梅雨の合間に岩の隙間にいるという梅雨太郎さんに会いに行ったが見ることが出来なかった。江戸期の地誌には「・・・石罅に雙蛇を栖しむ、梅雨の後、去て見えず、此石犯すものは祟ありといふ」とある。近くには梅雨太郎水と称する湧水がある。子供の頃この付近は田んぼが作られており田の畔を通って清水を飲みに行ったものであるが・・・
梅雨の合間に岩の隙間にいるという梅雨太郎さんに会いに行ったが見ることが出来なかった。江戸期の地誌には「・・・石罅に雙蛇を栖しむ、梅雨の後、去て見えず、此石犯すものは祟ありといふ」とある。近くには梅雨太郎水と称する湧水がある。子供の頃この付近は田んぼが作られており田の畔を通って清水を飲みに行ったものであるが・・・
天満神社境内社の胡子神社手前に建立されている狛犬で刻銘によると元治元年(1864)12月に廿日市の町人衆によって建立されたようである。花崗岩製の玉取り型の狛犬で大きな球を阿形の狛犬は前足を置いているようであり、吽形の狛犬は捕まえているような姿である。
車で極楽寺山に向かう途中の国道433号線沿いには白い花が咲いているのかと思わすような白化した葉のマタタビが各所でみられる。「猫にマタタビ」「復(また)旅」ということわざがあるので,マタタビ酒で元気をと秋に実を取りに行くのであるが蔓性の植物であり葉が緑に戻っているのでどこにあったのか見分けがつかなくなるのである。
池面上に突出した倒木の上に5匹の亀が甲羅干しをしており、4匹並んだ亀と向う側にいる亀は色や形が違っているので違った種類のようである。睡蓮の葉の下では大きな鯉が泳いでおり、岸辺では睡蓮の葉を棒で押し広げ鯉に餌を与えて写真を撮っている人がいたが・・・
極楽寺山にある蛇の池では睡蓮の花が咲き始めており、池全面に色とりどりの睡蓮が咲いているのがみられる。看板表示によるとローズアレー(桃色)、アトラクション(赤色)、プリシマ(白色)、サルフェリア(黄色)があるようであるが、黄色のサルフェリアがどれなのか見つけることができなかった。
栗栖地区の県道30号線沿いにある四和電化農業協同組合の小水力発電所で、小瀬川の取水堰から最大0.97㎥/S、常時0.43㎥/Sの取水をしているようである。ごく最近に県道脇の水圧管路の改修工事が行われていた。看板表示によると発電出力は180kWのようである。当初この発電所は電気が十分に供給されていなかった農村部に小瀬川の水資源を活かして電気の供給を目的に設置されたもののようである。
中道地区の奥部道路脇に建立されている石碑で「佐伯六星合陸之太夫重氏之碑」とある。刻銘をみると昨日紹介した大明庵由来に記されたものと似たような文言がみられるが、これら史的事実を裏付ける資料は見当たらない。碑の脇には一石五輪塔が2基みられる。
中道地区の最奥部の道路脇に建立されている句碑で『みそなはす 山野安けく 緑満つ』と刻されている。昭和35年(1960)頃には76世帯327人が居住していた中道集落も現在は14世帯23人となって、かつての屋敷跡や田畑は荒れて山野化しているのを憂い詠われたものであろうか。
昨日紹介した中道集会所のすぐ先にかつて広電バスの中道車庫があった。上画像は平成19年(2007)に撮影したもので、中道線が廃止されてから旧車庫に増築して倉庫として使用されていたが、現在旧車庫部分は撤去されている。中道線は昭和30年代に開通しており昭和50年(1975)の路線図にはみられるが平成7年(1995)の路線図にはみられず、いつ廃止になったのかは定かでない。
中道地区に舞台のある大きな集会所があることは以前にも紹介したが、まだ工事看板が残されているのでごく最近に取り壊されたようである。現在の世帯数・人口(14世帯23人)では残された施設で賄えるが、かつてこのような大きな集会所が建築された頃は多くの人達が居住されていたのであろう。昭和35年(1960)の資料によると76世帯327人の人が住んでいたようである。