『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

君の名前は・・・

2018年02月28日 | その他




 


寒さも和らぎぼちぼちと苗ものを植えるため畑を耕していると、餌が出てくるのを待っているように何んという鳥だか分からないが、鳴きながら近くの木の枝などを飛び移っていた。カメラを取りに行き帰ってもまだその周りを飛び移っていたので写すことが出来た。

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道路開通記念碑

2018年02月27日 | 「廿日市地区」ぶらり




宮内地区の天王社入口斜め前の市道脇に建立されている道路開通記念碑で、明治期、郡役所のある廿日市から奥筋に通じる県道津和野線の汐見坂峠に至る道は峻嶮な難所であったので明治23年(1890)から改良工事が行われており、翌年7月に竣工している。碑文には道路改良工事に至る事由から工事費の捻出や用地の提供などの難航後に開通したことなど明治27年(1894)9月と刻されている。

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天神山の常夜燈籠

2018年02月26日 | 「廿日市地区」ぶらり




天神山にある正覚院境内の先日紹介した鐘楼脇にある石燈籠で「海上安全、明治23年5月」と刻されている。廿日市の湊には交易のために諸国から商船が入津しており、夜間の入津の目印に見晴らしのよい天神山に常夜燈が設置された。常夜燈設置の始まりについては定かでないが、江戸期の正徳2年(1712)頃には町の経費から天神坊灯明銭が支給されており、また、享保21年(1735)頃には西浜町で常夜燈中という維持管理組織が出来ていたようである。

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宮島街道の無電柱化

2018年02月25日 | 「廿日市地区」ぶらり










国道2号線(宮島街道-かつては観光道路)で市役所入口の新宮一丁目交差点から榎浦橋間を車で通っていると両側の歩道にところどころ長方形の施設があり通るたびに何かと思っていた。
先日、この歩道を歩いているとこの施設には高圧引込開閉器とあり上を見ると電線類がなく地中化されていることに今まで気が付かなかった。電柱を利用した道路標識が設置されているものはそのまま残されており、榎浦橋より東側は従来どおりの電柱配線であった。

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野貝原山登山 ⑥

2018年02月24日 | 登山




 

「のうが高原」跡にある人工池の半分位が凍っていた。かつて野貝原山一帯は御手洗川の水源である湿原地であったがその一部に堤防を築いてのうが湖と称する人工池が造られたのである。広大なのうが高原跡の周回路を歩いているとあちらこちらからチェンソーの音が聞こえ木材を伐採しており、この場所には太陽光発電施設が設置されるようである。

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野貝原山登山 ⑤

2018年02月23日 | 登山








野貝原山の三角点があった最高所にはかつての「のうが高原」施設の展望台が残されており、手摺が朽ちかけた展望台から廃墟となった施設跡をみると一部の屋根は綺麗な状態のようにみえる。北方面を遠望すると雪を被った山々がみられるが右側矢印の大峰山と左側矢印の冠山しか山名が分からない。

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野貝原山登山 ④

2018年02月22日 | 登山






野貝原山の三角点はかつて標高733mの最高所にあったが現在は約500m位西側の標高719.18mケ所に三角点があり、一等三角点の記によると平成元年(1989)に埋標とあるのでこの時点で移転したのであろうか。旧三角点があったところには2本に折れた陸軍輸送港域第二区標が残されている。

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野貝原山登山 ③

2018年02月21日 | 登山






泉水峠から野貝原山に向かう林道には先日の雪が残っていたが足跡もなく誰も登山していないようであったが、林道を横切るように獣道であろう足跡があった。どのような動物の足跡かは定かでないが数多くの足跡がみられ、足跡の先の方にはヌタ場があったので多くは猪の足跡であろうか。

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野貝原山登山 ②

2018年02月20日 | 登山







 


