平成18年もいよいよ今日かぎりとなりました。交通安全で名高い速谷神社も初詣の準備が整い境内には露店も並んで準備万端・・・当ブログはタイトルの如くぶらり見たままのブログですが6月22日開設して以来多くの方々にご来訪頂き大変有難うございました。来年も種切れまで頑張りますので宜敷くご支援をお願い申し上げます。良いお年を!とポチッとね!
冠高原スキー場のロープ塔跡でここに2基あった。自動車のエンジンを使用してロープを回転させスキーを履いたままロープをつかむのであるが、こつを覚えるまでスキーを履いた足が先にいったり体が先に行ったりするのである。1日券1000円、6回券300円、1回券50円と表示が残っていた。今でもロープ塔のあるスキー場があるのだろうか・・・ポチッとね!
冬将軍の到来でやっとウインタースポーツが本格化できるようになった。かつての冠高原スキー場は廃止されてスロープは牧草地となっている。冠高原の手前付近には広電の冠高原山の家があってスキーをする人などが宿泊していた。昔冠高原スキー場にはよく行ったものだが全く上達できなかった・・・ポチッとね!
原地区川末にある広電バスの川末車庫跡で、かつて最終バスは車庫内に止め乗務員は宿泊し、あくる朝の始発便として運行していたのである。この車庫にバスが入っていたので当時のバスは小さかったのだろうか・・・ポチッとね!
宮島水族館前を西に向かって約4km行くと広島大学付属自然植物園があり、その敷地内に明治期の宮浜砲台跡が残されている。この砲台は広島や呉の重要施設を防衛するための広島湾要塞の一つとして設置され大野瀬戸の防衛を担った。しかし、砲台は火を吹くこともなく役割を終えて廃止されたのである・・・神の島に砲台?と思った人はポチッとね!
廿日市市大野支所庁舎の前庭には斬新なデザインの水飲み場が設置してある。飛鳥にある水溝が掘られた古代の謎の酒船石を思わすような施設である。現在はどこにでも自販機があり水飲み場を利用する人は少なくなった・・・ポチッとね!
飯山地区にある飯山河内神社を訪れたら社殿前の社叢に沿岸部の神社では見られない祈祷神事の跡が残されていた。大竹市の飛地である広原神社社叢でも見られた祈祷神事であり山間地で行われている神事であろうか・・・来年の祭日には是非訪ねてみたいものだ・・・ポチッとね!
最近は民家近くの田畑に猪が出没して各地で被害が出ており、宮内地区明石の山中には捕獲許可済表示の捕獲用檻が設置されていた。来年の干支は猪だ・・・しかし、農作物に被害をおよぼす猪はかわいそうではあるが捕獲しなくてはならないだろう・・・ポチッとね!
レジャー施設の全盛時代に野貝原山山頂にあった「のうが高原ホテル」の周辺敷地は別荘地として分譲され、多くの別荘が建てられて優雅なひとときを過ごした人もあった。「のうが高原ホテル」が倒産してからの経緯はわからないけれど多くの別荘が管理もされずに雑木に埋もれて崩壊し始めているものもみられる。つかの間の夢の跡である・・・ポチッとね!
JR宮島口駅裏の山手にある延命寺の境内入口の猫脚石ベンチの反対側には可愛い二人の行童が支えた石のベンチが設置されている。寺への参詣や墓参に訪れた年配者などが一息つける有り難いベンチだ・・・可愛い!と思った人はポチッとね!
JR宮島口駅裏の山手にある延命寺の境内入口には可愛い二匹の猫が支えた石のベンチが設置されている。寺への参詣や墓参に訪れた年配者などが一息つける有り難いベンチだ・・・可愛い!と思った人はポチッとね!
宮島口のチチヤス敷地内の草創期の施設の脇にある山の斜面に扉の付いたトンネルが残されている。扉に取付けられた説明板によると左側は牛乳の入った乳缶等の冷蔵保管していたトンネル冷蔵庫跡で、右側は乳牛の受胎率向上のための大麦芽出しの作業に使っていた芽出しトンネル跡である。大正期に牛乳普及のために色々と工夫をしていたものだ・・・ポチッとね!
宮島口のチチヤス敷地内の草創期の施設がある通路にはレトロな交通標識が残されている。スピード制限標識は現在のものと同じであるが、徐行と警笛鳴らせ標識は時代を感じさせるものである。いつ頃のものであろうか・・・ポチッとね!
廿日市市大野支所庁舎前庭の一角に国際平和年記念モニュメントが設置されている。1986年大野町時代に建立されたもので中央には旧広島市役所に使用されていた被爆石が設置されている。柔らかな曲線で中央の被爆石を包み込むようなデザインであるが何を表しているのだろうか・・・ポチッとね!
原地区にあるこの倉庫は鉄道貨車の払い下げを受けて利用されており、車輪が取り外されて土地に定着すると貨車は建築基準法の適用を受ける建築物になるのである。へぇーと思う人はカシャとね!
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