教龍寺本堂裏手にある墓地の一角には明治期に衰退して廃寺となっていた妙音寺の墓碑が中国自動車道吉和インターの設置でこの墓地に移設された。この墓碑群の中には西中国山地で挽造活動していた木地屋関連の墓碑とみられるもの八基がみられるのである。 廿日市の文化第24集所収「西中国山地の木地屋-木地屋の足跡探訪を中心にして-」参照
教龍寺本堂裏手にある墓地の一角には明治期に衰退して廃寺となっていた妙音寺の墓碑が中国自動車道吉和インターの設置でこの墓地に移設された。この墓碑群の中には西中国山地で挽造活動していた木地屋関連の墓碑とみられるもの八基がみられるのである。 廿日市の文化第24集所収「西中国山地の木地屋-木地屋の足跡探訪を中心にして-」参照
昨日紹介した教龍寺には二口の流転の梵鐘がみられる。鐘楼に吊り下げられている梵鐘は刻銘によると寛政11年(1799)に広島城下の妙慶院の梵鐘として芸備両国鋳物師筆頭植木直昌によって鋳造されたようである。戦時供出されていた梵鐘が戦後の混乱期に当寺へ移ったようである。
本堂脇に置かれている梵鐘は明徳5年(1394)に筑前州遠賀庄(現福岡県遠賀郡)の黒山千手寺の鐘として鋳造されたもので、その後京都の西本願寺に移り江戸末期に太秦広隆寺の鐘となった。その後どのような経路を辿ったのかは定かでないが、当寺に辿りついた流転の梵鐘で、広島県の重要文化財に指定されている。
石原地区の長い石段を登った所にある教龍寺で、古い時代は西福寺という禅寺であったようで、その後真宗に改宗して寺号を教立寺と改めた。教立寺を明治初年に現在の教龍寺と改称したようである。
吉和支所・吉和市民センター
吉和保険センター
吉和歴史資料館
吉和地区の吉和郵便局隣接地では老朽化し分散している市吉和支所・吉和市民センター、吉和保険センター、吉和歴史資料館などの公共施設を集約するための吉和支所複合施設整備の用地造成工事が行われていた。令和4年度末頃に整備完了のようである。
吉和地区にある民家の土蔵の蔵飾りで、かつて上画像のような市域では最高傑作とみられるような漆喰細工の蔵飾りであったが現在は下画像のような状態である。すでに母屋は崩れかけておりこの土蔵も先行きが危惧されるのである。
市域にある茅葺き屋根の民家は市重要文化財に指定されている浅原地区の安井家母屋と吉和地区のM家のみであるが、M家の屋根の痛みが相当進んでいるようである。上画像は昨年8月に撮影。昨日も触れたが今時期茅の確保も難しく茅葺き職人も地域にはおられないだろうから茅葺き屋根を維持していくのは難しいのであろう。
吉和地区にある民家で昨年8月に訪れた時には茅葺屋根であったが、先日訪れてみると薄鉄板葺きの屋根となっていた。今時期茅の確保も難しく茅葺き職人も地域にはおられないだろうから茅葺き屋根を維持していくのは難しいのであろう。
一昨日吉和地区を訪れたら稲刈りが行われて稲掛けのハゼの準備をされていた。近づくことが出来ない場所であったので画像から見ていくと親から習ったような組み方でなくハゼ杭は二股と縦杭の交互になっており太めのハゼ杭である。ハゼ杭の先端が尖ったものがみられるが槌で田面に打ち付けないのであろうか。長手方向に抗する対策もあるのだろうが・・・
当方撮り鉄ではないが一昨日紹介した宮島ボートレース場駅で丁度広島駅行きの斬新なデザインの超低床新型車両5205形「グリーンムーバーエイペックス」(Green Mover APEX)が入ってきた。この新型車両5205形は宮島線で今年3月から運行されているようである。
田んぼの水廻りを兼ねての早朝ウォーキングで朝焼けの日の出がみられ、速谷神社に参詣して田んぼに行くと猪が田の中を歩いていた。今夕は中秋の名月であるが天候は・・・
昨日紹介した広電宮島口駅整備工事に伴って宮島ボートレース場駅の下り線ホームが上り線ホームに向かい合うように移転新設されていた。以前は競艇場への赤崎2踏切を挟んで広島側に上り線ホームがあり、宮島口側に下り線ホームがあった。上りホームにはかつての鉄道車両専用の高床ホームが残されている。
広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、以前訪れた時より大きく変わっていたのは大規模の立体駐車場が工事中であったことである。立体駐車場の手前側にはレールの敷設もされており何の施設か不明であるが地下の工事が行われていた。工期の2023年3月31日に向けて工事が進められているようである。
都市計画街路畑口寺田線整備工事の進捗状況で、佐方川と鴨原踏切北交差点上の佐方大橋の橋梁工事は終わっており、現在佐方側の接続道路部分の工事が行われていた。看板表示によると工期は来年3月15日までとなっていたが・・・
もうすぐ彼岸であるがウォーキング途中の各所でヒガンバナが咲いているのがみられる。かつて畑地であったところとみられる荒れ地にヒガンバナが群生していた。
速谷神社の鳥居建替えについて時折り紹介しているが防護シートで覆われているので工事の進捗状況は伺い知ることが出来ない。看板表示によると以前紹介した基礎工事から現在まで柱・貫の鉄筋、型枠組立、柱・貫のコンクリート打ち、笠木・島木の鉄筋、型枠組立が行われているようで、18日に笠木のコンクリート打ちのようである。今朝の早朝散歩で速谷神社に参詣したら台風接近で防護シートの上部が外されており上部型枠の状態を見ることが出来た。