『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

厳島神社大鳥居

2020年01月31日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 



厳島大鳥居之図は享和元年(1801)3月に上棟した大鳥居の各部の寸法などが記されている。中画像は千畳閣に架けられている尺杖で表示によると明治8年(1875)に再建された現在の大鳥居の高さと同じ16mの現場用の物差しとのことである。上画像をみると惣高6丈3尺余とあり、当時の大鳥居は現在のものより約3mも高い19.09m(63尺)であったようである。下画像は宝物館前に展示してある大鳥居の根元材で、昭和26年(1951)の大修理の際取り換えた楠の根元材のようである。(根元材取換えの顛末については宮島町史特論編・建築に詳述されている)

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厳島神社大鳥居の修理工事

2020年01月30日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 



厳島神社では現在大鳥居の修理工事が行われており、大鳥居は覆屋根と防護ネットで覆われている。修理の内容は檜皮葺の屋根葺替え、朱色塗装の塗替えと木部の破損調査をし、補修や補強方法を検討して工事が行われるようである。修理工事のパンフレットによると破損調査では目視だけでなくレジストグラフ調査、簡易X線調査、レーダー探査、内視鏡調査などと色々な方法で構造診断を行うようである。

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広電宮島口駅

2020年01月29日 | 「大野地区」ぶらり

 

 

 

 



国道2号線から宮島口桟橋へ向かう途中に宮島線の踏切があり渋滞が多発していたので、厳島港港湾整備事業に伴って現在の広電宮島口駅は昨日紹介した宮島口もみじ本陣跡に移設されるようである。モダンな現在の駅舎は平成6年(1994)に建築されたようである。
画像の2枚は昭和57年(1982)頃の駅舎内待合から改札口、改札口からホームの様子である。

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宮島口もみじ本陣の取り壊し

2020年01月28日 | 「大野地区」ぶらり

 



厳島港港湾整備事業に伴って広電宮島口駅の移設をするために宮島口もみじ本陣の取り壊しの準備作業が行われているようだ。以前は回転展望台のあった広電宮島ガーデンがあったが、リニューアルして宮島口もみじ本陣として営業していた。隣接の宮島松大汽船とJR西日本宮島フェリーの別々の旅客ターミナルも新施設の完成後に取り壊される。

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厳島港港湾整備事業の今

2020年01月27日 | 「大野地区」ぶらり

 

 

 

 



通称宮島口桟橋の工事が行われていることを以前に紹介したが旅客ターミナルや大桟橋の工事は大詰めのようであり、来月末に完成して共用されるとの新聞報道があった。久しぶりに宮島を訪れ船上から大桟橋をみると大きな漁港にあるような荷揚げ上屋のようにみえる。以前は社殿風の桟橋上屋であったのであるが・・・

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速谷橋架橋工事の今

2020年01月26日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



時折り速谷橋の架橋工事の進捗状況を紹介しているが、現在下流側橋台のピアー工事が終わったようであり、これから上部に橋台が設けられるようである。当ブログ主が小学生の頃、ルース台風で速谷橋が流出して復旧の際に、橋脚工事で泥水の中に素潜りして作業をしていたのを、通りがかりに見たのを鮮明に覚えているのである。今では考えられないような作業を当時はしていたのである。

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可愛川に架かる中央橋

2020年01月25日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 



元平良小学校体育館の解体工事を逐次紹介していたがもう跡形もなく整地作業が行われているようである。かつてこの一角には旧平良村役場があった地で、当ブログ主が小学生の頃にはまだ建物は残っていた。かつて平良村役場や平良小学校があり村の中枢であった地に向かう、可愛川に架かった橋が中央橋と名付けられていた。現在の橋は橋名の表示もなく架設橋のように見えて橋名に似合わない貧弱な橋である。 
(旧平良村役場画像-ふるさとの写真集より)

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平良丘陵開発予定地内で

2020年01月24日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 



極楽寺への廿日市参道脇にある高圧線鉄塔№12の手前に、山地内での弾性波探査の予告看板が掲示されていた。平良丘陵開発予定地内では弾性波探査や以前紹介した環境調査、地質調査などは着々と進められているようである。しかし土地の所有関係や境界などの問題は難航するだろう。一代前の時代であったらスムースに事業は進んだであろうが・・・

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極楽寺山域ところどころ

2020年01月23日 | 登山

 

 


