな花を付けているが日中には萎れて数日後に落ちてしまう。
黄色い花弁の先端部がスカーレット色に変化していくきれいな花である。綿が出来ても使い方がわからないのでもっぱら観賞用となりそうである。
広電廿日市駅の駅舎は大正13年(1924)の開設当時、廿日市町停車場時代のものであるが、廿日市駅周辺の整備事業に伴って数年後にはリニューアルされるようである。
これにより9月8日(土)の二百廿日豊年市民祭に併せて『さようなら広電廿日市「駅舎」』のイベントが行なわれるようである。
以前紹介したが平良小学校横の陽光台第一公園からアマノリハビリテーション病院付近までの「上平良さくらの里遊歩道」整備の工事が始まったようである。
削平や遊歩道の整備など土木工事を伴った整備のようで植栽などは来春になるのであろうか。
画像左右の通りが昨日紹介した広島県道200号廿日市停車場線で、白線表示より左側部分は潮音寺川の暗渠上道路である。
潮音寺川に架かっていた廿日市停車場線の橋の名残りが突き当たりに残っているが何んという橋名であったのであろうか。
国道2号線の廿日市小学校入口交差点からJR廿日市駅までの542mが広島県道200号廿日市停車場線である。
現在のJR廿日市駅や広電廿日市駅が開設された頃は停車場と呼ばれていたが、今でも都道府県道・市町村道の法定路線名には「停車場」という言葉が使われているようである。
佐方八幡神社の手水鉢で江戸期の明和5年(1768)に奉納されたもので、大きな自然石を加工して水鉢としている。
画像の左側上面に二ヶ所の盃状穴がみられる。盃状穴は古い時代から作られているようであるが、何の目的で彫られたものであろうか色々と説は出されているが・・・
毎年この時期に山陽自動車道の法面にタカサゴユリが群生していることを紹介しているが今年はタカサゴユリの数が少なくなったような気がする。
数年前に山林化していた法面を伐採されてからタカサゴユリが群生化していたのであるが、雑木が伸びてきたのでタカサゴユリが段々と淘汰されてきたようだ。