標高1082.5mの女鹿平山山麓にある「めがひらスキー場」ではゲレンデに人工雪の造雪作業が行われており山上から白い帯が続いている。吉和の山々は紅葉が始まっているところであるが来月22日の開業に向けて早くから作業が行われているようである。更新の活力になります! ポチッとね!
宮島桟橋通りにある店舗玄関脇に近代美術館かと思うような宮島には似付かない奇怪なオブジェが設置されていた。当地は宮島・大野景観指定地域景観形成基準が定められており、自然、歴史的景観に調和するよう配慮するようにされているようなのだが・・・更新の活力になります! ポチッとね!
宮島桟橋前にある要害山トンネルの手前の住宅地道路にタヌキが出没していた。宮島の山中では鹿はよく見られるが他の動物にはあまり出くわしたことがない。金井塚務氏のご教示では「若いタヌキで健康状態は良好とは言えません。タヌキはイヌやネコの餌を求めて集まってきますが、その際、ヒゼンダニに感染し、疥癬症を発症することがありその一歩手前といった感じがします。」とのことでした。更新の活力になります! ポチッとね!
駒ケ林の大絶壁で大元コースの17丁碑の東面に聳え、あまりにも巨岩であり全貌を撮影することはできない。絵馬岩といわれており富士岩付近から遠望すると絶壁に駿馬が谷底へ降下する姿がみられるということである。ここから絶壁の駿馬を遠望してみたいものだ・・・更新の活力になります! ポチッとね!
昨日は生憎の天候であったが羅漢渓谷から吉和地区の山々は紅葉が始まっており、魅惑の里がある焼山川沿いの紅葉も素晴しかった。水神の湯で一風呂浴びながら紅葉を愛でると命の洗濯ができそうだ。更新の活力になります! ポチッとね!
平成17年2月に鹿児島旅行した際に桜島大根の種を購入して種を蒔いて今年で4代目の桜島大根の苗である。在来大根と交配したものとみられだんだんと桜島大根らしくなくなっているが、桜島大根の性質を受け継いでいるものとみられる。廿日市では土壌が違うので鹿児島で取れるものとは違うがどのようになるのか楽しみである。更新の活力になります! ポチッとね!
宮島桟橋から厳島神社方面へ進むと昨日紹介した商船桟橋跡からは海岸通りは行き止まりの柵がしてあり、観光客はクランク状に商店街を進むようになっている。終戦後この道は進駐軍の自動車道路との名目で柵がされていたようであるが、現在の名目はどのようになっているのだろうか・・・もっとも商店街に用事のない人は小さな出入口から通り抜けはできるのであるが。更新の活力になります! ポチッとね!
宮島桟橋から厳島神社方面へ右側に海を見ながら商店街を進むと不自然に海岸に突出した部分があり、かつて五木茶屋などの店舗があった空家建物がみられる。ここは大阪商船、尼崎汽船などの大阪下関線、尾道別府線、宇品別府線、大阪から宮島遊覧船などが寄港、後に宇和島運輸・宇品汽船の呉広島別府航路が寄港していた商船桟橋の跡である。現在は有之浦陸閘として護岸が整備されており全く桟橋の遺構は残されていないのである。更新の活力になります! ポチッとね!
厳島神社宝物館の上にある多宝塔から駒ケ林への登山道、多宝塔コースを登って行くと出城といわれるところから厳島神社、宮島桟橋、東側の町並みを俯瞰すると絶景である。干潮時で多くの観光客が大鳥居周辺で散策しているのが見られる。多宝塔コースは大聖院コース、紅葉谷コース、大元コースに比べると全く整備されてなく一般的ではない。更新の活力になります! ポチッとね!
厳島神社のある入り江一帯では大量のアオサが漂着し、干潮時に神社の職員が清掃されていた。帰る頃には汐が満ち始めておりまた大量のアオサが打ち寄せていた。海水の富栄養化などが原因のようであるが、アオサは成長が早く海水中の炭素、窒素、リン、栄養塩などを効率よく吸収するため、海水の浄化に役立っているそうである。大量にある海草なので何らかの方法で食料など利用できるようになれば・・・更新の活力になります! ポチッとね!
原川末地区の道路沿いにあるザクロの老木に沢山の熟成した果実がなっていた。もう少し経つとパカッと口を開き赤い宝石のような沢山の果肉がみられる。子供の頃の食べたことがあるが甘酸っぱく種ばっかりであったように記憶しているが・・・更新の活力になります! ポチッとね!
原川末地区にある急傾斜の県道に面した民家の庭園にノコギリ状のブロック塀が造られている。民家の裏手一山が庭園になっているものとみられ、その広大な部分にブロック塀が周囲を巡らされているのである。更新の活力になります! ポチッとね!
上平良地区の休耕田で雑草のイヌタデの花が咲いているのかと思ったが、藍染めに使用する蓼藍(タデアイ)を栽培しているとのことであった。藍染めは四国の吉野川流域で行われるのが有名である。藍染めに至るまでは高度な技術と手間を必要とするようであるが、木綿を染めて作品を作っておられるようである。更新の活力になります! ポチッとね!
国道2号線から廿日市青果市場前、広島法務局廿日市支局前、廿日市市役所方面に向かうカーブした道は幕末の住吉新開が築造されるまで、江戸時代前期、中期に築造された新開の土手の跡である。可愛川の土砂の堆積で河口沖は遠浅のため遠浅部分を利用して沖に出しており、土木技術の乏しかった時代にはこのように変形した新開となったようである。更新の活力になります! ポチッとね!
JR廿日市駅前から山陽本線沿いに東に向かうと最初のガードで洞雲寺方面に行く大割川橋梁がある。洞雲寺方面から流れる大割川は現在暗渠となっており、橋梁下を車で通る時には思わず頭を下げそうになるような低さである。上り線側の橋脚の石積みは明治30年(1897)に山陽鉄道が開通した時に築造されたものである。更新の活力になります! ポチッとね!
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