『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

折敷畑山~野貝原山ぶらり-展望台から遠望

2011年11月30日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

野貝原山の展望台から北西方面を遠望すると眼下左側に玖島地区の吉末から下川上筋の集落が見え右側に高く聳えた標高1039mの大峯山が見える。

大峯山系を左側に見ていくと標高1009mの西大峯山がみられ、遠くには特徴ある山である標高1339mの冠山が見える。

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折敷畑山~野貝原山ぶらり-旧展望塔

2011年11月29日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

野貝原山の最高所にあった旧野貝山三角点跡の脇には旧レジャー施設のうが高原時代の展望塔が残っている。

かつての進入路は雑木が茂って場所が分り難くなっている。展望塔の上部には何時の時期に設置されたものか不明であるが仮設パイプ架台上に風速計などが残されており気象観測が行なわれていたようである。

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折敷畑山~野貝原山ぶらり-野貝山旧三角点跡

2011年11月28日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

貝原山の最高所にあった旧野貝山三角点(標高733m)跡で標木のみが残されている。現在は少し西側の719.5m峰に野貝山三角点が設置されている。

旧三角点跡すぐ横には陸軍輸送港域第二区標石の折れたものが建てられている。この標石は第53号で折敷畑山のものは54号である。

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折敷畑山~野貝原山ぶらり-別荘跡

2011年11月27日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

旧レジャー施設のうが高原時代に周辺山林敷地を別荘地として売り出され、多く別荘が建てられて優雅なひと時を過ごした人もあったようである。

「のうが高原ホテル」が倒産後の経緯はわからないけれど、現在何軒かの別荘が管理もされずに雑木に埋もれて崩壊しているものもみられる。
つかの間の夢の跡である・・・

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折敷畑山~野貝原山ぶらり-アンテナ銀座

2011年11月26日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

野貝原山頂はアンテナ銀座で大小のアンテナ10基余りが設置されており、体の中をビビッと電波が通り抜けているようだ。

技術進歩のためであろうか以前より小型のアンテナが設置されて、画像右側のNTT無線中継所建屋上に設置されていた頑丈そうなアンテナ鉄塔2基が今月撤去されたようである。

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折敷畑山~野貝原山ぶらり-のうが高原ホテル跡

2011年11月25日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

旧レジャー施設の主要施設であった「のうが高原ホテル」は廃墟となってかつては内部が窺える状態であったが現在は柵がしてあり近づくことが出来ない。

昭和50年代の中ごろであろうか当ホテルで忘年会をして、眼下の夜景を眺めながら展望風呂に入ったことを思い出した。

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折敷畑山~野貝原山ぶらり-山境標識

2011年11月24日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

平良地区と宮内地区境の尾根筋を登っていると宮内側の山には所々に宮迫講、串戸講、明石講、北山講などと山境標識がみられる。

旧村の所有山林を宮内地区では各講中で市有山林の貸付を受けており、平良地区では市有林管理委員会が各戸の分山とし市有山林の貸付を受けている。

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折敷畑山~野貝原山ぶらり-折敷畑山古戦場跡

2011年11月23日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

折敷畑山系のほぼ中央部で400m峰に陸軍輸送港域第二区標石と折敷畑山古戦場跡標木が建立されている。戦時中この陸軍輸送港域内においては様々な禁止事項や制限が定められていたのである。

同標石調査で訪れた昭和58年(1983)頃はここを訪れる人はほとんどなかったが、NHKの大河ドラマ毛利元就が放映されていた頃は多くの人々がこの地を訪れていた。最近はほとんど訪れる人も無いようで山道は草や雑木が生い茂っている。

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折敷畑山~野貝原山ぶらり-道迫三角点

2011年11月22日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

折敷畑山系の尾根筋先端部にある三等三角点で標高365.5m、点名は道迫とあり、宮内地区山字の横道山と平良地区山字の大迫山とから一字採って名付けられたもののようである。

ここ付近の尾根筋先端部からは平良筋から廿日市が俯瞰できる位置であり、折敷畑合戦の際には陶勢が陣していた所であったものとみられる。

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折敷畑山~野貝原山ぶらり-長尾の尾根道

2011年11月21日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

平良と宮内の境である長尾の尾根道は折敷畑山の南側の横道を経てかつて黒折に至っていた山道で、津和野街道が整備される以前の石州往還道とみられている。

折敷畑合戦の際には毛利元就軍勢が長尾の尾根道から攻め上がったと軍記物にみられるのである。交通機関が発達していないころ当ブログ主の親戚のものが明石から上平良に来る際にこの横道を通って来ていたと聞いたことがあるので昭和前半頃まで利用されていたのではなかろうか。

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第7回「原たくみの会」作品展

2011年11月20日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

原地区にある橋本集会所において同地区で製作活動をされている「原たくみの会」メンバー8名の第7回作品展が昨日と本日16時まで開催されている。
斬新なアイデアで作られた轆轤細工、繊細に彫り込まれた宮島彫り、器、花器などさまざまな陶芸作品、瀬戸内を描いた油絵などや各賞に輝いたすばらしい作品の数々が展示されている。

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国道433号線改良工事の改良?

2011年11月19日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

昨日紹介の国道433号線の改良道路が原公民館前で現在の433号線に交差している部分である。

交差部分の仮設道路が造り替えられたり、改良済の道路に迂回道路と右側道路に向かって高架橋が新たに設けられるようで、交差部分の懸案で道路が供用されないようである。

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国道433号線改良工事の今

2011年11月18日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

国道433号線の改良工事について時々紹介しているが、元JA原支店前から原公民館前までの工事が完了したことを以前紹介したことがある。

以降も道路は通行止めとなったままで供用されていないが道路はご覧のような状態である。道路標識には平成20年とあるので20年度予算で工事が行なわれたものであろうが・・・

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極楽寺の任助法親王位牌

2011年11月17日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

楽寺本堂に安置されている任助法親王の位牌で「厳島御室一品任助大王尊儀 天正十一癸未十一月廿九日」と陰刻されている。(1983年撮影)

当寺の住持祐宗法印が任助法親王葬儀の御引導太師を勤仕して位牌を安置し、法事も当寺において執行したようで、これ以後極楽寺は仁和寺直末寺となったようである。これによるものか任助法親王関係の史料には二十日市極楽寺に葬ったとある。

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任助法親王陵墓

2011年11月16日 | 「大野地区」ぶらり

 

野地区宮島口(旧赤崎)更地別れの踏み切り脇にある任助法親王の墓で宮内庁管理の陵墓とされている。

この任助法親王墓の初見は元禄15年(1702)の厳島道芝記に大野村の御室山に任助法親王を葬ったと記されている。宮内省は昭和10年(1935)に臨時御陵調査会を設けており昭和16年(1941)に任助法親王の陵墓と治定されたようである。

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