険道を泉水峠に登っていると両側に石積みのある掘割りがみられ、これは険しい泉水峠にトンネルを掘りかけた跡である。
玖島の豪農八田家は廿日市の住吉新開など旧廿日市市域にも多くの土地を有し、また、後背地の山間部に広大な山林を所有していた。本拠地の玖島と廿日市を結んでいる1等里道の泉水峠は険しく、経済活動を高めるにはトンネルが必要とのことで工事を始めていたものと思われるのである。ところが大正3年(1914)廿日市町に本店を置いていた八田貯蓄銀行の取付け騒ぎで、八田家所有の山林1378町歩と田畑6町歩を抵当にするなどし、大正7年(1918)には八頭銀行に統廃合されたために、トンネルを造る必要性も薄れて中止となったものとみられる。
泉水峠のすぐ手前に石積みのある小さな平坦地がみられ、ここには昭和初期頃まで休憩所が設けられていた跡のようである。

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野貝原山登山 ①

2018年02月19日 | 登山










昨日、原地区川末から県道294号虫道廿日市線を登って泉水峠から野貝原山の旧三角点と現三角点を経由して旧のうが高原周回路を一周し中電の管理道を通って川末に下った。石がゴロゴロした山道でまさに険道であるが、途中大きな音がしたので低空でヘリコブターが飛んでいるのかと思ったら5台のモトクロスバイクが登ってきたのでビックリ・・・
バイク主は若者達と思っていたが野貝原山三角点でくつろいでいた人達は年配の人もいたのでまたビックリした。

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正覚院の梵鐘

2018年02月18日 | 「廿日市地区」ぶらり








天神山の上にある正覚院の鐘楼に架けられている梵鐘は廿日市で鋳造活動していた山田貞運の鋳造作品で天明6年(1786)8月25日の刻銘がある。中世から鋳造活動していた山田家の鋳造作品は数多く判明しており現存作品も多くみられるが山田貞運の鋳造作品はこれ以外には確認できないのである。

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廿日市本陣跡

2018年02月16日 | 「廿日市地区」ぶらり







 

 

廿日市市中央市民センターの前庭に建立されている「芸州廿日市御本陣旧趾」碑で当初は本陣跡に建立されていたが2回も移設されこの場所は本陣とは関係ないところである。碑文だけ読んだ人はこの場所が本陣跡であると間違ってしまうであろう。本陣は中央市民センター東側で中画像の赤線部分の範囲に下画像ような豪壮な建築であったのではなかろうか。(廿日市本陣復元想像図)

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宮内村売薬渡世寄進の玉垣

2018年02月16日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

昨日紹介した天満宮境内入口の玉垣の端にある親柱に「宮内武田 狂気之薬所」と刻されており、宮内村の医師武田文敬が「鎮火奇応散陰陽狂気之妙薬」と名付けた特効薬を売っていたようである。この薬の効能書きによると「・・・此薬一服御用ひ被成候得者十八九治す、万一治せさる時四五日も間をおき重て御用可被成候、・・・」とあり、よく効く薬であったようで十中八九治癒していたようである。

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越中富山売薬人寄進の玉垣

2018年02月15日 | 「廿日市地区」ぶらり







天満宮境内入口の道路側に越中富山売薬人の寄進した玉垣がみられる。上画像には「越中滑川 小泉屋手代咊吉」とあり、下画像の親柱には「越中高岡 丸一庄蔵 広島屋取次」「越中水橋 一丸太吉 広島屋取次」と刻されている。越中滑川と越中水橋は新川売薬で越中高岡は射水売薬で何れも加賀前田藩の売薬だったようである。

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玉垣根元の突起

2018年02月14日 | 「廿日市地区」ぶらり




 


天神山にある天満宮へは石段の参詣道を登って行くが参詣道脇にある玉垣根元には所々突起がみられる。この突起は何かと思っていたがこの部分の玉垣は特別加工がしてあり突起部分から折れ曲がって下に伸ばし参道床部分に埋め込んで転倒防止としてあるようである。

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