極楽寺への上平良参道の脇と先日通った中電の高圧鉄塔管理道脇に切り石を使用した石積みがみられ、このような場所に何のために築造されているのかと不思議に思った。これらの石積みは大正期ころ砂防のための石積みであることがわかった。
明治期、極楽寺山域の平良地区の山はほとんど薪炭山と柴山であり、禿山に近い状態であったものとみられる。大正期の地誌に「現在禿山トナリ居レル所ヘ砂防工事ヲ施シ適当ノ樹種ヲ選ヒ植樹スルヤウ奨励スルコト」とあり、これらの石積みは砂防工事で設けられたものとみられるのである。

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極楽寺山域ところどころ

2020年01月22日 | 登山


 


極楽寺から佐方参道を下り市道の同免大谷線(途中から側道)を登って山陽自動車道の下を進むとすぐに佐方川支川があり、川沿いに進むと通称流の滝がある。昔は憩いの場所として整備されていたようであるが今は荒れており訪れる人もいない。滝のすぐ手前にド根性杉が横たわっている。
斜面に生えていた杉の木が倒れて本来は枝であろうが大きな3本の幹として育っている珍しい杉の木である。他に4~5本の枝が垂直に伸びているがどのようになっていくのであろうか。

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極楽寺参道ところどころ

2020年01月21日 | 登山




 


仁王門前から屋代参道(中国自然歩道)を下っていると休憩所の向かいに第六管区海上保安本部の無給電中継所があるが、管理が行き届いていないようで機能しているのであろか。屋代参道(中国自然歩道)から佐方参道が分岐しているが、佐方参道を少し下っていると昔の分岐点に昭和10年(1935)の刻銘がある道しるべ碑が倒れかけている。佐方参道を下っていると画像のような石を積み上げたものが2ケ所と大きな石の上に???のようなものがみられた。

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極楽寺登山-タマミズキ

2020年01月20日 | 登山




 


昨日、宮島SA脇から廿日市参道を登り今年2度目の極楽寺参詣をした。途中から素敵な山ガールさんと御一緒し、帰路仁王門前でタマミズキを見るために別れて佐方参道を下った。以前下山していると遠くに見える鮮やかな色は何だろうかと思ったもので、今回他所でもタマミズキが遠望できた。佐方参道を下って山陽自動車道の側道を通り、途中から中電の高圧線鉄塔管理道を通ったが道が荒れており、やっとのことで廿日市参道に出て宮島SA脇に帰った。

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上平良地区最奥部の田跡

2020年01月19日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

 

以前極楽寺登山の帰り道に25丁付近から轆轤木谷を下ったと記したが、上平良地区で最奥部の田跡(地図の赤丸ケ所)を見るためであった。明治5年(1872)の上平良村地券申受帖によるとロクロ木に二名の所有地で各一畝がみられるが、さすがにこのような場所では無税地であった。周囲は急傾斜の村有薪炭山であったがその谷中のわずかな平地を江戸期から開墾していたのであろうか。明治34年(1901)には山林となっており、現在は田んぼであったのかなと思われる緩斜面が確認でき杉林となって猪のヌタ場となっていた。

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サインけん玉

2020年01月18日 | 「廿日市地区」ぶらり



 


以前にも紹介したが、はつかいち文化ホールさくらぴあの市民ホールに設置されている大けん玉の脇にサイン色紙ならぬサインけん玉がショーケースの中にある。このサインけん玉はさくらぴあで公演をした人達にけん玉にサインをして貰ったもののようであるが、以前紹介した時より数が多くなっていた。後方に並んでいるのが誰のものか見えづらくなっており横長のショーケースに展示してあればよいのであろうが・・・

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元大原講-ノドウロウ・シカバナ

2020年01月17日 | 「廿日市地区」ぶらり



 


大原講中では葬儀の際に次年度の当番に当る人達がノドウロウやシカバナを制作していた。ノドウロウは笹竹に半紙で作った紙房を付けた一対のものでカド先(庭先)にウレイの印として立てていた。
葬儀の飾り物であるシカバナは諸口(障子紙)の半分を二つに折って横に細かく切れ目を入れ竹竿に巻付けたものを4本シカバナ台に差し込んだもので、棺の両側に飾っていた。当ブログ主は葬列の経験がないが、かつて火葬場への葬列にノドウロウが先頭で生花やシカバナなどに続いて導師、霊柩車(某所にまだ残っているだろうか)が続いていたようである。

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